2話 君に救われて、僕は君を描き続けた
桜田マコに絵を褒められてから、僕の毎日は少しずつ、でも確実に色づいていった。
あの日を境に、まるで何かが吹っ切れたみたいに、ペンが止まらなくなった。
もっと上手くなりたい——その一心で、独学でイラストの描き方を調べまくった。プロのメイキング動画を何度も巻き戻しては見て、ひたすら描いた。最初は全然うまくいかなくて、何度もため息をついたけど、それでも描く手を止める気にはなれなかった。
気づけば、マコのファンアートばかり描いていた。
描き上げるたびにSNSに投稿して、通知が鳴るのを待った。
「……うわ、いいね増えてる……!」
通知を見るたびにニヤけてしまう自分がいた。最初の頃は誰にも見向きもされなかった投稿に、少しずつ“反応”がつく。それが、すごく嬉しかった。
でも、何よりも一番心を躍らせたのは——マコ本人からの“いいね”だった。
ときどき「この絵、動画で使わせてもらってもいいですか?」ってDMまで来ることもあった。
「もちろんです!」って即レスしながら、心の中では跳ね回っていた。
自分の絵が動画の背景やサムネイルに使われていると、何度も何度も再生して、布団の上で転げ回っていた。
——もしかして、自分だけが特別なのかも。
最初はそんな風に思っていた。
だけど、すぐに現実は見えてくる。
マコは、他のファンにも同じように優しかった。
たくさんのファンアートに「いいね」をつけて、丁寧にコメントを残して、配信でも紹介していた。
……正直、ちょっとだけ嫉妬した。
でも、それ以上に思ったんだ。
——こういうところが、彼女が愛されている理由なんだろうなって。
気づけば、チャンネル登録者は50万人を超えていた。
配信を開けば、いつも数千人がコメントで盛り上がっている。
雑談配信も大好きだったけど、僕が一番惹かれたのは、彼女の“歌”だった。
特にアカペラで歌うとき。
楽器もBGMもない、彼女の声だけが響くその瞬間——心が奪われた。
透明感があって、でも芯のある歌声。聴いた瞬間、鳥肌が立ったのを今でも覚えている。
その頃には、もう完全に“推し”だった。
推すしかなかった。推さずにはいられなかった。
僕の中学生活は、気づけば桜田マコ中心に回っていた。
学校では相変わらず、美術部で一人黙々と絵を描いていた。
クラスでも特に目立たず、友達も少ない。けど、それでよかった。
家に帰れば、マコの配信がある。描きたい絵がある。それだけで、十分だった。
そして、季節は冬。
中学卒業まで、あと少し——という時期だった。
その日も、いつもと同じように通知が来た。
「桜田マコの配信が開始されました」
イヤホンをつけて、部屋の明かりを落として、スマホの画面を見つめる。
……でも、その日だけは、何かが違っていた。
『——こんばんは、桜田マコです。今日はね、ちょっとだけ、みんなに大事なお知らせがあって……』
その言い方が、妙に胸に引っかかった。
普段通り明るいトーンなのに、どこか緊張しているような、そんな声。
『突然だけど……今月いっぱいで、私、引退することにしました』
心臓が、一瞬止まった。
『リアルで、どうしても向き合わなきゃいけないことができて、ね。わがままでごめんね』
『でも、最後の配信まで、みんなと一緒に楽しい時間を過ごしたいから。よかったら、最後まで見届けてくれたら嬉しいな』
画面の中のマコは、いつも通り笑顔だった。
でも、その笑顔が少しだけ、痛々しく見えた。
……本当は、彼女自身が一番寂しいんだ。
画面越しなのに、それが伝わってきた。
僕の中で、なにかが音を立てて崩れる。
毎日の楽しみも、支えも、憧れも——全部が終わってしまう。
でも、彼女の決断を引き止めることなんて、僕にはできなかった。
画面の向こうの彼女に、そんなことを言う資格なんて、僕にはない。
「……最後まで、見届けよう」
スマホを胸に抱きしめながら、小さくつぶやいた。
そして、僕は決めた。
卒業式までに——彼女にとっての“最後の一枚”を描こう。
感謝と、さよならの気持ちを込めて。