叶わぬ夢でも幻を見るくらいなら(3)
***
「まずは基本的なワルツから。ゆっくりやっていこう」
「は、はい」
ゆっくりと、彼が私の呼吸に合わせてくれる。
挨拶にはじまって挨拶に終わるのが社交ダンスだ。
始めの挨拶をお互いにしてから構えを取り踊り、終わったら今度は感謝の挨拶をして一曲を終える。
「1、2、3…2、2、3…」
腕は絡め合うように添え合うように。
足は揃えるように競うように。
ゆっくりなのに、記憶とは全然違う。確かに私のダンスにまつわる記憶は十四で止まっているし、ダンスの授業も何度かしか受けてないから当然といえばそうなんだけど。
四つの工程をさらに四つのステップに分けて同じことを繰り返す。
右回りからはじまって、途中で反対にステップを踏むことでくるくると回るようにダンスは続く。
「すみません…」
呟くように謝る私は、ここまででフィン様の足を何度か踏んでしまっている。なぜかと言えば、相手の足が自分の足にピッタリつく様にお互いステップを踏むものだからなんだけど。相手の足を踏むことは修練が足らないだけでなく純粋に無礼なこと。
正直、まさか自分がこんなに不器用だとは思わなかった。
「構わない。初心者なんだから」
「あ、ありがとうございます…」
そうは言っても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
さらに気になると言えば本当に、びっくりするくらい密着すること。お、お腹なんてくっついてしまっているし。
これではフィン様のお召し物が汚れてしまうのでは無いだろうか。私のメイドの服なんて、掃除してる以上そんな綺麗なものでもないのに。
「あの…」
「なんだい?」
「お召し物が、汚れませんか。この密着度合いは…」
「構わないさ、どうせこれから着替えるんだ」
「そういうものですか…?」
貴族の感覚はもうわからないな。私でもお母様に服の汚れは気にするように言われていた気がするんだけど。
「そういうものだよ」
目の前の彼の声は、なぜかどこか弾んでるように聞こえた。気のせいかもしれないけど、でもどこかでそうだといいと思う自分もいる。
「さて、次が最後のステップだ」
そう言って、とん、とん、と二つ。綺麗に丸く収まるようステップを踏んで、そっと離れる。最後にお互い礼をして、一まとまりだ。
「ふぅ…」
慣れない緊張に胸を撫でる。これは今までに感じたことのない疲労だ。
「初めてにしてはよく出来てたと思う。イメージトレーニングが効いたかな」
「それ今言いますか…」
さっきのお粗末なダンスを引き合いに出さないでほしい。イメージトレーニングって言い方はオブラートに包んでくれたのか嫌味なのか。
「はは、冗談だよ」
そう言って笑った彼を、私はこの屋敷にきて初めて見た。
そして朧げだけど、ずっと昔にはもっと笑っていたような気もして…不思議な気持ちになる。
「今日は夜も遅い、ここまでにしよう」
「はい、ご指導ありがとうございました」
「いつもこの時間にここの掃除を?」
その言葉に私は気まずく視線を逸らす。
「いえ、今日は罰掃除でして…」
「そう…わかった。とにかく今日は帰ろう」
「? わかりました」
フィン様は私の言葉に少し考えるようなそぶりを見せてから、すぐ何事もなかったかのようにホールの外へ向かう。
私は慌てて、それに釣られる様な感じにダンスホールを出て、フィン様とは扉を出てすぐお別れした。
それからダンスホールの鍵を締めて、掃除用具を片付けて、時計を見たときには日付が変わっていて、慌てて部屋に戻って着替えて寝ようとした時。
「…?」
ふわりと、何かが香った。
嗅ぎ慣れない、自分ではない匂い。
香水のような匂いがする。
確かにどこかで…。
「あ…」
思い出される、さっきまでのダンス。
密着した服、触れ合った肌。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
思い出したら熱くなってしまう。異性とあんなに近いのなんて初めてじゃんか!
フィン様、やっぱりよくなかった様に思いますよ! 今日のレッスン!
なんだったんだろうあの人。私が見てないだけで、私以外にもあんなお伽話みたいなことしてるのかな…?
そうだったら、なんか嫌だけど。
私は恥ずかしさで高鳴る胸と、あれこれ考えて仕方ない脳内ととにかくおさらばしたくて急いでベッドに籠った。それでも髪や肌についた残り香が私に先ほどまでの時間を思い出させる。
結局その日はなかなか眠れなくて、遅番だと言うのに翌日お昼を食べ損ねた。
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