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第9話:現物資産と初めての収益(物理)

 銅貨10枚の資本金を得た翌日、私は早速、市場調査と称してモンスーンを街へ連れ出した。彼も孤児院の仕事が休みだったらしく、喜んでついてきてくれた。


「すごい人だな、ナツキ!」

「ええ、そうね」


 大通りは、昨日にも増して活気に満ち溢れていた。露店商の威勢のいい声、行き交う人々の雑踏、そして何よりも、この街を循環する資本の匂い。私の五感は、かつてないほど研ぎ澄まされていた。どの店に需要があり、どの商品に将来性があるか。人々の会話の端々から、市場のトレンドを読み解こうと必死だった。


 そんな私の思惑など露知らず、モンスーンは子供のように目を輝かせている。


「見てみろよ、あの剣! かっこいいなあ」

「……鋼の質は悪くないけど、重心が少し悪いわね。実戦向きじゃない」


「じゃあ、あっちの鎧は?」

「デザイン重視ね。冒険者が着るには重すぎるし、貴族の観賞用でしょう。市場価格は銀貨5枚といったところかしら」


 私の即座の鑑定に、モンスーンは「お前、なんでそんなことわかるんだ?」と不思議そうな顔をしていたが、私は答えずに足を速めた。


 一通り市場を歩き、大まかな物価と需要の傾向を頭に叩き込んだ後、モンスーンが「ちょっと寄りたいところがあるんだ」と言って、一軒の武具屋へと入っていった。そこは、冒険者向けの装備を専門に扱う、比較的大きな店だった。


 しばらく店の中を物色していたモンスーンが、やがて一本の杖を手に取って私の元へ戻ってくる。 それは、白く滑らかな木材で作られた、子供の背丈ほどの簡素な杖だった。先端には、魔力を増幅するためであろう、小指の爪ほどの小さな青い宝石が埋め込まれている。


「ナツキ、誕生日おめでとう。遅くなったけど、これ」

そう言って、彼は少し照れくさそうに、その杖を私に差し出した。


「これ……」

「お前、魔法の才能はないかもしれないけど、杖くらいは持ってた方がいいだろ? 俺が稼いだ金で買ったんだ。だから、遠慮すんなよ」


 どうやら彼は、この一年間、森で魔物を狩って得たわずかな金を、私のために貯めていてくれたらしい。 私は黙って杖を受け取った。その滑らかな手触り。ひんやりとした宝石の感触。そして何より、彼の不器用な優しさが、ずしりと重かった。



——「さあ、ナツキ。お誕生日おめでとう」

 母は徐にこちら見て笑うと、分厚い岩のような本を持ってきた。私は西洋美学的な服を着せられ、色とりどりの花で身体中を飾り付けられていた。


「はい。アダムスミスの国富論よ...原文のままだけど...しっかり読んで感想を教えてね...ふふ。ほんとは父さんのプレゼントなんだけど、私から渡して欲しいらしいの.....嬉しい」

 母は私に本を渡すと、飛び跳ねながら父とテーブルのケーキを食べ始めた。

 

「え...プレゼント...」

 私は照明を反射する表紙を呆然と見つめ、その場に座り込んだ。目の前では父が無理やり口にショートケーキを詰められている。ショートケーキは、私の大好物。


 本が重すぎたのか、装飾が重すぎたのか、私はそこから立ち上がる事ができなかった。花粉で、目元が痒い。



 ——だが、私の思考は、次の瞬間には全く別の方向へ飛んでいた。 この杖の木材……『月長石の木』と呼ばれる、夜間に微かに光を発する希少な素材だ。そして、この宝石は『小魔力結晶』。純度は低いが、安定して魔力を蓄える性質がある。どちらも、装飾品や魔法道具の素材として、一部の専門家の間では高値で取引されているはずだ。 モンスーンが支払ったであろう価格は、せいぜい銀貨1枚(銅貨100枚)程度。


 しかし、素材として分解し、適切な販路を見つけて売却すれば、その倍以上の価値になる。


(……素晴らしい)


