6話 少しだけ距離が縮まる
時間が止まったかのように、僕たちはしばらくの間、言葉もなく見つめ合っていた。
気まずさと動揺で、ただ互いの存在を意識しながら沈黙が続く。
(どうすればいい? この状況……)
凡人なりに、必死で脳をフル回転させながら言い訳を探していると、先に口を開いたのは東山さんだった。
「か、加川君……だよね? どうしてここにいるの?」
彼女の声は震えていた。
もしかすると僕が思っている以上に、彼女は今の状況を怖がっているのかもしれない。
「えっと……その、一人カラオケが趣味で、歌いに来てたんだけど……隣の部屋から、すごく歌が上手い声が聞こえてきて。つい、気になって……」
咄嗟に出た言い訳だった。どこまで信じてもらえるかは分からない。
「でも……さっき、“マコ”って……」
「マコって知ってるの!?」
彼女がその名前を口にした瞬間、思わず前のめりになってしまった。
「こ、これ以上は近づかないで!」
東山さんは怯えたような顔で、両手を胸の前に出して制止した。
僕が悪い。それは分かってる。
だけど、その拒絶の言葉はナイフのように胸に刺さった。
「……ごめん」
謝るしかなかった。僕はうつむき、黙り込んでいると——
「どうかされましたか?」
店員さんが、異変に気づいてやってきた。
通報されるかもしれないと覚悟したそのとき、東山さんが慌てて口を開いてくれた。
「だ、大丈夫です。ちょっと……驚いただけで」
「そうですか。何かあれば、すぐに呼んでくださいね」
店員さんは怪訝そうな目で僕を見たあと、静かに去っていった。
再び二人きりになって、東山さんが口を開いた。
「……ごめんなさい。私、男の人がちょっと苦手で。だから……驚いて、大きな声出しちゃって……」
「謝らないでください。悪いのは僕のほうです。勝手にドアを開けて近づいて……怖がらせてしまって、本当にごめんなさい」
必死で頭を下げた。
謝るべきなのは僕で、彼女には何の落ち度もない。
でも、同時に少しだけ安堵している自分がいた。
昨日避けられていたのは、僕が嫌われたわけではなく、彼女が男に苦手意識を持っていたから——そう分かったからだ。
だから僕も、正直に話そうと思った。
「昨日のこと、謝りたかったんです。だから……カラオケに入る東山さんを見て、後を追いかけてしまいました」
「昨日って……?」
「その……東山さんの顔、じっと見ちゃって……不快な思いをさせたかと思って……」
「えっ、あ……そのこと……。たしかに、すごく見てくるから、私の自己紹介おかしかったのかなって思っただけで、嫌な気持ちになったわけじゃないです」
……そうだったのか。僕がずっと悩んでいたことは、東山さんにとっては大したことじゃなかった。
胸のつかえが、ふっと軽くなる。
「よかった……入学初日から、あんな可愛い人に嫌われるなんて、さすがにキツいから」
安心した僕は、つい、口が滑った。
「……か、可愛いなんて……」
顔を真っ赤にした彼女に気づいて、慌てて話題を変える。
「えっと、東山さんって……Vtuberの“桜田マコ”の声に似てるよね」
その言葉に、東山さんの体がピクッと反応した。
「桜田マコ……知ってるんですか?」
「もちろん。僕の推しですから」
それをきっかけに、僕の語りが止まらなくなった。
「彼女の全部が好きだけど、とくにあの歌声が最高なんです。アカペラでオリジナル曲を歌う時とか、本当に鳥肌が立つんですよ。あと、卒業配信のあの演出、泣きましたよね」
興奮した僕は、矢継ぎ早にマコの魅力を語り続けてしまった。
我に返って、東山さんの様子を見た。
俯いたまま、肩が小さく震えている。
(まずい……さすがに引かれたか?)
「あの……怒ってます?」
おそるおそる尋ねると——
「い、いえ……ちょっとうれしくて……」
「……もしかして、東山さんもマコのファンなんですか?」
「え……っ」
あからさまに動揺した様子。けれどその反応を、僕は“ファン仲間”への照れだと思っていた。
「うわ、嬉しい! 同士ですね! 僕、マコのこと大好きで……いや、大好きっていうか、もう“愛してる”レベルですね」
軽口のつもりだった。
でもその言葉に、何故か東山さんの顔はますます真っ赤になっていた。