9話 姉と妹 それぞれの罪
フィクションです。
「外出、できないかしら?」
「どちらにですか?」
「皇女殿下の公務の様子を見たいの」
「見て、どうするのです?」
「わかりません。皇女殿下が真摯に公務に向き合う姿を見れば、何か、わかるような気がしたのです」
巫女の一族、看護師の晶子は嫌な予感がより強くなるのを感じた。
ただ、以前のように名前を呼び捨てにせず、敬意を持って『皇女殿下』と呼んでいることは感じた。
「それは、貴女の命をかけても……見るべきものですか?」
馴子はくすっと笑う。
「あれからずっと、生きている意味を考えました。生かされている意味をちゃんと考えました。ありのままの事実をきちんと受け止め受け入れようと……思ったのです。私や妹が公務に臨んだ時とは心構えからして全然違うのでしょう?」
「はい」
晶子は即答する。
「誰しもがそう思っていると思うわ。妹はお祖母様のお気に入りだった。私よりもわがままを聞いてもらっていたわ。なんでも欲しいものを買ってもらっていた」
「そうですか」
「可愛く生まれただけで、何歩も先を歩いているかのように振る舞われたの。公務で二人並んで写真に映るでしょう? 私はいつでも妹の引き立て役だった。皇女殿下はどこからどうみても伯父様そっくりで……愛らしかった」
晶子は少し顔色が良くなった長女を見る。
「家族写真ではなるべく離れて映るようにしたわ。いつもかわいいやきれいという言葉がつくのは、妹だけ。私が褒められるのは着物の柄や色合いだけ」
事実だけに、晶子は頷くしかない。
「それがお祖母様の考えだったのよ? 同じ孫娘なのに……。私は……実の祖父に顔が似てしまった」
「血縁者ならば、遺伝上仕方のないことです」
「いくら頑張っても、血筋はどうしようもない……」
「そうですね。DNA検査をせずとも、血液型で血の繋がりがないことは証明できたのですがね」
「いつからか、血液型も人に教えるなと祖母から言われました」
「でしょうね。昭和天皇の血液型はRh(-)のAB型です」
「Rh(-)のAB型? そんな珍しい血液型?」
「ええ。その当時、統計上二千人に一人と言われておりました」
晶子は馴子を見る。
「なぜ公表されているのか、不思議ですか?」
「はい」
「病で倒れられたのです。入院が長引き、下血もあり、輸血の必要があったのです。しかし、普通に献血で集まるような血液型ではありません。すぐに手に入らない血液型の方はあらかじめ登録されております。その方々に献血をお願いしたのです。新聞やテレビで、『血が足りない』と出ると、献血を申し出てくれた方がたくさんおりました。新聞では連日、輸血何cc、下血何ccと……」
晶子はじっと馴子を見た。
「私は貴女の母親、その父親がしたことを許すことはできません」
「呪をかけたのは、事実だったのですね」
「私が勝手に始めてしまった話ですが、この話はもう、終わりにしましょう。もう、終わったことです。誰にも過去は覆せません」
「そうですね」
意を決したように、馴子は顔を上げ晶子を見る。
「少しだけでいいんです。公務をしている皇女殿下のお姿を……直接見させてください。お願いします」
頭を勢いよく下げる。
「わかりました。確認してみましょう。ちょっと待っていてください」
晶子は指示を仰ぐため、部屋を出た。
ドアに背を向けて専用電話で話をする。
その時、そっとドアが開き、目立たぬ服装に着替えた長女が出てきた。
