君は一体何者だ?
ルベリアム王立学校のテラスで、数人の女生徒がある噂話で盛り上がっている。
シンシアは本を片手に、優雅なティータイムを過ごしているのを装いながら、耳をそばだててその話を聞いていた。
「第二王子のフォルカー殿下が、特待生と人目をはばからず、二人っきりでお過ごしになられていたって聞いたのだけど、貴女たちはご存知かしら?」
「知っているわ! 二学年の中で知らない生徒はいないのでは?」
「それって、王族と平民の禁断の恋? でも、殿下にはご婚約者がいらっしゃると耳にしたことが」
「それこそ噂よ。誰も見たこと無いじゃない!」
だんだんと大きくなっていく女生徒たちの声に、シンシアの顔もそれに比例するように曇っていく。
「もしもよ? もし、婚約者がいるとしたら、殿下をはさんで特待生と婚約者の三角関係に」
「なんてこと!」
女生徒たちは声を低くして顔を見合わせた後、嬉しげな悲鳴をあげた。
シンシアの手に力がこもり、本がグシャリと折れ曲がる。
(これは確かめなければ! 威信にかけてもそんな醜聞が、国内に広まるのを防がないと!)
内心の焦りを表に出すことなく、ふわりと立ち上がった彼女は、楚々とした動きでテラスを後にした。
◆◆◆
その日からシンシアの監視が始まった。
自身の授業は欠席し、フォルカーの行動を物陰から見つめる。
傍から見ている者がいたら、彼女自体が不審者でしかないのだが、王家の威信を守るために必死な彼女はきづかない。
そしてとうとう決定的な現場を目撃してしまう。
あろうことか、シンシアの目前でフォルカーと例の特待生が、イチャつき始めたのである。
目前とは言っても、人けのないベンチに二人は座っていて、シンシアはそれを建物の陰から眺めているのであって、決して近くで見ている訳ではないのだが。
(ちょっと待ってよ! ありえない! あのバカ、何考えてるの!?)
これ以上は看過できないとばかりに、二人を止めに入ろうとした彼女は、背後から誰かに腕を掴まれ、何事かと後ろを振り返る。
「驚かせてすまない。証拠の写真だけ撮らせて貰えれば、後は邪魔しないから」
「貴方は……。証拠の写真?」
シンシアの行動を遮ったのは、乱れた茶髪に目まで隠された青年だった。
彼は一つ頷き、首から下げたカメラを指し示す。
「事情があってな。すまないが、少し待っててくれ」
「貴方、留学生? 醜聞は困るのだけど」
シンシアは眉をひそめながら、カメラを構える青年に声をかけた。
(私にタメ口だなんて、他国の人だとしか思えない。まあ、それはいいとしても! 特待生が撮られるだけならともかく、フォルカーが一緒に撮られるのは大問題なのよ!)
