服を買おうとは思ってたけど!
***
「服屋さんも詳しいの?」
のんびりと街道を歩きながら、なんとなく私は彼に訊いてみた。街まで視察に来てるなら、どこにどんなお店があるとかも詳しいんだろうか。
「流石に女性の服はわからないよ。他に恋人とか居たことないし」
「え!? そうなんですか!?」
昨日あんなに手慣れたキスをしておいて!?
さっきあれだけ褒めどころのない私を褒めておいて!?
正直信じられない。てっきりさっき言ってた“勇気を出した”って発言もどこか方便か持って思ってたのに…驚きのあまりリアクションが敬語になる。
「そりゃあ、君が居れば良いんだから作る必要無いだろう?」
舞踏会すらデビュタントしか出てないよ、と彼は確かにそう言って、私はそれを嘘くさいなって思った。
だって昨日でさえキスも服脱がすのも、全部あんなに手慣れてたじゃない。うっそだぁ。
「女遊びしてそうなのに…」
じゃなきゃ説明できないよ、あんなに手慣れた女の扱いなんて。
「君は僕を何だと思ってるんだい…」
彼は呆れたように言うが、私はまだ納得してない。でも不貞腐れても意味がないような気がしたので、一応疑問を口に出してみた。
「だって…服脱がすのもキスもあんなに手慣れて…それは…?」
彼に送る疑惑の視線。でも私の視線と言葉に彼は何か納得したような顔をする。
「そんなの触ればわかるじゃないか、服の構造くらい。キスもそう、最初に抱きしめた時に君の身長を把握してたし」
「…」
あっさりと、かつ予想の斜め上を行く返事に、私は素直に絶句した。
言ってもいいのだろうか、「いやそれは変態っぽいよ」…と。
「後は逆算するだけ。服のサンプルなんてその辺に居るし」
多分他の使用人の人たちのことを言いたいんだろうけど、他の人をサンプルとか言うんじゃない。貴方の生活はそのサンプルが支えてるんだよ、家事的な意味で。
しかし悲しいかな、私はその回答に納得いってるしなんならちょっとよかったと思ってる。
私が初めての恋人、なんて言葉は正直言って響きがいい。
「後は…」
「わかった、もういい!」
しかしこれ以上恋人が当たり前みたいに変態行為行ってるの聞きたくないし、そもそも許してはいけない気がする。なにか対策を考えるべきだろうか。
「そう? 君が納得するまで話せるけど」
「嫌ってぐらい納得したからもういい…」
とりあえず服屋に詳しくない理由はわかったから今はそれでいい。でもため息出そう、て言うか出てる。
眉間に皺が寄るのを感じながら、何気なく横を見るとちょうど服屋のショーウィンドウが目に入った。夏をイメージした装飾と一緒に麦わら帽子に白いワンピースを身に纏ったマネキンが飾られている。
「…」
でも私には似合わなそう、それが最初の感想。
確かに可愛いけど、私が着るには可愛すぎる。私にはもっと動きやすい服でいい。そういうの好きだし。
「気になるの?」
「!」
不意にフィンが私の顔を覗き込んで、考え事をしていたせいで少し驚く。でも私は彼の問いに対して首を横に降って返した。
「確かに可愛いけど…私には似合わないかな」
「…女の子って、こう言う服がみんな良いのかと思ってた」
彼は私を意外そうな顔で見る。それはそれでイメージが偏っているような、実際私は動きやすい服も好きだし。
「私はもっと動きやすいのでいいよ。あぁいう服は汚せないし」
繊細な洋服は洗うのも大変だし、足の出る服は恥ずかしい。ていうか似合ってなきゃそもそも買う意味もない。もっと可愛い女の子が着れば良いと思うんだ、私みたいな荒んだ女じゃなくてさ。
しかし彼は、唐突に私の手を掴むとそのまま服屋の方へ向かっていく。
「ちょっと、なに!?」
「行こう」
「なんで…」
「いいから」
抵抗も許されず連行されて、二人で扉を開けて店の中へ入る。入ってすぐの所にあったあのマネキンが着てたのと同じワンピースを手にとって、彼は私にそれを突き出した。
「試着してみて」
「…なんで?」
全く状況が掴めないので顔を顰める。何がどうしてその思考に行き着いたのかまるでわからない。
「いいから、お願い」
でも彼は急に真剣な顔をするから、私は少し狼狽える。そんなに真剣は顔するとこなのだろうか。
「わ…わかった。ただ似合わなくても知らないよ」
結局真摯な目線に負けて、ワンピースを受け取ってから試着室に入った。一度着ていた服を脱いで、ワンピースのかかってたハンガーにかけ直す。
それから持っているワンピースを改めてまじまじと見てみるけど、本当に私なんかが着て良いものなのかやっぱり悩んでしまう。
「…」
一瞬躊躇ったけど、その瞬間フィンのあの真剣な目を思い出してしまった。確かに自信なんて一つもないけど、あの視線を裏切るのも何か違う気がする。
「え、ええいままよ!」
小声で叫び、そのまま勢いでワンピースの前ボタンに手をかけて外していく。足元から上にあげるように着て、袖を通して、ボタンを締め直す。それから鏡を見ると、なんとサイズがぴったり。
「えぇ…」
驚いたと同時にちょっと引いた。話した記憶もないのに服のサイズまで把握されている。これもさっき言っていた一回抱きしめたらどうのって話からきているんだろうか。
随分感情を拗らせてるなとは昨日感じたけど、まさかストーカーみたいなことまでしてないよね…?