その手には存在を薄くするための護符が握られている。
飛行機に乗る時に存在感を薄くするツクヨミが作った護符だった。
長女は護符を使い、そのまま屋敷の結界を抜ける。
その時、聖子は別の部屋にいて、祭事の打ち合わせの電話をしていた。
誰も、馴子が屋敷を抜け出したことに、気づかなかった。
馴子はわりとふっくらとした印象だったが、海を渡って二人での生活で疲れ果て、人相が変わるぐらい、痩せてしまっていた。
人とすれ違っても、かつての内親王だとは誰も気づかない。
馴子はタクシーを捕まえ、駅に向かった。
晶子が部屋を出て、馴子がタクシーを捕まえるまで、かかった時間はたったの5分だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
緊急連絡が、巫女の一族、ツクヨミの一族に入った。
ツクヨミは、慌てているツクヨミの一族を見て、小さくため息を吐いた。
「場所は、◯◯だ。姫の公務先だ」
慌ただしく連絡を入れる脩平。
自らそこに向かおうと、望は車庫に向かう。
望が車のエンジンをかけると、ドアの開閉もなしで、隣にツクヨミが座っていた。
「シートベルトしてくださいね」
そういうと、望は車を発進させた。
「全部信号を青にする。走行速度に注意すれば大丈夫だ」
「はい」
焦る気持ちを鎮めながら、皇女の事を思い出す。
ちらっと横を見ると、ツクヨミは無表情で、人差し指を動かしているだけだった。
「すぐに救急車を呼べるようにだけ、しておけ」
皇女が暴漢に襲われるのだろうかと思うと、手が震えてくる。
「大丈夫だ。長女は姫に危害をもたらさない」
断言するツクヨミに、少し肩の力を抜く。
「それに、アマテラスの護りがあるから、傷一つ付けられぬであろう」
「そ、そうでしたね」
その事を思い出し、頭は徐々に冷静さを取り戻していく。
そうすると、危険なのは誰なのか?
長女は皇女を傷つけない。
誰が傷つくのか?
「あぁ、交通規制です。下手すると、ここから歩くしかありません」
ナビで残りの距離を確認する。
「あと10キロ……」
助手席のツクヨミはまっすぐ前を見ている。
信号は青だが、車が渋滞してきて進むことができなくなってきている。
「わかった。ここを左に曲がれ」
左車線はまだ空いていた。
「ここをいくと、目的地から遠ざかりますが?」
「とにかく曲がれ、それからはまっすぐ道なりに進め」
「はい」
とにかく運転に集中する。
それから右に曲がっても左に曲がっても直進しても、信号はずっと青のままだった。
目的地まで直線であと1キロとなった。
皇女が到着する時間まで、あと30分はある。
「ここに車を止めろ。ここから先は走れ」
「はい」
言われた場所に車を駐車する。
そして、ボディバッグを斜めがけして、目的地目指して走る。
日頃から走っているが、ジョギングとはまた違う。
「少し上り坂になっているが、あともう少しで緩やかな下り坂になる。気を付けて走れ」
ツクヨミは宙に浮いたまま、ススス~ッと移動する。
(案内されているだけ、まだマシか……)
そう思いながら、必死でツクヨミを追いかける。
アスファルトから砂利道になる。
足首にかかる負担が急に増える。
「ああ、コレで少しは楽になるであろう」
ツクヨミは靴を指さした。
次の瞬間、空気の層が靴底と地面の間にできたようだった。
どれだけでこぼこでも、きれいに舗装されたアスファルトの上を走っているようだった。
(余裕で間に合う!)
