3話 君に贈る、最後のファンアート
彼女の卒業ライブまでの数日間、僕は“感謝”の気持ちを込めて絵を描き続けていた。
三年間、毎日を彩ってくれた桜田マコに——僕なりの「ありがとう」を届けたかった。
でも、想像以上に描けなかった。
下書きをしても「違う」、色を塗っても「まだ足りない」と感じては、消して、描いて、また消して。
気づけば深夜、タブレットを前にため息をつく日々だった。
「こんなんじゃダメだ……もっと、ちゃんと伝えたいのに……」
ただ“上手い”だけじゃ足りなかった。
この絵には、彼女の声に救われた日々も、笑顔になれた夜も、前に進めた朝も、全部を詰め込みたかった。
描いては悩み、描いては崩し、それでも諦めずに続けて——ようやく納得のいく一枚が完成したのは、卒業ライブの前日だった。
「……なんとか、間に合った……」
タブレットに映る完成画は、僕のすべてだった。
技術でも、構図でもない。心で描いた、僕だけの“感謝”だった。
でも、投稿がライブの前日では、彼女に届かないかもしれない。
もうファンアートを紹介するタイミングなんてないだろう。
それでも、不思議と後悔はなかった。
「……届かなくても、いいや」
これは“見てもらうため”じゃない。
“描きたい”という僕の想いと、“ありがとう”という気持ちの整理だった。
投稿ボタンを押したあと、僕はスマホを握りしめ、卒業ライブの始まりを待った。
やがて時間になると、画面の向こうに彼女の明るい声が響いた。
『今日はみんな、私の卒業ライブに来てくれてありがとう……! 最後になるけど、楽しんでいこうね!』
その声を聞いた瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。
わかっていたはずなのに、いざ現実になると、想像していたよりずっと苦しかった。
「マコ――……」
思わず声が漏れた。画面越しなのに、目頭が熱くなった。
配信には数十万人ものファンが集まっていた。
流れるコメントはすごい速さで消えていくけど、それでも全部が“ありがとう”に見えた。
ライブは本当に特別だった。
同じ事務所「フラワーガールズ」の仲間とのコラボに、個人Vtuberたちとのサプライズデュエット。
笑いがあって、涙もあって、まるで彼女の三年間を凝縮したようなステージだった。
そして、ラスト——彼女はアカペラで、自作のオリジナル曲を歌った。
BGMも何もないのに、あの声だけが心に響いて、僕はただ画面を見つめていた。
気づけば、もう一時間が経っていた。
『今まで応援してくれて、本当にありがとう。みんなと過ごした時間は、すごく楽しかったよ』
彼女が画面の中で、最後の手を振る。
その笑顔が、まぶしくて、優しくて、切なくて……僕は言葉を失った。
そして、画面がふっと暗くなり、静かにエンドクレジットが流れ始めた。
スタッフ名、演出、音響……スクロールされていく名前の中に、ふと、見覚えのあるイラストが映った。
「……え?」
僕の絵だった。卒業ライブの前日に、必死に描いて、投稿した——あの一枚。
息が詰まる。思わずスマホを持つ手が震えた。
もしかしたら、本当に、ライブ直前に見てくれたのかもしれない。
理由なんてどうでもよかった。
「見てくれたんだ……マコ……」
気がつくと、涙が頬を伝っていた。
届いたんだ。僕の“ありがとう”が。彼女に、ちゃんと。
エンドクレジットのあと、ステージがもう一度映る。
マコが振り返り、最後の笑顔を見せて、静かにステージを降りていった。
ありがとう、マコ。
本当に、楽しかったよ——。