こんなに“休憩”の二文字が似合わない場所もない
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その後は散々着せ替え人形にされては、彼の気に入った服を勝手に買われるのを三件繰り返した。なんなら銀細工の店にも行ったけど、アクセサリーまでなんて考えてなかったのに。
フィンは増えていく荷物を大変嬉しそうに持っているけど、買ってる服の量が最早屋根裏部屋のチェストの域を遥かに超えている。
あそこには使用人服や下着も入ってるって言うのに、どこに入れろって言うんだろう。元々動きやすそうな服を一、二枚買えたらそれでいいって思ってたのに…。
ていうか人の荷物を喜んで持ってる上級貴族って、なんだろう…。執事さんあたりが聞いたら卒倒するんじゃないかな
しかもこの服たちは全部向こうの財布で買われている。この現状を申し訳なく思うべきなのか、もうほっとくべきなのかもうわからない。
「アニー、大丈夫かい?」
心配そうに貴方は私を見てるけど、私の心労は貴方のせいで生まれてるのよ。言わないけど。
「大丈夫…大丈夫よ」
振り回されてる感は否めないけどなんとかなってる。多分大丈夫。
「…少し疲れたんじゃないかい? 休憩にしようか」
そういう所だけ鋭いの、なんでなの…いやありがたいけど。そう疲れた頭は確かに両方を感じた。
正直、事件の前は服屋の方がうちに来てたし、孤児院に入ってからは洋服なんて共用で選べるものでもなかったから今みたいに賃金をもらって自分のものを買うなんて初めてのことだった。
慣れない場所は疲れるし、下手に悩んで時間がかかるよりは選んでもらった方が助かるけど、ここまで振り回されるとも思ってない。
なので、やっぱり端的に言えば疲れている。確かに休めるなら休みたい。
「こっちにきて、すぐだから」
どこにいくんだろう、とはおもいつつそう言う彼の後ろを追いかけて人の多い街道を抜けていく。
「すまなかった。君の買い物なのに僕の方がはしゃいでしまったね」
歩きながらそう言って、彼は申し訳なさそうに私を見る。
「いいのよ、楽しかったのは事実だし。初めてのものを見たり食べたりできたのは嬉しかった」
今日一日で思ったけど、私は彼の右側を歩くのが好きだ。髪に隠れていない横顔がよく見えるのがなんだか嬉しいし、何より目が合いやすい。
バケットサンドとジンジャーエールも美味しかったし、可愛い服を似合うって言ってくれたのも…恥ずかしかったけど嬉しかった。服を買ってくれるのだって彼なりの厚意なのは解ってるつもり。
彼に悪気がない分確かに振り回されたけど、初めてのデートとしては悪い思い出じゃない。
「もうちょっとムードとか考えてくれれば、完璧なのになぁ…」
なんて、彼に気付かれない様に小さく呟く。
その辺はおいおい考えよう。多分彼一人の問題じゃないし。
それにしても、と私は隣を歩く彼の顔面にちらりと視線を向ける。
私はずっと彼の顔が綺麗だと思ってたけど、もしかして気付いてなかっただけでずっと好きだからそう見えてただけなのかな…などとそんなことを考えてしまう。
鼻筋や眉は整ってるし、地味にうっすら二重で肌も綺麗だし、唇も厚ぼったくない、垂れてはいるけど切長の目元とか、素材はいいと思うんだけどな。
だけど少なくとも噂話をする他の使用人達からそう言う話は聞かないので、なんか変だなとふと考えたんだけど…実際はどうなんだろう。
確かにどっちでも良いような話なんだけど、何だか私の趣味が特殊なのかと無性に気になってしまい…そのまま悶々と悩みながら歩いていると、不意にフィンが足を止めた。
「着いたよ」
彼の声に視線を動かす。するとそこは落ち着いた雰囲気と、整えられた森林に包まれた隠れ家的な料理店があった。周りに人は感じなくて、まるで私たちだけ知らない場所に迷い込んだかのよう。
「ここは…?」
正直、近くに看板があったから料理店って判ったけど、それも無かったら小さなお屋敷にしか見えない建物に少し困惑する。
「母上が経営してる店の一つ。普段は完全予約制だけど、僕なら顔が効くから」