そう思った途端、ぞわぞわとした。
思わず足が止まる。
「いるな」
ツクヨミはある方向をじっと見る。
「ここに巫女族がいないのが悔やまれる」
「臭いですか?」
「ああ、臭い。説明できぬほど、臭い」
ツクヨミが眉間にシワを寄せる。
「ああ、それでもこちらが風上か……」
「こっちですね?」
ツクヨミの反応を待たず、風下の方向に進む。
駅のかなり手前だというのに、人だかりができていた。
「思ったより多いな」
ツクヨミが少し驚いていた。
「何を言ってるんですか? 皇女殿下はいつもこれくらいですよ。それも今回のは急遽決まった公務です。周知されていません」
「なるほど? しゃがみ込んでおるぞ?」
誰がとは尋ねない。
とにかく、黒いもやを持つ人物を探すのが先だ。
人が増えてきたので、走るわけにいかなくなってきた。
10m間隔で警察官が達、沿道の人々が前に飛び出したりしやいよう、注意を呼びかけている。
望は少し大回りして、駅の中央口を目指した。
時折、うっと口元を押さえねばならぬほどの、異臭。
それに気づいていない人達は、日の丸の準備をしていた。
中には、ハート型のうちわに名前が書かれているのもある。
その周りはきれいにピンクの花が飾り付けられていた。
電車が到着したようだった。
駅員の動きが慌ただしくなる。
それと同時に、警察官の表情が引き締まっていった。
「どこだ? どこにいる?」
『ここは任せた。私は姫のそばにいるぞ』
声が遠ざかっていった。
「そうか、その方が安全か」
胸騒ぎはどんどんと強くなる。
異臭に鼻を押さえている場合では無くなってきていた。
「長女に異臭はしていないということは、残っている……」
ここで望はようやく気づいた。
手に持っていたスマホで長老である喜朗に電話をかけた。
「次女です。恐らく、次女が◯◯駅の近くにいます」
それだけ言うと、片耳にイヤホンを入れ、スマホは胸ポケットに入れる。
「皇女さまぁ~~~~」
中央口から人が出てきた。
最初に出てきたのはSPだろう。
周りを警戒している。
望はようやくどす黒い塊を見つけた。
『次女がいます! もう、正気を保っていません』
きらりと銀色に光るものが見えた。
「え? まさか? 刃物?」
それと耳を覆いたくなるような雑音が聞こえてくる。
一歩一歩どす黒い塊に近づいていく。
全身が見えた時、思わず足が震えた。
『呪詛を唱えてます。ナイフを構えてます。あ、走った!』
黒い塊から手のようなものが前に出ると、屈強なはずのSPがあっけなく倒れていく。
「一体、何の呪文なんだよ!」
走ろうとするが追いつけない。
よろよろと歩いているのに、空気の層が邪魔をするような感じで近づけない。
皇女が姿を見せたのだろう。
沿道の人々が名前を呼びながら、旗を振っている。
皇女は立ち止まり、周りに笑顔を向け、手を振る。
それにどす黒い塊が近づいていった。
「逃げて!」
声に出すが、届かない。
倒れているSPがいるのに、他のSPがそれに気づかない。
「どういうことだよ! どうなってるんだよ! 誰かそれを止めてくれ!」
望は必死で手を伸ばし、足を動かした。
ようやく、皇女とどす黒い塊が見えた。
「もう少し!」
(とにかくあれを引き離さないと!)
「SP! 仕事をしやがれ!」
皇女が望の声に気づいた。
そして、近づいてくるどす黒い塊に初めて気づく。
「逃げて!」
皇女の後ろにツクヨミの姿が見える。
ツクヨミは右手の掌を前に突き出していた。
「ああ、結界……」
その結界に阻まれてそれ以上近づけないようだが、じわじわと前に進んでいるようだった。
「だめ!」
黒い塊が後ろに突き飛ばされた。
皇女と黒い塊の間に、長女の馴子が立っていた。
黒い塊は逆上したのか、すごい速さで立ち上がりナイフを構え、突進する。
望は腕を伸ばしたが、それは宙を掴むだけだった。
「うっ」
ツクヨミは皇女の目元を手で覆っていた。
黒い塊は馴子に全力でぶつかる。
その手にナイフを持って。
「お前も憎い」
そう言うとナイフを一度引き、もう一度前に突き出した。
それが三回。
