随分大層な「大義名分」ですこと(1)
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真っ暗だ。
何もわからない。
足が冷たい、ここは…台所の地下室だから当然だけど。でも冷えて足が痛い、指が無くなりそう。
遠くで何か叫んでる声が聞こえる。知らない声が、私を呼んでる。
「…」
怖い。
そうだ、床に血が広がってた。
知ってる人が倒れてた。
「無事かな、サリー…」
サリーは私をここに入れて、助けを呼んでくると、そう言って行ってしまった。
「寒い…」
石造りの地下室は寒い。ただでさえ寒い時期なのに、地下なんて凍えて死んでしまいそう。
寒さのあまり垂れてきた鼻水をすん、と啜った時、嗅ぎ慣れない臭いがした。
「?」
そのまますんすん、と鼻を効かせると、確かに煙の臭いを感じる。
「!」
誰かが屋敷に火を放ったんだ。あの声の人たち?
まずい、早く出なくちゃ。
地下室の上部にある扉を内側から開けようとする。だけど、上に何か乗ってるのかびくともしない。ここは内側からも開くはずなのに。
「だして!ここから出して!」
扉を叩いて誰かに知らせようとするけど、返事はない。
それでも精一杯力を込めて扉を叩く。心のどこかで助けは来ないとわかっていても。
「けっほ、けほっ…」
煙がもう隙間から中に入ってきてる。地下室にはむせ返る煙の匂いが広がっていった。
それでも扉を叩く。叩いて、叩いて、誰か助けてほしい。
「げほ、けっほ、うぇ」
咳き込みすぎて吐き戻しそうだ。頭もくらくらする。
やがて力を使いすぎて座り込んでしまった。
体が重い。頭も重い。眠くなってきた。壁にもたれかかって、座り込む。
周りの空気は熱くなってきた気がするけど、まだ壁は冷たい気がする…。
「しぬ…?」
死にたくないな。
だってまだ舞踏会にも行ってない。綺麗なドレスを着て、髪を整えて、お化粧もして…立派な姿を父様と母様に見てもらうの。
そしていっぱい褒めもらって、あの人と…あのひとと…。
***
「!」
意識が落ちる感覚で目が覚めた。
心臓が痛い程鳴っていて、それを抑え込むように胸を掴む。
「はぁっ、はっ…はぁ、はぁ…」
ゆっくり、そうゆっくり呼吸をして、少しずつ落ち着かせる。
「…」
“また”あの夢だ。
それこそ毎日のようにあの夢を見る。まるで誰かが「忘れるな」と私に囁くように。
高鳴った心臓の名残でまだ胸が痛いけど、ゆっくりと起き上がって部屋の時計を見ると時間は五時になる少し前。今日は早番だから丁度いいくらいか。
「起きよう…」
眠気の残っただるい体を引きずってベッドから出る。
隣のベッドを見ると、アリアはもう居なくなっていた。彼女はキッチンメイド…調理班だから仕方ない。私より朝は早く、夜も早い生活をしてる。
配属が決まってからこっち、お互いが遅番でもない限り長い話はできていない。
それでもこの間“よくうなされている”と言われた。彼女の心配そうな表情は今でも忘れられないけど、その時は疲れてるせいだと誤魔化してしまった。今思えば悪いことをしたかもしれない。
洗面台で顔を洗って歯を磨いて、そのままタオルを濡らして嫌な汗を拭う。首回りなんてもう最悪だ。気分が悪い。
下着を干すための簡易的な紐にタオルを干してから着替える。どちらかが遅番の日が洗濯当番だ。
首にかけっぱなしの鍵のネックレスとその下にある火傷の跡が、私にあの夢を思い出させる。それでも、これだけは外せない。
フィン様と“話し合って”から更に二週間が経った。屋敷にいると、というか仕事をしていると日付感覚がついて良い。
この屋敷に来てから一ヶ月半も経てば流石に着替えも手慣れたもので、朝礼は六時だからと余裕を持って起きてるものの、最近では時間が余る。そう考えると普段もう少し寝ていようか、悩むな…。
あまり時間に余裕があり過ぎるのも、それはそれで嫌な事を考えがちなので好きじゃないからありかも。
ちらりと時計を見るとまだ朝礼まで三十分以上ある。とはいえ五分前にはエントランスに居ないといけないので、移動も考えるとあと十五分もしたら部屋を出ないといけないけど。
「…」
そんなふとした隙間時間で、案の定不安なことというか…この間のことを思い出してしまった。
フィン様はこの間何か企んでいた様だけど、今の所私に関わるような動きはない。そういう意味では安心して仕事ができていいけど、嫌な予感が拭えないのはどうしてなんだろう。
あれから変わったことと言えば、最近は見慣れない人が屋敷を出入りする様になった。高齢の女性で、身なりはシンプルだけど良い布を使ったドレスに頭頂部で髪をまとめている。
みんなが噂で言うにはどうやらダンスの先生らしく、最近フィン様がまたダンスを習い始めたそう。
…そう、私はこれに嫌な予感がしている。
具体的にどうとは言えないけど、なにか嫌な予感がする。面倒ごとはできるだけ避けたい所だ。
「…ん、そろそろか」
再びちらりと時計を見て時間を確認する。そしたらもういい時間だったので部屋を出ることにした。
仕事が始まれば一旦嫌なことも忘れられるし。
***
朝礼が終わって、今日は何人かで窓掃除を指示された。
掃除と言っても濡れ雑巾で窓を磨き、サッシの汚れを取るのがメイン。定期的に行っていることではあるので一つ一つの作業はそこまで大変じゃない。数が多い方が問題だ。