そう言って彼は迷わず建物の方へと進んでいく。私は少し慌ててそれに少し遅れて歩き出す。
「少し待ってて」
建物の前まで辿り着くと、彼はそう言って扉の向こうに消えていった。それもあの量の荷物を持ったままで。申し訳ないけど側から見たらシュールな絵面だ。
少し待っていたら彼が扉から顔を出して、私も中に入るように招かれる。
中に入ると、丁寧な仕立ての燕尾服を着た若い男性が右手を胸に当ててお辞儀をしていた。ここの従業員だろう。
「ようこそお越しくださいました」
平然としてるフィンに対して、私はこんなお店一人で来たことないのではちゃめちゃに緊張している。お父様たちがいた時だって特別な日しか来なかったのに。
内装は落ち着いたワインレッドの壁紙に、淡くて温かな雰囲気の照明で少し暗い。入り口から見てすぐ右には二階に上がる大きな螺旋階段があって、左には広い空間に美しく整えられたテーブル達が見える。いかにも高そうなお店だ。
「個室をご用意させて頂きましたので、ご案内いたします」
「頼むよ」
従業員の人に二人で付いていくと、二階に上がって少し奥に行った所で扉を開ける。
「不死鳥の間でございます。ごゆるりとお過ごしください。何かあればベルを鳴らしていただければご対応させて頂きます」
そう残して従業員の人は一礼の後去っていった。
そして開かれた扉から中を覗いただけで、ただ料理を頂くだけの空間でないことがわかる。
心の中で小さな悲鳴が出た。流石に個室なんて本当にお父様とお母様としか経験がない。
少なくともこんなの貧相な小娘が来るような場所じゃないのは確かで、内心震えている。どう考えたって一介のメイド風情が客として来るところではない。
「さ、入ろう」
震える私のことを解ってるのかそうでないのか、彼は私に手を差し伸べてくれた。
私はやっぱり緊張して少し躊躇ったけど、結果的にそれをとって中に進んでいく。
「わぁ…」
中はやっぱり…というか、ただテーブルと椅子が有って終わりって感じの部屋ではなかった。
大きな窓の側に置かれてるのは美しく整えられたテーブルと二つの椅子。少し離れた所にはローテーブルと高級そうな皮のソファ。ローテーブルの上には磨かれた金属の容器に、氷と一緒に入れられた高そうなシャンパンと鏡のように磨かれたグラスが置かれている。
他にも壁には高そうな装飾品の剣が飾られ、蓄音機からは雰囲気のいい音楽が流れ…人が一人満足に住めそうなほど広いその部屋は、正しく最高級と言っていいと思う印象。
これは紛れもなく高いお部屋だ…その中でもこの部屋はきっと一番高い気がする。
なにこれお金の暴力怖すぎる、と足が震えた。そもそも一階もそうだけど、絶対ドレスコードがあるお店だこれ…そう考えると気が遠くなりそう。
私本当に子供の頃はこういうお店に当たり前に顔出してたの? 家族と一緒とはいえ?
世間を知らないって怖いな…。
「一先ず座ろう。ソファにする?」
「任せる…」
被っていた帽子を外しながら彼は私に問う。対して私はと言えば、この高級を固めたような空間に呆気に取られてしまい、正直言って考えるどころではない。
いきなり出来事のカロリー高くなりすぎじゃない? 胃もたれ起こしそう。
「じゃあソファに行こうか、疲れてるだろうし」
そう言って彼は私の手を引いたままソファに向かう。私を先に座らせると、彼も隣にそっと腰掛けた。癖なのか、ソファにいる彼は足を組んでいることが多い。
この光景が当たり前と言わんばかりのんフィンに、改めて私は住む世界が違うと感じた。
正確には“違くなってしまった”だけど。
「すごいね…なんかその、これだけの部屋にも慣れてるっていうか」
私は恥ずかしいほど動揺しっぱなし、本当に恥ずかしい。
しかし彼は私の言葉に少しの間だけ理解できないような顔をした。その後で、くつくつと笑い始める。
「な、なによ。馬鹿にしてんの?」
私が怒ると、彼は軽く腹を抱えながら私を見た。
「いや、馬鹿にしてるんじゃなくて…君と僕が本当に結婚できたら、これが当たり前になるのに、君ったら他人事みたいに言うじゃないか」
「!」
