従兄弟との再会
***
この屋敷の家令は御子息であるフィン様だ。旦那様は当たり前だが王城に勤めているし、基本的に必要がないなら帰ってこないらしい。
つまり、フィン様を尋ねるにしても寝室のある三階にはいないと考えた方が妥当だ。
この屋敷にもどこかに執務室があるはず。アリアは一階に執務室もあると言っていたので、とりあえず一階に降りてしまおう。
さっきのような予想してないことがあって欲しくないので、指示を仰ぐためにマデリンさんを探しつつもついでに執務室を探す。
マデリンさんに指示を仰ぐのが最優先だけど、先に執務室が見つかったらとりあえず場所を覚えておこう。
…と、思っていたが。
「アニーじゃないか」
「マデリンさん」
案外あっさりとマデリンさんは見つかった。助かるけどここは二階の階段の踊り場である。マデリンさんの隣には男性の使用人…ボーイの姿があるし、壁にかけられた絵画の前に二人は立っているので、少なくともこの絵画に何かあるんだろう。
「どうしたんだいアニー。執務室はエントランスを右だよ」
どうやらマデリンさんは私を迷子だと思ったみたいだ。間違ってはないしいい情報は手に入ったけど、最優先なのは予定の確認。
「ありがとうございます。先程、突然奥様のお部屋に先に行くようにと言われて行ってきたので、同じ様なことがないか不安で…」
「あぁ、そういうのは今は聞いてないよ。安心して執務室に行っておいで、坊ちゃんはいまお仕事をなさってるはずさ」
「よかった、ありがとうございます」
安堵に胸を撫で下ろす。あんまり急な予定は得意ではないので助かった。
「終わったらまたあたしのところにおいで。昼食の後の予定について話があるから」
「わかりました」
短いやりとりを終えてマデリンさんの元を失礼して、改めて執務室へ向かう。
「エントランスから右…」
屋敷の作法、というかメイドとしての作法まではわからないけど、なんとなくカーペットの敷かれた廊下は端を歩いてしまう。真ん中って多分主人とその家族と客人が使うと思うんだよね…。
通り過ぎた応接間には看板が下がってたから、執務室も同じになってたら嬉しいんだけど。
「あ…ここか」
応接間の反対側、さらに三つ奥の扉には看板が下がっていた。そこにはお目当ての“執務室”の文字。
すんなり見つかったことを幸運に思いつつ、やっぱり扉が見えるとこれからやるべきことを思い出して少し緊張する。
なので一度緊張を解こうと扉の前でまた吸って、吐く…
「「…」」
その瞬間、突然扉が開いて体を跳ねさせたら、目の前に執事さんが現れた。私は両手を広げた状態という大変恥ずかしい姿を一瞬でも見られたことになり、執事さんが堪えきれないといった様子で口元に拳を添えている。
「ふふ…失礼しました」
「あ、いえ…こちらこそお見苦しい姿を…」
見苦しすぎて顔から火が出そう。つらい。
「良いんですよ、少しお待ちくださいね」
執事さんは優しい口調でそう言うと、そっと扉を閉めた。
そこから体感的に一分かそこらだろうか、待っていると扉がもう一度静かに開く。
「どうぞ中に入ってください。坊ちゃんがお待ちです」
「ありがとうございます。失礼致します」
執事さんが開けてくれた扉からそっと中に入ると、部屋の奥で書類と睨めっこでこちらには目もくれない男性が、一人。
母親似であろう薄い金糸のような髪は長く、顔を覆うほどの前髪が向かって右側に全て寄せられている。後ろ髪は長く伸びて、粗雑に一纏めにされていた。
顰めたような眉とそれに釣られる垂れた切長の目元に三白眼の瞳、その色は疲れ切ったような緑色をしている。
すこしやつれた様な頬、色素の薄い肌、節だった長い指、高くなった背、なによりまともに食べてるのか心配になる細い体。
ここからだとよく聞こえないけど、何かずっと呟いてるのは書類の内容だろうか。いや、そうであって欲しい。若干動いているように見える唇が気になる。
「……」
一言でまとめると、疎遠だったとは言え従兄弟の成長に中々の不安を感じた。
まるで不健康を固めたような、胃薬で生きてるような、そんな成長というか。
私も大概栄養状態では人のことは言えないはずだけど、相手は立派な公爵子息で食べるものに困っていないはず。
なんてったってスペンサー家は国が所有する大規模領地の次に大きい中規模領地を預かる一流貴族。しかもそのホエー領は豊かな土地だ。それでご飯が食べられないなんてことはまずありえない。
今すぐにでも「飯を食え!!」と、引っ叩いてやりたい気持ちを抑えつつ、静かに息を整え頭を下げる。
「ご執務中失礼致します。ご挨拶が遅れましたご無礼をお許しください。本日よりこのお屋敷にてお世話になります、アニーと申します」
私が静かに挨拶をすると、途端に何やら呟いていた声が止まった。
「アニー…」
そう呟く声と、書類を机に置く音が聞こえる。私はまだ主人の許しを得ていないので頭は上げられないから、詳しい状況はわからない。
「…顔を、上げて」
「はい」
ゆっくりと姿勢を正す。
頭を上げた私の視線の先にいたのは、こちらを疑うような、期待するような、そんな視線をこちらに送るフィン様が見えた。
髪は夫人に整えてもらったものの、目元のクマやひどくなった肌まで改善したわけじゃない。
フィン様はなぜかこんな私をまじまじと見ているが、私としては今すぐぶん殴りたいくらい見られたくはない。だけど、それを言うわけにもいかないのでだまっていると、
「ア、ニー…アニー・ベイリー…」
力なく、私の名前を呟く彼の声が聞こえた。
それに対して私は、静かに視線を逸らす。
「…私はもうなんでもない“アニー”でございます」
しかし視線を逸らした瞬間、大きくものが崩れ落ちるような音がした。
「!?」
私が驚いて視線を戻すと、なぜか一階の窓から飛び出そうとしているフィン様と、それを止めようとしている執事さんが見える。
「ぼ、坊っちゃま!おお落ち着いてください!!」
「いや、無理! ほんと無理! 耐えられない!」
ガタガタと窓枠を掴んで外に出ようとする主人を、必死に止めようとする執事さんの図。失礼だけどまるで物語のようだ。
しかしそんな他人事でもいられない。錯乱する主人をなんとか止めなくては。
「うわあああああああああああっ!」
「フィン様、フィン様落ち着いてください!」
あわやあわやと手が伸びる。しかしそこで執事さんが突如振り返った。
「アニーさん! ここは私が! あなたはマデリンさんのところへ!!」
「いやでも!」
私の何がそんなに嫌だったのかわかんないけど、これほっとけないでしょ!?
「大丈夫です! ちょっと動揺されてるだけですから! さぁ早く!」
「わ…わかりました!」
あの優しい第一印象からはとても考えられない執事さんの剣幕に圧された私は走って部屋を飛び出した。まだ中からガラガラと音が聞こえるけど執事さんは大丈夫だろうか。
…にしても、私はフィン様に対して何かそんなに嫌われるような事でもしたんだろうか?
挨拶が間違ってた?
私が覚えてないだけで男性に向けた作法があっただろうか?
もしは同じように記憶がないだけで過去に何か嫌がらせでもしてたのかな…?
「うーん、身に覚えがないわ…」
まぁ悩んでも一介のメイドと家令様じゃあそんなに会うこともないので、気にしなくても仕事はできるけど…なんかもやもやする。
でも会っていきなりあの態度とは、失礼な話だわ。私やっぱり嫌われてるかも。
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