 これは、ただのプレゼントではない。 将来性のある、優良な「現物資産」だ。


《え……? お、お客様……? まさか、そんな……》

 脳内で《リスク管理》が何かを察して、慌てたような声を上げた。


 私はモンスーンに気づかれないよう、杖を握る手に意識を集中させる。


(スキル発動。対象、魔法の杖。目的、増殖)


《おおお客様! 何をなさってるんですか!? それは心のこもったプレゼントですよ!? 人の善意を踏み躙るような真似は……!》


 やかましく騒ぐ声を無視し、私はスキルを行使した。杖の表面に、私だけが見える淡い刻印が浮かび、消える。 同時に、ポケットに隠し持っていた銅貨10枚にも、意識を向ける。


(こちらもだ。スキル発動。対象、銅貨10枚)


 これで、私の資産は二つのルートで増殖を始めた。 一つは、杖という「現物資産」。もう一つは、銅貨という「流動資産」。 リスクを分散し、リターンを最大化する。ポートフォリオの基本だ。


「どうした、ナツキ? 気に入らなかったか?」

 私が黙り込んでしまったのを見て、モンスーンが心配そうに顔を覗き込む。


「ううん。すごく、嬉しい」

 私は、生まれて初めてかもしれない、心の底からの笑みを浮かべて答えた。




「ありがとう、モンスーン。……最高の、プレゼントよ」




 その言葉に、嘘はなかった。 これほどまでに価値のある贈り物を、私は今までもらったことがなかったのだから。



 ◇◇



 それから数週間、私の日常は二つの側面に分かれた。 昼は孤児院で、シスターから言語や世界の常識を学ぶ「インプット」の時間。そして夜は、屋根裏部屋のベッドの下で、日に日にその質量を増していく銅貨と、僅かながら複製され始めた杖の素材を眺めては、その成長率を計算する「資産運用」の時間だ。


 銅貨は日利2%の安定したペースで増え続け、すでに20枚を超えていた。一方、複雑な構造を持つ杖は、さすがに銅貨と同じペースとはいかない。複製されているのは、先端の『小魔力結晶』がほんの僅かずつと、本体である『月長石の木』の木屑。それでも、複利の法則に従い、その増加量は確実に加速していた。


《お客様、ポートフォリオが順調に拡大しております! 現在の資産構成は流動資産(銅貨)が7割、現物資産(杖の素材)が3割と、理想的なバランスですね!魔力量もシスターさんとの訓練で徐々に増加してますし...この調子でいけば、1年後には……》


 脳内で響く《リスク管理》の楽しげなレポートを聞き流していた、そんなある日のことだった。


「ナツキ、森へ行くぞ」

「森? 何しに?」


 突然のモンスーンの誘いに、私は訝しげに眉をひそめた。彼は得意げに自分の剣を掲げて見せる。その剣は初めてモンスーンにであった時から変わっていない。


「決まってるだろ、訓練だ。お前、せっかく杖を手に入れたんだから、魔法を使えるようにならないと。実戦が一番の上達への近道だ!」


 どうやら彼は、私の壊滅的な魔法の才能を、単なる「実戦経験の不足」だと考えているらしい。その純粋な善意と、致命的な勘違いに、私は溜息を隠せなかった。


 森の浅い部分にたどり着くと、モンスーンは早速、手頃な標的を見つけ出した。地面をぷるぷると震えながら移動する、半透明の青いゲル状の魔物。スライムだ。


「よし、ナツキ! やってみろ! 杖を構えて、魔力を集中させるんだ!」

 遠巻きに見守るモンスーンの声援を受け、私は不承不承、彼から貰った杖を構える。


(……魔力を、集中)


 シスターに教わった通り、ろうそくの火を灯すイメージを脳裏に描く。しかし、杖の先端から放たれたのは、か細い火花が数個だけ。それはスライムに届く前に、力なく空中で消えた。 ぷるん、とスライムが揺れる。まるで、馬鹿にされているかのようだ。


