家族が私に残してくれたもの(1)
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この間と今日で、恐らく一年分は泣いたと思う。なんなら泣きすぎて疲れた。目も痛いし…散々な気持ち。
「うう…」
でも前回と違うのは、いろんな夢が夢じゃなくなったこと。
あの日の真実と彼の思いが現実である以上、私の中には温かいものが流れ始めている気がした。
「落ち着いたかい?」
フィンが優しい声音で私に問いかける。
「うん…」
「そっか」
短い会話。でも今はそれで満たされてる。
「…じゃあ、話を戻そうか」
「うん」
「まずは改めて、君の両親の暗殺疑惑及びその犯人と動機が判明したわけだけど、肝心なものが一つわかっていない」
「…大公の裏帳簿を、父様たちがどこに隠したのか」
「そう、それが分かれば…大公を追い詰め、君が生きていることを堂々と露見させ、晴れて君が貴族に戻る事ができる。しかし肝心なピースが見つからない」
「うーん…」
ピースの答えは簡単、裏帳簿の現物。
でもはっきり言って、私にはそれが存そうな場所なんて検討もつかない。父様たちは事件について生前一言も触れてなかったし、ヒントのようなものすら思い当たる節がない。
何か些細なところにヒントがあるのかも、とも思って考えてみたけど、事件以前の私の記憶には朧げなところが多くて当てにするのは難しそう。
はっきり覚えてる記憶と言われれば、事件の日から先の記憶と…
「…あっ!」
「?」
「ちょ、ちょっと待ってて!」
私は勢いのままに立ち上がって駆け出す。そのまま部屋を飛び出して、ここに来てから二回目の全力疾走。
フィンの部屋から階段側に突っ走って、一番奥の梯子から屋根裏部屋に上がる。そしてベッドの枕の下から、私は大切なものを取り出した。
そこから再び走ってフィンの部屋に戻る。誰もいないことを確認してるけど、部屋の前で切らせた息を整えた。それからノックをして「アニーです」とだけ伝えると、わざわざフィンが扉を開けてくれる。
「どうしたんだい、いきなり走り出すなんて」
「聞いてほしい事があります。お部屋に失礼してもいいでしょうか?」
公衆の場で敬語はもはや習慣なので、下っ端根性丸出しだろうと、とにかく今は話を聞いてほしい。
「勿論構わないけど…」
そう言って彼は私を中へ迎え入れてくれた。私は念のため鍵を閉めてから、戸惑う彼に向き合って言う。
「驚かないでね」
そして私は、エプロンの結び目を解いた。そのままエプロンを脱ぎ捨てて、ドレスの背中にあるホックを外す。
「ちょっ、何してるんだ!」
彼が慌てて私の肩を掴んで止める。私はその手に自分の手を添えて、彼の目をまっすぐ見た。
「“驚かないで”って言ったでしょ。大事なことかもしれないの」
「大事なこと…?」
困惑してる様だったけど、私の目に何かを思ってくれたのか彼は静かに頷いて手を離す。
「わかった。ただ少し離れていいかい。少しその…刺激が強い」
「それはそうして」
彼は降参と言わんばかりに両手を上げて少し後ろに下がった。私はそれを視界の端に見ながら再び脱ぎ始める。
次は背中中央のホックだ。それを外して、カフスも外してから袖を抜く。上半身がブラウス一枚になったら、上から三つ目までのボタンを外して“それ”は顔を出した。
私は胸元を大きく開けて、“それ”を彼にはっきり見える様にする。
「見える?」
彼は照れたように顔を赤くして何度か頷いた。私はそれを確認して、床に落ちたエプロンのポケットから一通の手紙を取り出す。
「このネックレスと手紙は、貴方達家族と最後にうちの別荘に行った時にもらったものよ」
どちらも両親の形見と言っていい、私の生涯で一番大事な贈り物。
それは、鍵のついたネックレスと一通の手紙。
ネックレスの下には鍵の形の火傷の跡があるけど、鍵だけ見せるなら服を脱ぐ必要なんてなかったから、見せている。
この火傷のあとは、私があの時も鍵を大切に持っていた証だから。