黒い塊から血に染まったナイフが見える。
だらんとしているその手に持っていうナイフから、赤い血がポタリと落ちた。
望は気合を入れて、腕を伸ばし、その黒い塊を押さえ込んだ。
「SP、仕事をしろ!」
腹の底から声を出した。
SPがキョロキョロし、望が女性を押さえ込んでいることにやっと気づいた。
「お姉様!」
皇女が倒れている馴子に駆け寄る。
そして、抱き起こした。
あふれる血を手で押さえる。
胸と腹を刺されていた。
「お姉様! どうして!?」
「私にできる最後のこと……あなたを護りたかった……私は……たぶん、あなたと一緒に、いたかったのね。護れてよ……か……」
それだけ言うと、馴子の体から力が抜ける。
望は魂が体から離れる瞬間を初めて見た。
血だらけの体から出ていった魂の色は、思っていたよりきれいな色だった。
そして、その魂はすっと上に吸い込まれるように消えた。
ツクヨミが顔を上げて、その魂を見送っていた。
『輪廻の流れに乗れたようだ。もう大丈夫だ。後は任せた』
「え、いや、任せられても……」
「もう、離してもらっても、大丈夫です」
黒い塊は正気に戻ったSP三人に押さえ込まれていた。
「あ、はい」
「怪我はないですか?」
「ないです」
自分の両手を見るが、怪我はしていない。
「お姉様……」
馴子をしっかりと抱きしめて、涙している皇女。
「皇女殿下、公務中です。魂は綺麗でした。輪廻の流れに乗れたようです」
ようやく周りの人が気づき、「救急車を呼べ」と動き出した。
沿道に集まった人はスマホやカメラを構えていたが、皇女が涙を流しているのに気づくと一人が撮影を辞めた。そしてそれが伝染していったかのように、静かにスマホやカメラを下ろしていく。
警官と駅員が壁を作り、皇女と馴子を引き離した。
「いかが致しますか?」
「公務は続けます。今、私がここにいることのほうが、迷惑になると思います」
気丈に顔を上げ、皇女は言った。
「手を洗いましょう」
女性職員がその手を見て言った。
「はい」
「お召し替えも必要になりましたね」
女性職員が、駅の役員室の方へ皇女を案内する。
それにSPが二人、警護するというより、ただ後を付いていった。
「あ……事情を……聞かせてもらえますか?」
現場の責任者の警官に後ろから声をかけられた。
「すみません、事情を話をするのはいいのですが、駐禁をとらないと、お約束していただきたいです」
車を止めた場所は、知らない人の土地だった。
警察に通報されても、仕方がないと思っていた。
『あ、我が車を運転してあのたまり場に戻しておこう』
『私が信号を青にするので、問題ない。心配するな。そなたの責務を果たせ』
「え……」
次の瞬間、がっくりと項垂れる。
「駐禁とは?」
「あ、いえ、なんでもないです。分かる範囲で全てお話いたします」
怪訝そうにしながらも、警察官は頷く。
服はかなり血で濡れていたが、歩道のタイルは血で汚されることはなかった。ツクヨミがこっそりと見えない結界を張っていたようだ。
現場はブルーシートで囲われた。沿道に集まった人々には、駅員が声をかけていた。
文句を言う人はおらず、沿道にいた人は、全体的に一歩後ろに下がって離れただけだった。
先程まで、皇女の笑顔を見てしあわせな気分になっていたのだが、今は、皇女の悲しみがこの場所を支配してしまっている。
しかし、その空気も徐々に変わってゆく。
皇女が必死で自分の気持ちを立て直しているのだった。
それを思うと、自然と涙が溢れてくる。
(皇女殿下、泣きたいのを今は我慢なさってください。
その分、私が涙を流しておきます)
皇女に届かなくてもいいと思いながら、望は強く心で念じた。
望はその場の悲しみを一気に引き受ける。
そして、また新たな涙を流していったのだった。
巫女の一族、ツクヨミの一族は、全員が同じ力をもつわけではない。それぞれに得意分野があり、それは常に誰かが継いでいっていた。
望が得意なのは、空気の流れを自分に集めることだった。
熱狂しているときにはその熱を。
悲しみが強い時は、その悲しみを涙に変える。