「本当に現実味が無いんだなって思ったら、可愛くて」
そんなこと、確かに考えてなかったと固まる。
確かに人生結婚したらそこで終わりじゃない。私自身、本当に貴族に復帰したとしたら覚えないといけない事も、慣れないといけない場所も、きっとたくさん出てくる。そう考えたら、確かに他人事では居られないけど。
「やっぱり馬鹿にしてる!」
かといって、“可愛い”は、馬鹿にしてると思う。フィンも大概他人事じゃないか。
私が怒るとフィンは軽い調子で謝った。本当に反省してるのかあやしい。
「シャンパンは飲んだことある?」
「無いよ、お酒でしょ?」
私の返事に、彼は「まあね」と言いつつ慣れた手つきでシャンパンの封を開けた。
でも私は少し前に十八になったばかりである。お酒を飲む機会もない。
破裂するような音を立てて瓶の封が開くと、磨かれたグラスに注ぎ始める。炭酸特有の弾けるような音を立てながら、グラスの中で淡い黄金の液体が揺れていた。
「飲んでみる?」
シャンパンが注がれたグラスは二つ。その片方を、彼は私に差し出した。そして私はそれを恐る恐る受け取る。確かに年齢的には飲めるけど、悪いことをしている気分。
「お酒なんて初めて」
グラスの中で揺れるその煌めきは、まるで綺麗な劇薬のようだ。飲んだらすぐ酔ってしまうかもしれないし、そうなったら私は自分がどうなるのかもわからない。
新聞にはよく、酒に酔った際の暴行事件が載っていたな、と思い出す。できればそうなるのは避けたいし、そういうリスクを考えると少し怖い。
「大丈夫、そんなに酔ったりするようなものじゃないから。空気を楽しめばいい」
「…貴方がそう言うなら」
それでもやっぱりどこか怖くて、ほんの少しだけ口に含む。
「!」
強めの炭酸と爽やかな風味が鼻に抜ける。後味の独特な香りが、アルコールの香りだろうか。
「…美味しい」
横を見ると、彼はグラスを揺らしながら慣れた様子でグラスの中の液体を楽しんでいた。案外お酒が好きなのかもしれない。
「つまめるものでも頼もうか。その方が飲みやすい」
「そうなの?」
「お酒は単体で楽しむだけが全部じゃ無いから」
「ふぅん…」
彼がベルを鳴らすとすぐ従業員の人がきて、二人は何やら話し始めた。私はついもう一口…とちびちびお酒を飲んで楽しむ。
従業員の人が部屋を去ってから少し待つと、何やら料理が部屋に運ばれてきた。
「クロミエ領産のモッツァレラを使用したカプレーゼと、ホエー領産の豚を使ったソーセージのグリルでございます」
静かな音を立てて料理たちがローテーブルに置かれていく。よく磨かれた白い皿に盛られた美しい料理達に私は感嘆の声を上げた。。
さすが高級料理店というか…どれもお屋敷で出る夫人用の料理のよう。
「ありがとう」
フィンがそう言うと、従業員の人が頭を下げて部屋を去る。
「お好きにどうぞ?」
二人きりになった部屋でそう言った彼は、流れるように私にフォークの柄を差し出す。それを受け取って、私はまずカプレーゼに手を出した。
赤と白と、添えられたソースの緑が美しい一皿。トマトとチーズを一緒にフォークで刺して、口に運ぶ。
「!!」
まず最初にフレッシュなトマトが口の中で弾ける。そこから酸味が広がって、後を追うようにモッツァレラのまろやかなミルク感が酸味を程よく和らげて、最後にソースのバジルが後味を爽やかにしてくれた。
なんて美味しいんだろう。貴族ってこんないいもの食べてるのか…。
「そのままシャンパンで流してごらん」
口の中のものを飲み込んでからシャンパンを喉に流す。すると喉で炭酸が弾ける気持ちよさと、白葡萄の爽やかな香りが鼻を抜け、アルコールの尖りがさっきよりまろやかに感じた。
「あぁ、これおいしい!」
「だろう?」
確かに、この感じはもっとシャンパンを飲みたくなる。美味しい料理は、お酒を華やかにしてくれるものなんだなぁ。
お酒が進むってこういうことを言うのかな、なんて私は月並みなことを考えながら、次の一口に手を伸ばした。
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