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最初の一歩(3)


「どちら様?」


 侍女の声だろうか、それとも屋敷だからお付きのメイドか…どちらにせよ記憶の中の夫人とは違う声が聞こえた。


「お、お呼び頂き参上しました。本日よりお世話になりますメイドのアニーと申します。ご挨拶に伺いました」


 そう告げると、少しだけ間を置いてゆっくりと扉が内側に開く。頭を下げてから一歩進んで部屋と廊下の境目に立つと、広い部屋の中に置かれた柔らかなペールグリーンの壁と、白を基調とした家具達が視界に映った。

 向かって部屋の右側には天蓋付きのベッドが、一番奥の壁に埋め込まれた暖炉を挟んで左側にはソファとローテーブルが見える。

 そのソファで、夫人は侍女を侍らせソファでお茶を楽しんでいるようだった。


「どうぞ?」


 入り口で固まる私に短い声がかかる。

 この声は確かに記憶にある夫人の声だ、私の記憶は間違っていなかったようだ。

 そういえば、どうしてこんなに記憶から夫人の声は遠かったんだっけ、なんて考える。でも答えは明白だ、私が勝手に避けていただけ。


「…ありがとうございます、失礼致します」


 一歩部屋に入って、そこからはゆっくりと歩き夫人の前に出る。

 それからドレスの裾を両手で摘んで広げ、左足を一歩下げて膝を軽く曲げ、同時にできうる限り滑らかに頭を下げた。


「ご挨拶が遅れました。ご無礼をお許しください。本日よりこのお屋敷でお世話になります、メイドのアニーと申します。以後お見知りおきいただきますと幸いです」


 挨拶の後は、頭を下げたまま黙って固まるのが一般的な作法。

 この部屋で最も階級が上なのは夫人なので、夫人がよしとするまで私は頭を上げてはならない。


「…」


 沈黙している自分に複数の人間の視線を感じる。

 ここにいるのは自分と夫人以外に侍女が三人。

 挨拶として無礼のない様にしたつもりだけど、この異様な視線は、私は何か間違えただろうか?

 いや。流石に遠い記憶を辿った上でのぶっつけ本番となると、何か間違いがあってもおかしくないな…。


「…貴方、その挨拶をどこで覚えたのかしら?」


 扉越しで声をかけてきた侍女の声だろうか、一人の女性が私に問いかける。彼女の声からは驚きの様なものを感じた。

 しかし私は答えられない。

 この部屋で自由を許されている侍女と違って、私は部屋の主人である夫人の許可なしに無用なことを喋る権利はないからだ。


「良いのですよ、ジャクリーン。彼女は、これで良いのです」

「しかし奥様…」

「ジャクリーン、マーサ、カレン、少し席を外してほしいの」

「そんな、なりません奥様!」


 夫人の言葉に侍女の三人が反発している声が聞こえるけど、正直侍女たちの困惑にはなんの不思議もない。

 一見こんな変哲もないメイドに見える人物で合っても、二人きりになった瞬間攻撃される…つまり暗殺の危険がある。貴族であるならば仲の浅い人間との一対一は普通避けるべきだ。それこそ自分より地位の高い存在相手ならそうもいかないけど。

 では、夫人はなぜそんなことをするのか。


「良いのですよ。私の孤児院で育った子が悪い子な訳…ないでしょう?」

「ですが…いえ、わかりました」


 夫人の言葉に、侍女の一人がもう一声をかけようとして引き下がった。侍女の人が何を思ったのかはわからないけど、今のやりとりに意味があったようには感じる。

 底からコツコツと複数人の靴の音がするけど、私は未だ頭を下げたままなので状況を見ることはできない。

 でもすぐに扉を開け閉めする音がして、底からさらに数秒間を置いてから夫人は言った。


「…頭を上げなさい」


 その時初めて、私はゆっくりと頭を上げる。


「少し、お話をしましょう?アニー…“アニー・ベイリー”」


 “話をしよう”と言うのは、私にこの部屋で話す権利が与えられた事を指す。私は、ゆっくりと口を開いた。


「…その姓は、もう使えません、奥様」

「あら、いいじゃない。この部屋には貴方と私だけ…昔みたいに“姪と叔母”としてお話ししましょう?」


 ソファの上で優雅に座るふくよかな夫人は、煌めく金髪を上質なドレスに包まれた肩に撫で下ろしながら言った。

 対して私といえば、座ることも許されず、夫人のドレスに比べたら安い綿のシンプルなドレスに傷んだ髪、体も細くて貧乏の体現って感じ。

 何より顔に酷いクマを抱えた令嬢なんて、早々いるものか。


 こんな私が、彼女に対して“昔のように”など、遥か遠く…それこそ文字通り言葉ばかり。

 “これを嫌味でなく言っているのだとしたら”、そう考えると余計心に棘が刺さった気持ちになる。

 でも確かに私の知っているレディ・スペンサーは…私の叔母は、嫌味でそんなことを言うような人でもない。


「…奥様のお言葉は大変ありがたいですが、今の私ではとても釣り合いません」

「そう…残念ね」


 夫人は寂しそうに肩をすくめた。それでもすぐに引き下がってくれたあたり、本人もダメ元だったのかな。


「にしても…あの挨拶はやり過ぎよ、アニー」

「…やり過ぎ、とは?」


 なんて事ない、目上のものに対する当たり前な挨拶だと思うけどな。そう教わってるし。


「さっきのは“貴族が”目上の者にする挨拶よ。孤児院の子は殆ど平民くずれや奴隷から逃げてきた子…そんな子たちが急にあんなことできると思う?」

「あっ…」


 しまった、確かに“やりすぎ”だったんだ。そう私は夫人の言葉にはっとする。

 …そっか、道理でさっき侍女が私にあんな質問をしてきたわけだ。

 私は“私の常識”で動いてしまったんだから、正しいのはあの人の方じゃないか。


「貴方は“最初から”教養があるからわかるだろうけれど…いつもここへ来る子達はそれがわからなくて、最初に私の侍女が教えるのが通例なのよ」


 その言葉に、私はそっと視線を逸らす。

 レンネットと呼ばれるこの国において、ファミリーネームを持つものは少ない。

 ファミリーネームを持つと言うことは、最低でも下級の貴族の血縁と言うことになる。各家の象徴であるその名はなんの変哲もない平民がおいそれと持てるものではない。


 そして私もまた貴族…貴族“だった”。


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