「夢じゃない」なら、なんだって言うんだ(2)
***
「うぅ…申し訳ありません」
ハンカチで残った涙を拭きながら言う。
涙はしばらくしたら落ち着いたけど、目が腫れてるだろうなこれは…まだ鼻も詰まってる気がする。
「落ち着いたみたいでよかったよ…」
フィン様は安堵したようにそう言った。
「いやほんっとに、ほんっとうに申し訳ありませんでした!」
私は速攻で頭と腰を九十度曲げて謝る。
何をしてるんだ私は、こんなことでは不敬すぎて物理的に死んでしまう。
「いや、良いんだ。頭を上げて」
「…?」
お召し物に鼻水は付けないぞと言う固い決意が届いたのか? いや多分そうじゃないだろうな。
こんなみっともない姿晒して「大丈夫」は貴方が大丈夫なのか?
そんなに目下の人間に心が広いと、むしろ何かと騙されそうけど大丈夫なのかな…。
「…夢じゃないなら、か」
不意にそう言いながら、彼は困ったように笑った。確かに私はそう言ったけど彼の表情の真意までは掴めない。
「僕は思ったより、独りよがりだったみたいだ」
大きなため息をつきながら彼は床に座り込んだ。私はそれを眺めながら自分も座った方がいいのかについて考える。
主人より頭の位置が高いことを取って座るべきか、それとも許可がないので立ったままでいるべきか、どっちなんだこれは。
「君も座っていいよ、立ってたら疲れたろう?」
戸惑う私を見てか、彼はそう言って自分の隣をぽんぽんと叩く。
あれ、この光景どこかで見たような。
「…では、失礼して…」
一瞬やっぱり良いのか悩んだけど、ここまで立ちっぱなしで疲れてしまった気持ちが勝った。
彼の右隣にそっと座る。膝を立てて小さく収まる様に。
「「…」」
しばしの沈黙。
何か話したほうがいいのはわかるけど、さっきの行いの後悔で私の頭はいっぱいだ。
「…僕は」
呟くように彼が話し始める。私は反射的に彼へ視線を向けて、月明かりに照らされた彼の横顔を見つめた。
「僕は…君の夢を叶えたかった」
どこか悔しそうな様子で、彼は言う。
「あの事件があって、君に会えなくなって…僕は毎日後悔ばかりしていたんだ」
「後悔…」
「メイドとして君がここにきた時、変わり果てた君を見るのが耐えられなかった」
「…」
確かに変わり果てただろうな、と思った。
髪は痛み、眠りが浅い故にクマが出た目元、荒れた肌、ボロボロになった手先、痩せた体。
今の私を見て、貴族と思うものはいないだろう。これでも一応その場所に立っていたはずなのに。
「後悔と緊張で目を合わせることもできなくて、君にも周りにも誤解を与えてしまったし」
「そう、だったんですね…」
なんだ、別に嫌われてる訳じゃなかったのか。
確かに嫌いな相手とダンスを踊るままごとをしようなんて、普通じゃない。舞踏会で踊らなきゃいけない相手ってわけじゃないんだから。
でも、彼が後悔する必要なんてどこにあるんだろう。
「君にできることはないか、ずっと考えていた」
「できることなんて…お気になさらず」
私は普通に接してくれるだけでよかった。他の使用人と同じように、他人として接してくれるだけで。
「この間も言っただろう、これは僕のケジメなんだ」
「はぁ…」
そんなに頑なになる理由はなんなのか、正直不思議でならない。
「そう、あの日…君と踊ったあの日も、丁度君のことを考えていた」
その言い方は語弊が生まれますよフィン様、と言いたい所だけど、流石に雰囲気に対して水を差すので控えた。
「そしたらダンスホールから鼻歌が聞こえて、惹かれる様に向かったんだ」
「…」
そこからってことはほとんど最初から見られていたのでは?
