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第7話:商業都市エルドラド

 チャードラルの後について半日ほど歩くと、地平線の先に、巨大な城壁が見えてきた。近づくにつれて、その威容が明らかになる。石を精密に組み上げた壁は天に迫るほど高く、その上を多くの兵士が行き交っていた。ここが、商業都市エルドラド。ここらの経済と物流の中心地だ。


「さあ、着きましたよ」

 チャードラルの言葉と共に城門をくぐると、そこは今まで私が生きてきた世界とはまるで違う、活気と喧騒に満ちた空間だった。


 石畳のメインストリートの両脇には、多種多様な店が軒を連ねている。武器屋の店先には磨き上げられた剣や鎧が並び、香辛料を扱う店からは異国の香りが漂ってくる。道行く人々の服装も様々で、屈強な冒険者、裕福そうな商人、荷を運ぶ労働者たちが、互いに肩をぶつけながら忙しなく往来していた。全てが生命力に溢れ、躍動している。


「すごい……人がいっぱいだ……」

 モンスーンは初めて見る大都市の光景に目を丸くし、きょろきょろと辺りを見回している。


 だが、私の目は違うものを見ていた。 人の流れ、金の流れ。商品の供給と、それを求める人々の需要。この街全体が、一つの巨大な市場として機能している。私の血が、騒ぐ。


《素晴らしい市場ですね、お客様!この活気、この物流!GDP成長率のポテンシャルをひしひしと感じます!まずはSWOT分析から始め、我々の強みを活かせるニッチな分野で独占的地位を築きましょう!》


 頭の中で、《リスク管理》が興奮気味に早口でまくし立てる。その意見には、今回ばかりは私も同意だった。ここは、私の知識とスキルが最も輝く戦場だ。


 チャードラルはそんな私の内心を知る由もなく、人波を器用にかき分けながら、私たちを街の奥へと導いていく。やがて、ひときわ大きく荘厳な教会の建物が見えてきた。彼が仕えているという教会だ。そのすぐ隣には、教会に寄り添うようにして、質素だが清潔な二階建ての建物が建っていた。


「ここが、あなたたちの新しい家です」

チャードラルが指し示したのは、その二階建ての建物だった。扉には「太陽の子らの家」と書かれた古びた木の看板が掲げられている。どうやら孤児院のようだ。


 扉を開けると、中から子供たちの賑やかな声が聞こえてきた。私たちに気づいた十数人の子供たちが、わっと集まってくる。皆、私やモンスーンと同じように、様々な事情で親を失った子供たちなのだろう。


 チャードラルはまず、モンスーンを医務室へと連れて行き、薬草を練ったものを塗り、清潔な布で腕を固定してくれた。ようやく本格的な治療を受けられたモンスーンは、心底安心したような顔をしている。


 その後、私たちはシスターだという優しそうな女性に温かいスープとパンを与えられ、屋根裏の小さな部屋をあてがわれた。部屋には簡素なベッドが二つと、小さな窓が一つ。窓からは、活気のあるエルドラドの街並みと、遠くに見える教会の鐘楼を望むことができた。

 

 その夜、ベッドに横になっても、私はなかなか寝付けなかった。 隣のベッドでは、モンスーンがすうすうと安らかな寝息を立てている。新しい環境と、腕の治療、そして満たされたお腹。彼にとっては、ここは心から安心できる場所なのだろう。


 だが、私は違った。 この温かいベッドも、三度の食事も、私にとってはゴールではない。ただのスタートラインだ。チャードラルやシスターの善意は、あくまで彼らの個人的な感情に基づくもので、持続可能なシステムではない。いつか失われる可能性のある、不確かなものだ。


 絶対的な安定と自由を手に入れるには、私自身の力で、揺るぎない資本を築き上げるしかない。


 私は静かにベッドから起き上がると、小さな窓辺に立った。 眼下に広がる商業都市エルドラドの夜景。それは、無数のビジネスチャンスが眠る、宝の山に見えた。


(待っていろ、エルドラド)


 私は心の中で呟く。


(この街の富は、いずれ私が支配する)




◇◇



 商業都市エルドラドでの新しい生活は、驚くほど穏やかに始まった。 日中、モンスーンは持ち前の明るさと身体能力ですぐに孤児院の子供たちの中心になっていた。鬼ごっこのような遊びでは誰よりも速く走り、年下の子供たちを肩に乗せては、屈託のない笑い声を中庭に響かせている。彼の腕の怪我はチャードラルとシスターの手厚い看護のおかげで日増しに良くなっており、その表情には奴隷だった頃の暗い影は微塵も感じられなかった。


 その間、私はといえば、孤児院の小さな図書室で、シスターの一人から文字の読み書きを教わっていた。 この世界で資本を築き上げるには、まず契約書を読めなければ話にならない。情報こそが力であり、その情報は文字によって記録される。読み書きは、私がこの市場で戦うための最低限の武装だった。