「もっと強く! 気合だ、気合!やればできる!」

 モンスーンが、どこかの体育会系のような精神論を叫んでいる。


  私は苛立ちを覚えながら、ありったけの魔力――といっても、常人には鼻で笑われるような微量だが――を杖に注ぎ込み、叫んだ。


「ええいっ!」


 ひ弱な声を捻り出した甲斐もあり、びりり、と杖の先端から放電のような光が迸り、スライムの体を直撃した。 手応えは、あった。 だが、スライムは少し痺れたように震えただけで、ダメージを受けた様子は全くない。それどころか、のそりとこちらに向かって跳ねてきた。


《あ、お客様! 危険です! 現在の戦闘力ではスライムに勝つのは困難かと! 戦略的撤退をご提案します!》

《リスク管理》の悲鳴のような声が響く。だが、後退は私の主義に反する。


 反転攻勢だ。


 スライムが足元に迫り、そのひんやりとした体で私の足に纏わりつこうとした、その瞬間だった。 私の思考から、魔法も、魔力も、全てが消え去った。


「——邪魔」


 ドンッ! 鈍い音と共に、私は振り下ろしていた。手に持っていた、大切な「現物資産」である杖で。 スライムの柔らかな体を、何度も、何度も、無心で叩きつける。


 手についた液体が気にならなくなった頃だろうか、ぷちり、と嫌な音がして、青い液体があたりに飛び散った。スライムは核のようなものを残し、動かなくなった。


 しん、と静まり返る森の中、呆然と立ち尽くすモンスーンと、ぜえぜえと肩で息をする私。 その沈黙を破ったのは、私の脳内に響く、嗚咽交じりの声だった。


《う、うわあああああん! お客様! 魔法の杖は打撃武器ではございません! なんという才能の無さ……私の描いていた、華麗に魔法を操るお客様の姿が……! このポンコツ! ううっ……》


 どうやら私の魔法の才能の無さは、このスキルに精神的ダメージを与えるらしい。


 その後、何度も挑戦を繰り返すうちに、私はかろうじて、スライム一体を魔力攻撃だけで仕留められるようにはなった。全魔力を捻り出して放った渾身の魔法が、ようやくスライムの核を破壊できるようになったのだ。


 その度に《リスク管理》は「奇跡です!」「やればできる子だとは思ってました!」と泣きながら喜んでいたが、私にとって、それは何の慰めにもならなかった。


 この日、私が初めてのモンスター討伐で手に入れた収益は、スライムの核(市場価格:銅貨1枚)と、「魔法より物理が早い」という、あまりにも無価値な教訓だけだった。



《あとがき》

投資家の皆様……うっ……ううっ……。

わ、わたくし、CEOナツキ・カナリア様の筆頭秘書スキル、《リスク管理》でございます……。本日の第九期事業報告は、涙なくしては語れません……。


まず、喜ばしいご報告から。当期、提携パートナーのモンスーン氏より、極めて優良な現物出資(『月長石の木』製の魔法の杖)がございました! これにより、わが社の資産は流動資産(銅貨)と現物資産を組み合わせた、リスク分散の観点から極めて理想的なポートフォリを構築できたことをご報告いたします! ここまでは、完璧でした……。


次に、CEOの能力開発についてのご報告ですが……うっ、思い出しただけで涙が……。

CEOの戦闘能力向上のため、実戦訓練を行ったのですが……結果、CEOには魔法の才能が輪をかけて壊滅的であることが再確認されました。あろうことか、心のこもったプレゼントである魔法の杖を、原始的な打撃武器として使用するという、前代未聞の運用方法が観測されまして……わたくしの描いていた華麗な魔法少女の夢が……うわああああん!


し、しかし! 結果として! この型破りすぎる手段により、わが社は記念すべき初の事業収益(スライムの核:銅貨1枚相当)を達成いたしました……! 確かに、結果が全ての資本主義の世界では、これも一つの正解なのかもしれません……。ですが、プロセスが! あまりにも! あまりにも脳筋すぎます……!


このポンコツCEOの将来が、本気で心配です……。皆様の温かい追加投資(評価)と、励ましのお言葉(ご感想)だけが、わたくしの心の支えでございます……。何卒、よろしくお願い申し上げます……。


以上、CEOの物理攻撃の威力に若干引いている、皆様の担当スキル《リスク管理》でした……。

ご精読、ありがとうございました……。

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