望はその場の感情をすべて自分の中に取り込んでいった。
「兄ちゃん、大丈夫か?」
冷たいお絞りを受け取り、望は目に当てた。
「多分、大丈夫です。もう、落ち着きました」
「あ~。そんな涙声で言われてもね。鼻もかむかい? ティッシュはここにおいておくよ。もう少し休んだ方がいいね。なんなら、そこのソファで横になっていいよ。座っているのもつらそうに見える」
皇女は身支度を整え直すと、すぐに目的地へ発った。
お手振りはなしで、静かにお辞儀をするだけだった。
集まった人達は、静かに旗と手を振っていた。
中には、ハンカチを目に当てている人もいたらしい。
『負けずに頑張れ』
『ここに来てくれてありがとう』
『体を壊さないでね。ちゃんと休んでね』
『次は笑顔をちゃんと見せてね』
『姿を見れて良かった』
『また、来てね』
など、心配する気持ち、好意的な気持ちしか伝わってこなかった。
ツクヨミがあっさりと引き上げたのは、もう問題がないとすぐに判断できたからだろう。
感情の起伏が激しすぎ、望はかなり疲れていた。
周りは「ああ、泣き疲れたんだな」と思っている。
望は誤解されていることをいいことに、ソファに寝転んだ。
目を閉じると、おさまったはずの感情がぶり返してくる。
感情の波に逆らわないでいると、いつの間にか眠ってしまったようだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
コトンと少し硬い音がし、コーヒーの香りがしてきた。
「あ~。俺の分のコーヒーも入れて~」
「寝ぼけてるのかこのバカ息子!」
「まぁまぁ!」
ハッとし、望は飛び起きた。
「あ……」
眼の前には父親と駅長がいた。
慌ててソファから体を起こし、頭を下げる。
「すみません。ぐっすり寝てしまいました」
「本当にぐっすり眠っていたから、起こすのが悪いような気がしてね」
駅長は人の良さそうな笑顔で望を見る。
「ほんとうにすみません」
脩平はもう一度頭を下げた。
「まぁ、コーヒー入っているから、飲んで。これ、隣の喫茶店から運んでもらったんだけど、美味しいんだよ」
「ああ、たしかにうまい」
脩平はすでにコーヒを飲んでいた。
手を伸ばし、カップを持つと、まず香りを嗅ぐ。
肺いっぱいにコーヒーを吸い込み、あの嫌な空気を肺から全部出した。
「あのお嬢さんはもう亡くなっていたよ」
駅長は静かに言った。
「そうですか」
もう、悲しいとは感じなかった。
「皇女殿下からあなたへ伝言を預かりました」
望は思わず、背筋を伸ばした。
「はい。承ります」
「大げさだな。一言『ありがとうございました。また日を改めてお話できますか?』」
脩平は呆れた顔で息子の顔を見る。
「ありがとうございます。もう、あの時に必要なことはお話しましたので、会うことは……」
そう言って脩平を見る。
「呼び出されたら、行けばよい。まぁ、今日のスケジュールはすべて20分遅れで始まったからな」
望は思わず頭を抱え込む。
「すみません」
「いや、20分遅れで助かったところもあるんじゃ」
「と、言うと?」
「直前にお腹が痛くなってトイレに駆け込んでしまった市長がいてね……」
「あ~」
「出迎える側が遅れることはできぬからな。結果、市長は面目を保てたらしい」
「そ、そうなんですね。でも、別のものを色々となくしてそうですけど」
「大丈夫でしょう。市長が代表して案内するということを妬んだ副市長が下剤を盛ったということがわかりましたからね」
「……複雑ですが、結果オーライだったのですね」
「はい。見事な技でしたね」
駅長は望に言う。
「え?」
脩平は大げさにため息を吐いた。
「一族だ。ちゃんと魂を見ろ」
「あぁ……。馴染みのある色ですね。だから……」
「はい。私も胸騒ぎがしておりましたので、長老に確認したのです。それで、何か対処できるようにと、女性の職員を派遣してもらっていたのです」
「あ、もちろん、一族の者だ」
「あ~そうでしたね。泣いているのをものすごく冷めた目で見られました」