いや、してないと信じよう。
気を取り直して鏡を見る。上がブラウスのように、下は膝下程の丈のフレアスカート。生地は薄いけどスカート部分に裏地が入っているから下着が透ける心配もない。腰の辺りに飾られた白いリボンの様に結ばれた紐が可愛らしいデザインになっている。
「本当に良いのかな…」
もう着てしまったし、自分ではもう考えすぎて似合うとか似合わないとかわからなくなってしまったけど、他人に見せるとなるとそれはそれで良いのかやっぱり悩む。みすぼらしかったら嫌だし。
「終わったかい?」
カーテンの向こうから聞こえる声に応えるために、私は隙間から一度頭だけを出す。
「一応、終わったけど…」
「じゃあ、見せて」
「…みすぼらしいかもよ?」
不安だ、好きな人に見られると思うと殊更不安だ。似合ってなかったらどうしようと、考えないわけがない。
「それは僕が決めることだよ?」
「う…わかった」
私は意を決してカーテンを開ける。でもやっぱり恥ずかしくてお腹の辺りは隠してしまうな…意味ないって分かってるのに。
こんな可愛らしい感じの服は父様と母様が生きてた時以来なので、正直恥ずかしいったらない。そんな私の心情を知ってかしらずかフィンは黙って私を見てるので、それもまた落ち着かなかった。
「な、なんか言ってよ…」
顔から火を吹きそうになっている。これ以上の沈黙は耐えられない。
「…あぁ、ごめん。見惚れてて」
「!?」
見惚れて、なんてそんなはずはないと驚いた。そんな良いものでもないと思うけど、何を思って彼はそう言ったのだろう。いくらお屋敷で働くようになって肉がついたって言っても、綺麗な体してるわけでもないし。
「靴下ぬいでこっち履いてくれないかな?」
そう言われて足元に視線をやると、そこにあったのはワンピースと同じ白のサンダル。
「こ、これも履くの…?」
「お願い」
「うぅ…」
ますます恥ずかしさが加速していくけどこれ以上問答しても仕方ないので…諦めて靴下を脱ぎサンダルに足を通す。
これは何て辱めだろう…と居た堪れなさから両手で顔を覆っていると、なぜか彼が店員さんを呼ぶ声が聞こえた。
「お呼びですか?」
恐る恐る顔を上げるとお淑やかな雰囲気の女性店員さんがこちらに来る。フィンはこれ以上何をしようって言うんだ。
「これ一式ください。着て帰ります」
そう言った彼は有無を言わさず財布からお金を取り出して店員さんに渡す。もちろん驚いて固まっている私を置き去りにして。
「畏まりました〜。ただいま値札切りますね〜」
「!?」
私が驚いてる間になんか話が進んでしまっている。いや待って待って。
「ちょっと! 何勝手に話進めてるの!?」
「? 服を買いに来たんだろう?」
「そうだけど!」
お金の出所ももちろんおかしいけど、何より私の服なのに私の意志はどこへ行ったのだろう。こう言う時フィンが人の話を聞かないのはどうしてなのか。
「そもそも私お金持ってるし!」
普通に話しても聞いてくれなそうなので少し強めの語気を意識して発言する。
私の働いた対価としてあるんだから、せめて自分のお金を使わせてほしい。
「僕の方が持ってるけど?」
さらりと出てきた言葉にイラッとした。
悪気がないのはわかるけど、フィンって時々ものの言い方が悪いんだよな…何回か子供の頃それで喧嘩してるはずなのにまだ直ってないのか。
「そう言う話じゃ無いと思うの」
言いながら、とうとう堪忍袋の尾が切れかかった私が彼の胸ぐらを掴もうとした時、
「お待たせしました〜」
店員さんが呑気な声と共にハサミを持ってやってきた。内心では苛立ちを抱えたままだけど、店員さんは何も悪くないので流石に大人しくする。店員さんは私に近づくと、慣れた手つきで私の着ているワンピースとサンダルの値札を切ってくれた。
「着ていたお洋服は袋にお入れしますね〜」
「ありがとうございます…」
「お願いします。あとそこのブラウスを二枚と、あっちのスカート、最後に会計前にある黒いワンピースも一緒にください。サイズはMで。現金で払います」
「ちょ、ちょっと!」
だからそうぽんぽん買うなと言ってるのに!
