叶わぬ夢でも幻を見るくらいなら(2)
「…」
寄りかかっていた壁から数歩前に出て、構えをとる。
右手は相手の方腕に。
左手は伸ばして手を繋ぐように重ねる。
添えるように、絡ませるように。
目を閉じて、遠い遠い記憶を掘り返す。
「…確か、右足から」
右回りに、回るように…。
「1、2、3・・・」
相手の足と揃える意識を持って、背筋は正して。途中で反対に回り始めて、目が回るのを防ぐ。
もうなんの曲の練習だったかもわからない。
ただの遠い夢、憧れの泡沫。
きっとステップもぐちゃぐちゃで、何一つ合ってるものなんて無いダンスなんだろう。
でもそれで良いんだ。どうせ叶わない幻想なんだから。
雰囲気だけ、味わえれば。
「ラ、ララ、ラ、ラ…」
適当な鼻歌で音楽をつける。
子供の頃は憧れだった。華やかドレスを着て、こんな素敵なダンスホールでたおやかに舞うことが。
翻るドレスの裾のなんと美しい事だろう。私も似合う紅を唇に差して、華麗に表情もつけて、そんな世界に憧れた。
あぁ、あぁ…叶わぬまぼろし。
「…」
考えれば考えるほど脚は重たくなって、枷がついたように…やがて止まった。
虚しい。
悲しい。
この気持ちはどっちだろう。
「はは…」
表情筋はピクリとも動かないのに、乾いた声だけが零れ落ちる。
そういえばと、不意にダンスホールの扉を半開きのままにしてたことを思い出す。これ以上開けていて誰かに見つかっても嫌だし、さっさと片付けて寝てしまおう。
「でもここってドアおもた…」
呟きながら俯いた視線をなんの気なしにドアに向けると、詳細まではわからない人影がまず見えた。
あ、やばい見られてた。そんなことを考えながら視線を上に向けると、予想外の人物が視界に映る。
「「!」」
扉の隙間から半分ほど身を乗り出して私を見ていたのは、なぜかフィン様だった。
てっきり私は深夜の見回りをしているマデリンさんか執事さんだと思っていたから怒られるのは覚悟出来てたけど、まさかフィン様に…主人に見られるなんて。
「あっ、も、申し訳ございません! 今片付けますので!」
なんて慌てて頭を下げるけど、ぜぇったい怒られるでは済まないぞこれは…。
そもそもなんでここに居るのか気になりはするけど、それよりも新たな罰が用意される程度で済めば良いなぁ…と、そんな事を考えながら私は慌ててモップとバケツを回収してそそくさとダンスホールから去ろうとする。
「あ、ま、まって!」
しかしその言葉と同時にモップを持つ腕を掴まれて、とっとと出ていこうと言う作戦は失敗した。お行儀悪いけど心の中で舌打ちが出る。
「な、なんでしょうか…?」
こうなったら半ばやけだ。いっそなんでもこい…辞職以外は。
「さっきの…ダンス?」
あっ、そこは掘り返さないで欲しかった。っていうかどこから見てたんだろう、恥ずかしくて死にそう。
「えー、あー…なんというか、分不相応にも…それを意識した戯れといいますか」
私の返答もしどろもどろだ。頭の中はくるくるぱーんである。
「も、ももも申し訳ございません! 分不相応にも関わらず掃除をサボって戯れなどと! 反省しております…」
こうなったら素直に頭を下げて許してもらうしかない。ノルマは終わってたとは言え道具を片付けるまでが掃除だし、それをサボって踊ってましたなんてふざけてるにも程がある。
「あー、その。良いんだ。怒ってるわけじゃなくて」
「…へ?」
驚いたあまり思わず下げていた頭を上げる。無礼だが聞き間違いかな?
…そういえば今日は避けないな、私のこと。
「そう、怒ってるわけじゃなくて…なんて言ったら良いのかな」
フィン様は困ったように首の後ろを右手で掻きながら、何か言葉を探している様に見えた。私は二回も聞こえた“怒ってない”と言う言葉に目を白黒させるばかり。
普通は権力者としての威厳の為にも叱り飛ばす所だと思うけど…この状況は一体。
「そう、あんな粗末なダンスは見たことがなくて」
「…」
は? と、言いかかってなんとか止めた。
丁寧に喧嘩を売ってらっしゃるのかしら、この主人は。
ダンスホールが暗くて表情が見えづらいのはありがたい。おかげで今のイラッとした表情を見られることもないから。
それに少なくとも下手くそなのは、わざわざ人に言われなくったって自分が一番解ってる。
「でも君は楽しそうに見えて、翻るスカートが綺麗で…その、見惚れていた」
「!?」
目の前の男が何を言っているのか、全くもってわからない。今なんて言ったこの人!?
今日ここまであれだけ険しい表情で避けておきながら、いやなんならさっきの失礼な発言も含めて、たくさん人を傷つけておいて。
こんな時だけ調子のいい事を言う。その真意が掴めない。
これはどう言う状況なんだろうか?
「あぁいや、変な意味じゃないんだ。普段はこう、君の顔をうまく見れないから」
「はぁ…」
自覚あったんですね。と言う言葉も飲み込んだ。うまく顔を見れないなんてもんでもない気がするけど。
「女性に対して失礼な態度も多かったと思う。すまなかった」
「…私はメイドでございますので、フィン様が私に対して謝ることはございません」
結局、主人が使用人をどう扱おうと自由で“弁える”と言うのはそういうこと。それを飲み込めないなら使用人は務まらないと、孤児院でもよく聞かされた。
というか、普通目下のものにほいほい謝っちゃダメだと思うんだけど。
「いいや、これは僕のケジメなんだ。僕は君と向き合わないといけない」
「…」
目の前にいるのは、普段自分を避けてくるような人間なのに、それなのに聞こえてくる声音があまりにも真剣で、私は「一介の使用人と向き合うことなどありません」と、言えなかった。
「今までの非礼、済まなかった。君さえよかったら…これまでのお詫びにダンスを教えさせてくれないか」
そう言って、彼は膝を付いて礼をする。
その声音がどこまでも真剣で、私はたじろいだ。
「ど、どうして、そんなこと」
私には、もう必要ないのに。
「…幼い頃を思い出したんだ」
どこかで喜びを抑えきれないのに、胸を押さえてまで押し込めようとしている私を見て、彼は言う。
「君はよく、僕と舞踏会に行くんだと息巻いていたなと」
「!」
そんなこと、そんな、こと。
私も覚えていなかったのに。
どうして、思い出してしまったの?
「どうか」
彼はそう言って私に手を差し伸べる。
「…願わくば、私と踊ってはいただけませんか?」
天井のガラスから漏れ出た月明かりが、静かに彼を照らす。
その瞳は、確かに私を見ていて。
私は。
私は。
何かに祈る様に、震えながらその手を取った。
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