煌びやかな世界と開かれた箱(1)
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こんなに目のクマが薄いのは初めてかもしれない、とそう思うくらいにはよく寝た。自分のことながら昨日はよく寝れたものである。
洗面台で軽く洗顔を済ませて鏡を見ると、確かに少しとはいえ薄くなったクマにちょっとだけ感動した。
「…」
しかし行きたくない。
あと十五分もしたら夫人の部屋に行かなければいけないのに体が拒否してしょうがない…それでも、着替えて行かなければならないことには変えられないけど。あんな状況であったとはいえ承諾しちゃったの私だし。
何も食べてないのも相まって胃に穴が空きそうだ。キリキリと嫌な音がする。
大きくため息をついて、私は寝間着を脱ぎ始めた。
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夫人の部屋に着くと、何故かすでに着替えを終えた夫人がソファで待っていて素直に驚いてしまう。
「おはようアニー」
「おはようございます…奥様」
この人は何故既に着替えを終えてるんだろうと疑問がすごい。こういうのって主人が最後じゃないのか。
「アニーは不慣れだから、私が手伝うわ。ドレス持ってきて〜」
夫人の声かけに侍女の方がドレスを持ってくる。良かった、サイズの合うドレスがあったみたいだ。
「私のお店の試作品でね、是非着てみてほしいの」
そう言って差し出されたのは、落ち着いた色合いのブルーのドレス。細やかな刺繍とフリルが裾に施されていて、星屑か雪化粧か、小さくて綺麗な光が散りばめられた本当に美しいドレスだった。
「そ、そんなこんな良いものを着るわけには…!」
でも私なんてもっと質素なドレスで良いのだ。こんな主役みたいなドレスを私が着るのは勿体無い。
「あらそう? 貴方のサイズに仕立て直してしまったから、他はないし、着てもらってお店の宣伝にしようとも思ってたんだけど…」
「何故私のサイズを…?」
「それは…まぁほら、私も一応プロだから!」
夫人は何か誤魔化すような口振りで言った。なんかおかしいなと思ったけど、言及してる時間もない。
「…わかりました、そのような事情なら着させて頂きます」
「良かったわぁ! じゃあ早速着替えましょうか!」
夫人の喜んだ言葉を合図に支度が始まる。
まずは着ていた服を脱いでドレスに着直すところから。下着の上にコルセットをして出来うる限り締めていく。
なるほど、これは夫人がご飯を食べないようにと言うわけだ。食べたら出てしまう。
ドレスが終わったら次は髪を整えていく。昨日徹底的に手入れをしてもらったお陰か髪は付け焼き刃とは思えないほど別人の様に艶めいている。
次にドレスの胸元に布を巻いて、メイクは化粧水から。ファンデーションで目元のクマを重点的に隠していく。最後に紅を唇に差して、その姿を鏡で見れば別人みたいな私が出来上がっていた。
メイクが終わったら胸周りの布を外して最後にドレスを彩るアクセサリーを決める。ネックレスに指輪、イヤリング、髪飾り…
「あの」
「どうしたの?」
夫人は着々と作業をしながらも唐突な私の言葉に耳を傾けてくれた。
「ネックレス、なんですが…この鍵のやつ、着けたままでも良いでしょうか?」
「もちろん良いわよ」
ダメ元のお願いだったのに夫人はあっさりと許可をくれて少し驚く。
パーティーなど公の場合、ドレスのコーディネートが優先されることが多いと聞く。それでも、私のわがままを通して良いんだろうか。
「貴方の大切なものなんでしょう? …大事になさい」
夫人はそう言ってまたアクセサリーを悩み始めた。
「…ありがとうございます」
私はその言葉に、ほんの少しだけ泣きそうになる。本当に優しい声音と言葉だったから。
ありがたいし、嬉しい。
最後に靴を履き替えて支度は完了。時計を見ると時間もちょうど良い頃合いだ。
「さて、行きましょうか」
そう気合いを入れる夫人の後ろに立つと、“いざ戦場へ”と言わんばかりの空気を感じる。実際、社交界は情報の戦場とも言われているのだから気合が入るのも当然なんだろう。
移動しながら侍女の方から簡単な会場でのマナーを教わりつつ、夫人の後についてダンスホールへ入った。
「わぁ…」
その景色の煌めきに思わず声が出る。
まず目に入るのは、煌びやかなシャンデリア。掃除をしていたときはいつも静かな月明かりを透かしていた天井の窓からは太陽光が燦々と差して、暗がりではよく見えなかった天井の絵画たちがよく見える。
一番奥の大きな窓からはこの距離でも微かに庭が見えて、豪華に着飾った婦人や紳士たちが音楽と空間と料理を楽しんでいる。
窓が、大きな窓があんなに綺麗に磨かれて、どれだけ大変だっただろう。床もシャンデリアが映り込むほど美しい…。
憧れの社交界はまさに絵に描いたような景色だった。
「楽しそうね、アニー」
夫人はそう言って私を見る。
「あ、も、申し訳ありません…」
私は慌てて頭を下げるけど、それにも夫人は柔らかく笑った。
「私は来賓の方にご挨拶をしてくるから、みんなは好きに回っていて」
そう残した夫人は人混みに消えていき、侍女の方々もそれぞれ去って行く。
しかし私はといえば、特にやることもないので立食パーティーなのを良いことに壁で料理を嗜んでいた。我ながらあれだけ締められてよく入る。
ちまちまと料理をつついていると、突然誰かの大きな声が会場に響いた。。
「ブラウン・レンネット陛下の、おなーりぃー!」
その一言にあらゆる音が鎮まり、全ての人が静かに頭を下げる。私もそれに倣って頭を下げた。
三人ほどの足音が会場には静かに響き渡っている。そしてその周囲にいる人間の中で誰一人として頭を上げるものはいない。
「全員、楽に。ここは祝いの場、主役を迎え楽しもう」
その言葉にみんなが頭を上げて拍手を送り、音楽も再開されて空気が一気に和やかな雰囲気に包まれた。
遠目で見た国王は、見た目は五十代程度に見える。精悍な顔つきが印象的だった。
そういえば、アテンツァ様の父親である王弟は既にここに居るんだろうか。後はフィンのお父さんも。
二人とも私は顔も知らないか覚えていない。早々会うことも無いから当たり前だけど。
王弟…父様と母様の仇。この場で見つけ出して殺してやりたいけど、顔もわからないのではどうしようもない。今日は壁の花になって乗り切ろう。
それこそ、なるべくフィンのことは見たくないし。
「本日の主役の入場です!」
その言葉に再び拍手が起こり、流れる音楽が変わる。私は人混みの後ろの壁から薄目で入口の方を見ていた。
入り口の多扉が開くと、一組の男女が緊張した面持ちで入場してくる。二人はエスコートするように腕を組んでいて、歩調を合わせていた。
そのままゆっくりとホール中央のダンスエリアまで歩いていく。そして来賓たちが国王を迎えるために空けたエリアの中央で二人は止まった。みんなが、二人に注目している。
私はすぐに俯いて目を逸らした。
見てるのは、やっぱり辛い。
「本日はお忙しい中、私たちの婚約発表の場にお越しくださいまして、誠にありがとうございます」
遠くでフィンの声がする。
声を聴いたのは、どれくらいぶりだろう。
「私たちがこの日を迎えられたのも、一重に皆様のおかげ。私達は大変感謝しております」
これはアテンツァ様の声だ。そういえばこの間の“私が心配するようなことはない”と言っていたのは、結局なんだったんだろう。
「改めまして私たちはこの婚約を、破棄することを宣言します」
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