さっき私が言ったことを全く理解していない。私の話し方が悪いの!?
「畏まりました〜。こちらは袋にお入れしちゃって良いですか?」
「大丈夫です。全部値札切ってください」
そしてまた問答無用でお金を渡す。店員さんはそれを受け取ると、流れるように言われた服を取りに行った。
「何してんの!?」
私は店員さんがいなくなったのを確認して思いっきりフィンの胸ぐらを掴む。貴族の金銭感覚ってどうなってるの!?
急にこういうことするし! 私は服買って欲しくて貴方といるんじゃないのに!
「何って…服を贈ってるけど」
「そうだね…じゃなくて!」
彼は私が怒ってるのを気にも留めていない。まるでわかっていたかのように。
「私の意志は!?」
「だって君に任せたらこういう店の服着ないだろ?」
「そうよ!?」
その通り、その通りなんだけど。て言うか解ってるなら買う意味とは。
「その着てるワンピースがこんなに似合ってるのに、他も着なかったら勿体無いと思って」
「な…!」
まるで当たり前と言わんばかりに彼の口から出た言葉があまりにも衝撃的で、急激に顔が赤くなるのを感じる。口は感情の行き場を失ってはくはくとするばかりだし、思わず手の力も抜けてしまった。
胸ぐらを解放された彼は、いたって平常な様子で首元を軽く正す。それから大きな紙袋を持って帰ってきた店員さんからその紙袋を受け取ると、固まる私の手を引いて店を出た。
私が放心して彼に手を引かれるまま移動すると、やがて彼は店の外の一角で私に言う。
「人多いからそろそろ戻ってきて」
言いながら彼は私の顔を覗き込み、目の前でひらひらと手を振る。それに対しては私はなんとか力の入りづらい唇を動かした。
「あ…貴方のせいなんだけど」
まるであほみたいに開いた口からは力のない言葉が出て、そしてまだ赤い頬を両手で挟む。早く冷めろ。
「何で僕のせいなんだい? 当たり前のこと言っただけじゃないか」
「そういうとこ!!!!!」
そういうとこが良くない!
何も解ってない顔して私を弄ばないでほしいのに、相手はなにも分かっていない悲しみが心を襲う。
好きな人におめかしした姿を“似合ってる”って言われて舞い上がらない女子とか早々居ないから!
貴方が私に言った瞬間、それはどこも当たり前じゃなくなるって理解して!
「元々アニーは何着ても似合うと思ってたんだ。買えて良かった」
手に持った紙袋を軽く持ち上げながら、彼は嬉しそうに微笑む。
おかげでさらに心臓がうるさくなるのを何とかしたい。顔の赤みが引くどころか、ますます血流が良くなる感じがする。
「じゃ、次行こうか」
そう言った彼はまた当たり前のように彼は私の手を引く。
今更だけど、さっき初めて手繋いだ気がする。キスの時といい、思い返すともうちょっと情緒が欲しい。私のわがままだろうか。
「次って何…」
でも悲しみと呆れと羞恥に心の体力が果てた私は流れに身を任せることにした。もう好きにして。
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