「君は感情がでやすいんだね。たまに全く出ない子もいるからね。それぞれに向いてる仕事があるからね。人材には不自由しないね」
そう言って、駅長は笑う。
「上がっていく魂、見えました?」
駅長はゆっくり頷く。
「信じられないぐらい、きれいだった。皇女殿下にも見えただろう。魂が上っていくのを目で追いかけておったからな」
「そうか。印がつかなかったのは」
「必要なかった……ということですね。もう、皇女殿下の心配はしなくても大丈夫ですよ。眼の前のことに集中しましょう。この後、警察での事情聴取が待っていますからね。カツ丼はでませんから、食事を取ってから行ったほうがいいですよ? あ、警察内の食堂で食べてもいいかもしれませんね。安くて美味しいです。地元の野菜を使ってますからね」
喋り続ける駅長に望は圧倒されていた。
望の横でゆっくりとコーヒーを味わっている脩平。
「飲み終わったら、警察に行くぞ」
脩平はそう言うと、駅長に勧められた茶菓子に手を伸ばしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あぁ、△△神社の関係者の方ですか」
「はい」
「それで、悪いものを祓おうと追いかけた?」
「はい。呪詛を唱えておりましたので……」
「どんな呪詛?」
「認識阻害といえば、わかるでしょうか? ナイフを手にして近づくのに、周りの人に見つからないように、その呪文を唱えていました」
「そういうのって、あるんですか?」
「普通は使わんがな。それに、普通の人は使えん。というか、そもそもそういうのがあったとしても、まともな術者はまず使わん!」
望はふと気になったので、尋ねた。
「あの、加害者は、今、どうしているんですか?」
「爺が駆けつけたときには、喋らないように猿轡をしておったな」
「え? いや、それ、人道上……」
「実の姉とわかった上で、何度も刺したやつだぞ? 周りのものを危険にさらすことになるではないか。やむを得ず、だ。今は、爺が睨みつけておる」
「あ、なら大丈夫か」
「そういうことじゃ。それしか手段がなかったからな」
「皇女殿下が『しっかりと拘束してください。とても危険です。気をつけてください』って言われなかったら、できませんでしたと、担当者が言ってました」
警察官が、ホッとした顔で言う。
「なるほど」
「お前が寝ている間にな? いや、泣いている間にか? 皇女殿下は出来が違うお人だ」
うんうんと一人で納得する脩平。
「でも、俺は間に合わなかったんですよ」
「いや、間に合っておったんだぞ? 間に合って、黒い塊の一部を握り込んでいたから、あの次女はあれ以上皇女殿下に近づく事ができず、長女が身を挺して護ることができたんじゃ」
「そうですね。あと10cm、次女が前にでていたら、皇女殿下に被害が出たかもしれません」
警官がそれを言い、思わず身震いする。
「ギリギリのとこだったんじゃ。まぁ、よくやった」
脩平はそう言うと、ガシガシと望の頭を撫でた。
「事情聴取、これで大丈夫なのですか?」
「説明できないところが多いからな」
「黒い塊が近づいているのに気づき、かなり危険だと思って、その人物を取り押さえようとした……ということですね」
「まぁ、そうです」
「最近は、スサノヲやツクヨミの印を持つものが減り、アマテラスの印を持つ人が増えたのですよ。だから、油断してましたね」
「そうだったんですね」
「印、出てたんですか?」
「ああ、すごかったぞ? 最高例じゃないか?」
望は眉根を寄せた。
「ツクヨミ様とスサノヲ様のお印が合計……8個だったか」
「額が全部お印で埋まってましたね」
警官はそう言って、スマホで写真を見せてくれた。
「3つで孫悟空の頭の輪っかと言われておるのに、その倍以上とはな」
「もし、4つ、あるいは全部光るとどうなるんですか?」
「わからん、としか言いようがないが……」
「アマテラス様のお印がないからな。だがないからと被害者ではないという判断が直ぐにできぬことが、長女の例でわかった」
「何かの形で償う機会がある人には……現れないのかもしれませんね」