恥ずかしすぎて顔から火を吹きそう。
確かにダンスホールから執務室は近いから、部屋を出ればかすかに聞こえなくもないのかもしれないけどさ。
「そしたら君が、踊っていたから」
それが綺麗で、と言葉は続いた。
綺麗なんてものではないはずだ。ステップも、曲も、足運びも、全てが違うあんなでたらめな踊りが。
それを“綺麗”なんて、揶揄ってるの?
「楽しそうな君を見ていたら、昔を思い出して。これだって思った」
彼はそう言って私を見る。私は驚くと同時に、なぜかその瞳に目を奪われた。
「“これ”なら、君を喜ばせてあげられるって」
「それは…」
そんなことは無理なのに「無理」となぜか言えない私が憎い。
同時に、なんと愚かな人だろうと思った。
私の出自がなんであれ、使用人を贔屓するような真似をしたらどういう状況が生まれる可能性があるか…考えられない人じゃないだろうに。
“お付き”の人間でもない一介の使用人を贔屓しようだなんて、互いにどんなリスクがあるか彼は本当にわからないのだろうか。
威厳がないとか、そう言う話では済まされない。
万が一私と彼が、確実に結婚でも出来るならいい。しかし、この国でそれは安易に許されることではない。使用人と結婚なんて、まるで物語のように他人は“下世話”だの“汚い”だのと言うんだろうから。
物語でそんなことが起きるのに、現実で起きないなんてあり得ない。私の立場はともかくとして、彼にとってはあまりにも危険すぎる。
それで、それなのに私を喜ばせようだなんて。
私は恋人や婚約者じゃないんだから、そんなものは尚更互いの首を絞めるだけだ。その場が楽しいだけの、それこそ幻。
私はその場の色恋やそれっぽい遊びを喜べるほど大人じゃない。
「…確かに、確かにあの日は楽しかったですよ」
私も私で、呟く様にしか話せない。
だって誰にも、目の前の彼以外誰にも、聴かれたくはないから。
「でも、身分の壁がある以上…こんなことは互いの首を絞めるだけです」
それだけは、彼の首が絞まることだけは避けたい。
もちろん職場を失いかねないし、付き合いのあった従兄弟だし、後は…なんか、嫌だ。彼が不幸な末路を辿るのは、とても嫌。
「なら、何か大義名分でも有ればいいのかい?」
「…そういう問題ではないと思いますけど」
なぜか彼は私の言葉に対して何か企むような顔をした。楽しそうに悪戯を考える子供のような表情で、ニヤリと笑う。
「こういうのは言ったもの勝ちだからね」
理由はわからないけど、何か楽しそうな彼に嫌な予感がして私はため息をつく。何を考えてるのか知らないが、厄介ごとには巻き込まないでほしい。
「今日は一先ず解散しよう。楽しみにしてて」
「…何をですか」
立ち上がって裾を払う彼の事を、私は渾身の呆れ顔で見つめた。
厄介ごとには巻き込まないでほしいんだってば。とは言えないので表情で訴えるより他はない…と言っても見えてないんだろうけど。
仕方がないので私も立ち上がってモップやバケツを回収する。
「何って…なんだろうね?」
「……」
とりあえず私に関する事でないことを、切に願った。
私にかまわないでほしい。なんか気にされているみたいだし、変な噂でも立ったら大変だ。
「…失礼します。おやすみなさいませ」
部屋を出て、お辞儀をしてから急いで離れる。彼は「おやすみ」と言って笑顔で手を振っていた。
…本当に、嫌な予感しかしない。
そんなことを考えながらとりあえずマデリンさんの所に鍵を返しに行くと、
「坊ちゃんにも困ったもんだね…」
呆れた様子で眉間に皺を寄せていた。私も困ってます。それこそ現在進行形で。
その日は、マデリンさんの計らいで夕食を取り分けておいてくれていて、温め直されたシチューに私はやっと一日の終わりを感じた。
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