「醜聞? ああ、いや、殿下に迷惑はかけないから安心してくれ。断りを入れるための保険にするだけだ」
「写真を撮られること自体が問題なのよ。特待生だけが目的なら、違う機会を探してくれるかしら?」
シンシアが語気を強めると、彼はゆっくりカメラを下ろし、シンシアをじっと見つめて、しばらく沈黙する。
前髪からチラリと覗くその目は切れ長で、透き通るような金色をしていた。
(金色の目? コンベルン王国人の特徴だったかしら。それなら、この青年はやっぱり留学生ね)
「ならご令嬢。写真を撮るのをやめる代わりに、恋人のふりをしてくれないか?」
「……誰が何のふりですって?」
「君が俺の恋人だと、必要な場面で主張して欲しいんだ」
(変な人だ) シンシアは目の前で話している青年に、胡乱げな眼差しを向けた。
「なぜそんなことをする必要があるの?」
理由によっては、校長に突き出し、隣国へ強制送還して貰おうと、彼が口を開くのを待つ。
「これには深い訳があるんだが」
◆◆◆
青年、ライアンが語った内容によると、彼は特待生のピオニア嬢に、よく迫られており、いい加減辟易したため、交際を断る口実を作ろうと、この数日彼女の行動を監視していたらしい。
シンシアと監視対象は異なるが、同じような動きをしていたライアンに、シンシアは親近感を抱いた。
「交際を断るにはそれなりの理由が必要だろ? ピオニア嬢はフォルカー殿下と親しい仲だと噂されてたからな。現場を抑えた写真でも見せれば、近寄ってこなくなるだろうと思ったんだ」
「でもそれは」
「困るんだろ? だから、写真を撮るのは諦めて、その代わり、君に恋人役を頼むことにした訳なんだが、引き受けてくれるか?」
ライアンの理路整然とした説明に、シンシアはころりと納得させられてしまう。
(フォルカーの醜聞が広まるより、私に恋人ができたという噂の方が断然マシね)
顎に指を添えて頷く。
「私に婚約者がいなくて良かったですね。ピオニア嬢が貴方を諦めるまで、精一杯やってみせましょう」
「本当か? 助かる。ところで、君の名前はなんて言うんだ?」
ライアンの口から、人生で一度も聞かれたことの無い質問が飛び出し、シンシアは目を丸くした後、笑いだしてしまった。
(……少しくらい意地悪してもいいかしら?)
「失礼しました。私はシンシア。家名は教えなくても問題ないでしょ?」
◆◆◆
シンシアがライアンの恋人役を引き受けてから、はや数日。
ライアンと二人で、ピオニア嬢を観察することで、シンシアはあることに気がついた。
ピオニア嬢は、フォルカー以外の複数の男子学生とも、二人きりで親しく過ごしていたのだ。
(そのことごとくが、権勢を誇る家柄のご子息だなんて。これはゆゆしき事態ね! 地獄絵図になる前に気づけて良かったわ)
下手をしたら、ピオニア嬢を巡ってご子息同士の争いが起こり、果てには内乱になっていたかもしれない。
「何人もの男と親しくできる度胸がすごいな」
「感心してる場合ではないです! ほとんどのご子息には婚約者がいるんですよ!? 大事になる前に処理しなくては。私、用事ができたので、今日は帰らせていただきます」
「急にどうした?」
「ライアン。これからは、あの令嬢に迫られることはなくなると思うので、安心してください! それでは、失礼いたします」
シンシアは困惑顔のライアンを残して、風のように学校を後にした。
◆◆◆
シンシアがライアンを困惑させて帰った日の数日後。
ピオニア嬢の退学と、フォルカーを含めた複数の男子学生の停学が、全校生徒に通達された。
シンシアは学校のテラスで、悠々自適にティータイムを過ごしながら
「シンシア。君は一体何者だ?」
ライアンに尋問されていた。
「私は、この学校の三年生で、普通の女生徒の一人ですよ?」
「とぼけないでくれ。今回の件、君の仕業だろう? ただの一生徒が、学校を動かせる訳がない」
「……お付の方に聞いてみたらどうかしら、ライアン・コンベルン殿下。恋人役、楽しかったわ。それでは、心置きなく留学生活を満喫なさってくださいませ」
ライアンの唖然とした顔を尻目に、シンシアは優雅にお辞儀し、軽やかにテラスから逃げ出した。
(お父様……いえ、陛下が教えてくれなかったら、ライアンが隣国の王子だとは夢にも思わなかったかも)
フォルカーの醜聞はしばらく経てば忘れられるだろうし、学校の風紀を乱していた特待生もいなくなった。
シンシアは晴れやかな気持ちで空を仰ぐ。
(今回の事件。愚弟にはいい教訓になれば嬉しいんだけど。特待生制度は見直した方がいいのかもしれない。お兄様と陛下に提案してみよう)
シンシアはルベリアム王国の王女としてふさわしい、威厳のある表情を浮かべ、王城がある方角を見つめた。
END
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