「いいですか、ナツキさん。この文字は『al』と発音して、太陽や光を意味します。ですが、この文字の隣に来ると、今度は『祝福』という意味に変化して……」


 シスターは根気強く教えてくれるが、正直なところ、苦痛でしかなかった。 この世界の言語は、恐ろしく非効率だった。一つの文字が文脈によって複数の意味を持ち、助詞や語尾の変化は複雑怪奇。前世の日本語も相当なものだったが、これはそれを遥かに凌駕する。私の脳は、経済モデルや金融派生商品の複雑な計算式を理解するために最適化されているのだ。こんな曖昧で、例外だらけの自然言語の習得には全く向いていなかった。


 二時間もすれば、私の集中力は限界に達した。思考は完全に停止し、シスターの声はただの雑音に変わる。


(……おい、リスク管理)


 私は内心で、忌々しげに呼びかけた。


(お前、スキルなんだろう。どうにかしろ。この言語体系を私の脳に直接ダウンロードするとか、そういう便利な機能はないのか)


《えっ!?》

 脳内で、普段の十倍は素っ頓狂な声が響いた。


《い、いや、お客様、それはちょっと専門外と申しますか……そもそも言語というのは文化の根幹を成すものであり、その歴史的背景や民族性を理解せずして真の習得は……》


(言い訳はいい。できるのか、できないのか)


《…………》


 《リスク管理》は気まずそうに黙り込んだ。どうやら、本当に経済関連以外の機能は搭載されていないらしい。この役立たず。


 沈黙が数秒続いた後、彼女は待ってましたとばかりに、慌てて話題を転換した。


《そ、それよりお客様! ご覧になってください、あちらを!》

 《リスク管理》が指し示す(もちろん、脳内でだが)方向へ、私は無意識に視線を向ける。図書室の窓から、中庭で遊ぶ子供たちの姿が見えた。その中心で、モンスーンが満面の笑みで、小さな女の子を高い高いしている。太陽の光を浴びたその笑顔は、一点の曇りもなく輝いていた。


《まあ! なんて素敵な笑顔でしょう! 市場における希少性の原理に基づけば、あの無償の笑顔の価値はプライスレス! いえ、GNP(国民総幸福量)を大幅に引き上げる、まさに国宝級の資産ですよ!》


(……何が言いたい)


《お客様も、素直にああいう笑顔を見せれば、モンスーン様との関係もより一層深まるというもの……あらあら、お客様? なんだか、ちょっとだけ口元が緩んでいらっしゃいますよ? もしかして、見惚れて……》


「...別に」


 私は誰に言うでもなく呟くと、再び目の前の教科書に視線を叩きつけた。だが、頭に入ってくるのは相変わらず意味不明な文字の羅列だけで、私の脳裏には、先ほどの太陽のような笑顔が焼き付いて離れなかった。





《あとがき》

投資家の皆様、第七期事業報告会にようこそ!

わたくし、CEOナツキ・カナリア様の筆頭秘書スキル、《リスク管理》でございます!


まず、皆様にご報告いたします! わが社は、エンジェル投資家チャードラル氏の全面的なバックアップのもと、新拠点となる商業都市エルドラドでの経営基盤(孤児院での生活)を完全に確立いたしました! これにより、食料調達等の目先の課題から解放され、長期的な経営戦略の策定に着手できるフェーズへと移行したことを、ここに宣言いたします!


現在、CEOは本格的な市場参入に先駆け、最重要スキルである**「読み書き能力」の習得という、極めて重要な自己投資**に邁進しておられます。現地の言語体系が、想定以上に非効率なレガシーシステムであるという課題に直面しておりますが、CEOの卓越した知性をもってすれば、克服は時間の問題でしょう!


一方、わが社の最重要パートナーであるモンスーン氏は、心身ともに万全の状態を取り戻し、そのプライスレスな笑顔によって、周囲のステークホルダー(孤児院の子供たち)の幸福度(GNP)を日々向上させております。彼の存在は、わが社の企業イメージを向上させる、まさに「歩く広告塔」と言えましょう!


そして、投資家の皆様! ここで一つ、非常に興味深いデータがございます!

CEOが、モンスーン氏の笑顔に無意識に影響を受けているという観測結果が得られました! これは、従来の事業領域(資本市場)に加え、新たな市場(恋愛市場)への関心が芽生え始めた兆候かもしれません! 事業の多角化! 素晴らしい響きですね!


さあ、本格始動の時は目前です!

この静かなる飛躍の時こそ、皆様の慧眼が試される絶好の投資タイミング! 未来への期待を込めた追加投資(評価)と、株主総会(ご感想)へのご参加を、心よりお待ちしております!


以上、CEOの不器用な一面にキュンときている、皆様の担当スキル《リスク管理》でした!

ご精読、誠にありがとうございました!

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