ちょうど事件の半年ほど前のことだ。私の十四歳の誕生日祝いにと、スペンサー家の人も誘って別荘に行った時のこと。
彼と私が、“永遠”を約束した日の夜、私は嬉しくてそれを両親に話したのを思い出した。約束の木の事、彼をどう思っているか、その他にも細かい事をたくさん。
この二つをもらったのは、その翌日。
その日こそ私の誕生日でスペンサー家のみんなもプレゼントをくれたけど、両親はこの二つの贈ってくれた。
「…この手紙は、父様が『大人になったら開けてね』って、確かにそう言った」
私は手紙を見つめる。赤い蜜蝋で封をされたその手紙は、高そうな羊皮紙の封筒に入っていて端が所々ぼろになってしまっている。
「私はその時、何も思わなかった。これはきっとありきたりな“未来への手紙”なんだって」
もらった事が嬉しくて、中身の意味なんて考えたこともなかった。確かに親がそう言った手紙を書くのは珍しかったかもしれないけど、能天気な私はどんな中身かわくわくしながらその日眠りについたのを思い出す。
この手紙は事件の日も真っ先に手に取った。火事で燃えてもおかしくなかったのに、ここまででどこかに紛れて無くなってもおかしくなかったのに、いつも鍵のネックレスと一緒に手元にあって、それだけが、私と両親を屋敷のみんなを繋いでくれた…本当に大切なもの。
「今でも枕の下に大事に隠してる。誰にも盗られない様にって。そして私はやっと、十八歳になった」
この国の成人は十八歳だ。年齢的に私は“大人”と言うことになる。
「私に何かヒントが残されてるとしたら、この手紙とネックレスだけ…私はこの二つに賭けたい」
「!」
フィンは驚いたように目を見開く。
両親が、私に残してくれた最後の贈り物。大事な大事な、私の財産。
「これを一緒に開けて読んでほしい。これは貴方にしか頼めない」
今、私が信用と信頼、どちらも寄せてるのはフィンしかいない。もしこれに件の裏帳簿へのヒントが隠されてるとしたら、私は彼以外に知られたくない。教えたくもない。
「そして約束して。中身を誰にも話さないって…私とお父様とお母様の記憶を、汚さないって」
私が彼に渡せる対価は無い。ここまで話した以上、私には彼を信じる以外に道もない。
でも彼は、真っ直ぐ私を見て話を聞いていた。
だから私も、彼をまっすぐ見返す。
それから彼は、ゆっくりと口を開いた。
「…わかった。君の信頼に応えると約束する」
確かに彼がそう言ったのを、私は胸に刻み込む。
でも所詮は口約束だし、もしかしたら万が一裏切られるかもしれないけど、それでも私は彼と彼との思い出を信じたい。
二人で誓った“永遠”を、信じたいんだ。
「…その言葉、信じるからね」
「あぁ、僕らの“永遠”の為にも」
そう言うと、彼は着ているジャケットを脱ぎながらこちらに来て、それをそっと私の肩にかけた。
「?」
彼の行動の意味が理解できていない私が呑気にフィンを見ていると、彼は私から顔を背けて言う。
「とりあえず、そのジャケットと部屋は好きにしていいから…僕はちょっと席を外すよ」
それから何気なく、自分の視線を下に向ける。そこには、はだけたブラウスと露わになった胸元。
「…!」
私は慌ててかけられたジャケットを寄せて胸元を隠した。顔が果てしなく熱い。
「その…ごめんなさい」
恥ずかしさのあまり顔が自然と下を向く。
理由があったにせよこれではとんだ痴女だ。彼の願いに娼婦だなんだと文句をつけたばかりなのに。
「じゃ、じゃあ…すぐ戻るから、続きはその時に」
「うん…そうしよう」
そそくさと彼は部屋を出た。
ドアの鍵を閉め直してから、私もそそくさと服を元に戻す。
ふと窓を見ると、時間は夕方になりかかっていた。
もう一度内側から鍵を開けて、それを合図に彼がそろりと部屋に入ってくる。
すぐそこにいたんだな、と思いながらすでに平然としてる私に対して、彼はどこか動きがぎこちない。
それにしても緊急事態とは言え、部屋の主人を追い出して着替えてるのはあまりに不敬すぎる。相手がフィンでよかった…と思う。
そういう問題なのかと訊かれたら、それまでだけど。