窓掃除は毎週金曜と天気が悪かった翌日に行われる。貴族の屋敷は見栄えが大事、芸術品も大切だけど輝くような窓も欠かせない。
いつも内側から拭く人と外側から拭く人に分かれて作業を行い、高いところは梯子を使ってよくよく拭いていく。私は今日は内側担当だ。
「アニー」
「どうしたの?」
不意に声をかけられてそちらを見ると、先輩のケナンが色めきたった様子で私を見ている。その瞬間、なんだが背筋に悪寒が走ったような感覚になった。
最近、私を見ては色めき立っているメイドが多い。やはりこの間の“話し合い”を見られていたのだろうか。ロマンス小説の様に私とフィン様が“デキてる”と思っているのかもしれない。
そんな疑い溢れる状況で目の前の彼女を見ていると、先ほどの悪寒は絶対に気のせいじゃないと脳が訴えかけてくる。
おかげで私は目の前のケナンを見ながら、心の中で苦虫を噛み潰したような顔になった。
「フィン様が貴女を呼んでるの」
「………そう」
ほらきた、逃げたい。
見事予想が的中した私が最初に思ったのはその一言に尽きる。たった一言を返すのでさえ絞り出すようだった私の表情はいつにも増して死んでいることだろう。
しかし呼ばれたからには行くしかない。私はマデリンさんに呼ばれた事を伝えて、ケナンから聞いた部屋に向かった。
マデリンさんは呆れたようにため息をついて「行ってきな」とだけ…すごく申し訳ない。私が何かしたわけじゃないのに。
指示された部屋は三階の空き部屋で、珍しくまだ物置になってないから、と定期的に掃除される部屋だ。客室にもなるよう貴族が使う前提に作られているけど、中に家具もないので広々としている。
いやだなぁ、とは思いつつとりあえず扉の外からノックをすると「どなた?」と声が掛かる。女性の声だ。
ん? 女性の声?
「お呼び頂きましたアニーでございます」
疑問は残りつつ、ひとまずそう言葉を返すとすぐにパタパタと走るような音と共に扉が開いた。
「やぁアニー、来てくれたんだ」
「…主人のお呼びですので」
「中に入って」
「畏まりました」
テンションだだ下がりの私に対して、主人はどこか浮き足立ってるように見える。正直あれだけ避けられていたところから何が起きたらあんなに嬉しそうに私を迎える主人が出来上がるのか不思議でならない。
私は心労で眉間に皺が寄るのを感じた。バレないといいけど。
「紹介するよ、ダンスの先生のオリヴィエさんだ」
「オリヴィエ・ウェンソンよ。よろしく」
よろしく?
いやいや、一見普通に挨拶だし不思議じゃないか。でも嫌な予感がするぞ、すごく嫌な予感が。
「先生、こちらがお話ししたメイドです。名をアニーと言います」
「お初にお目にかかります、アニーと申します。以後お見知り置きを」
いつも通りドレスの裾を広げ挨拶する。すると間髪入れずに視界の外から軽く手を叩く音が聞こえた。
「頭を上げてください。早速レッスンに入りますよ」
「そうですね。さ、アニー」
はい? 私は何も聞いてませんけど?
さも当然と手を差し伸べる主人に、私は怪訝な視線を隠せない。むしろさっきの失礼な発言を内心で留めた私を褒めて欲しいくらいだ。
「理由は後で説明するから、今は付き合って」
彼はそう言って無理矢理私の手を引いていく。私は慌ててこけそうになるのを抑えて、部屋の中央に出された。
そこから流れるように二人でとったのはワルツの構え、この間と同じ。
「では行きますよ。アニーさんは初めてだと思うのでステップの確認から…」
「???」
これはどう言う状況?
そう戸惑う私を置き去りにして、最初から決まっていたみたいにレッスンは始まる。
頭からステップを改めて教えて貰って、基本姿勢の指導が入って、実際に踊って…。
「…これはどういう事ですか?」
踊っているが故に至近距離なのを利用して、小声で彼に質問する。
痩せぎすだけど綺麗な顔が近くて無駄に緊張するのはなんだが悔しいけど、この間は暗かったから意識しなかった故に明るいところで見ると意識しないではいられない。
「ん?先生に『やっぱり先生だと緊張してしまうので、緊張しない相手がいい』って伝えただけだよ」
彼もまた小声で答える。ただ気になるのは、その平然とした態度。
「“緊張しない相手”って…私がメイドだからですか?」
「それもあるけど…君とは“腹を割って話した”仲だろう?」
「…」
その時の私の表情は心底イラついてたと思う。実際先生に表情が悪いと怒られた。
だって、彼の言うことは屁理屈だ。先生は丸め込まれたに違いない。あんなものの言い方をする人がダンスの講師相手に緊張するなんて思えないもの。
いつの間にそこまで私に執着するようになったのだろう、この人は。私は平穏に手に職をつけて、平穏に生きていきたいだけなのに。
叶わない夢は諦めてしまいたい、あるだけ無意味なんだから。
「まあまあ、先生だと緊張するのは本当だから」
宥めるように彼は言う。今目の前の私は明らかに不機嫌で、普通はこんな不遜な態度とったら怒られそうなものだけど、彼は怒らない。
流石に他に大勢が見てたら違うんだろうけど、私も二人きりでもない限り気を抜かないので実際のところはわからない。
いっそ足を思いっきり踏んでやろうか。そうでもしたら、少しは私のへの態度も変わるかもしれない。
しかしなぜかそこの思い切りがつかないまま、その日はレッスンを終えた。
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