「なら、次女は、何をしても救われない……いや、救う必要もない……ということになるな」
脩平は警察官に向かって言った。
「あれの母親、どうなったか知ってます?」
望はどう答えようか迷い、脩平を見た。
「封じられておるとはいえ、呪詛を唱えようとするから猿轡をして、体は拘束されてベッドに縛られていると聞いておるが……」
「やっぱりそうなんですね。まだ生きているんですよね。なぜ生かされているんでしょう?」
警官は首を傾げる。
「まだすべてが解明できてないからでしょう。アレが絡んで亡くなった人が更にいることがわかったようですから」
「あぁ……」
「一応、呪い封じをされたようなので、猿轡を外しても大丈夫なのですがね……」
「外さないのには理由が? 事情はどうやって聞き取りしてるんですか?」
「あ~~」
脩平は遠い目をする。
「最初の1時間は気が済むまで喋らせるそうだ」
「1時間ですか」
「ああ。一応、神社の者も立ち会って、呪い的な言葉があった場合、すぐに対処できるようにはしているが、まだそれはないようだ」
「それは良かったです……?」
「中に入った警察官はわからないように耳栓をしているらしい。
それで、そろそろ話しし始めるか……という頃に、耳栓を外し、いろいろと聞き出しているようだな」
「恐ろしいですね」
「ああ、恐ろしいぞ。1時間もあのキイキイ声で喋り続けるんだぞ? ものすごいエネルギーだ。事情聴取に立ち会った警察官が次々に退職願を持ってくるかと思った」
「持ってこなかったのですね」
望が言うと、脩平は大きくうなずいた。
「1時間、何を言い続けているのか、メモすることに集中したようだ。それが毎日のことだからな。聞き逃しても、録画されておるし」
「聞き直したくはないですね……」
「まぁ、何を言ってるか、聞けば笑うぞ?」
「そこ、笑うところですか?」
「そりゃそうだろう。『私を見て~』から始まって、『あのババアよりも私のほうが若くてきれいのよぉ~』」
「『私が皇妃よ』『私がこの国の頂点よ』『私が国母なのよぉ~』という感じですかね」
脩平の言葉に警官が付け足す。
「はぁ……ご成婚の時に、祖母らしき人が、『どこに出しても恥ずかしくないように躾けてきました』って言ってたのが忘れられん」
脩平が頭をかきながら、呟いた。
「それが言えるって、すごいですね」
「ああ、3歳の娘が父親のことを『お父様』といっていることで、素晴らしい躾だともいわれていたな。2歳だった皇女が『パパ』と呼ぶと、しつけができてないとバッシングが起きた。数年後、違いは明らかになったがな」
うんうんと、何度もうなずく警察官。
「そう言えば、寝言が英語っていうのもあったな」
「そうなんですか? 寝言が英語ってすごいですね。俺は日常会話も怪しいです」
「いや、それが、な? 『help! help!』だったらしい」
「えっと、それは寝言?」
「helpしか言えなかったんだろうな。うなされてたっていうから……」
「それで、寝言が英語……」
「あの時は異様だったな。皇室関係のことを取り上げれば週刊誌が売れていたし、ワイドショーで取り上げれば視聴率も取れていた。ワンピースで現れたら『これはどこどこのワンピースです』と出ていたしな」
「それを今、実行したとは、頭の中が昭和だね」
警察官がそれを言って笑う。
「たしかに、そうだね」
望は呟いた。
「昭和……」
望は呟き、少し考える。
上皇后の中にあった黒い繭の中の魂。
それは本当に、軽井沢で出会い、テニスコート語り合った女性の魂だったのだろうか?
黒い繭の中の魂は、孫の次女ではなかったのだろうか?
「魂を見れる人って……」
望の態度に、脩平は少し考える。
「もし、お前が考えていることが、事実だったとしたら、とんでもないモノが相手になるということだぞ?」
「ですよね。でも、安心したいので、確認してほしいです」
「わかった」
脩平は立ち上がると警官を見た。
「ああ、もう、帰ってもいいだろうか? ちょっと調べたいことが出てきてね」
「もう……大丈夫ですね。今日はご協力ありがとうございました」