第23話 嵐夜に散った祈り
外は嵐でした。
窓を叩きつける雨音は耳をつんざくほど激しい。
その中で――私は、野盗の襲撃に備え、屋敷の中央にある広い部屋で子供たちと避難していました。
「……そして、少女は走り去るウサギを追いかけていったのです――」
「ミラージュ様……なんで、ウサギさんを追いかけるの?」
「ふふっ、それはね。これから分かると思うよ♪」
私はセナ先生が用意してくれた絵本を、セフィーちゃんに読み聞かせていました。
けれど――
「早く、回復薬とタオルを持ってきて!!」
「は、はい!!」
廊下から切迫した声が響いて……。
「ねぇ……ミラージュ様……お外、騒がしいね?」
「そ、そうだね……多分、みんな忙しいんだよ。」
「うん……」
“お外”とは、きっと廊下のことでしょうか。騒ぎ立てているのはメイドや兵士たちに違いない。
私も正直、この騒ぎはただ事ではないと分かっていました。けれど、子供たちを不安にさせるわけにはいかず、笑顔で誤魔化すしかありませんでした。
「ミラージュ様……」
ギュッ……。
でも、セフィーちゃんが、不安そうな顔で私の腕にしがみついてきて……。
「なんか……怖い……」
「だ、大丈夫だよ!! セナ先生や屋敷のみんなが、きっと追い払ってくれるから!」
「……うん」
それでも不安は消えず、セフィーちゃんは余計に腕に力を込めていました。
そんな彼女の様子に胸が痛み、私は口を開き……。
「セフィーちゃん、喉乾かない? ちょっと蒸し暑いし、ジュースとお菓子を持ってくるね」
「ミラージュ様……」
本当は気になって仕方がありませんでした……。
私はセフィーちゃんを安心させる理由を作って、その場を離れました。
廊下に出た瞬間、耳に飛び込んできたのは切迫した声。
「早くポーションを持ってきてくれ!!」
「すみません、もうこれが最後です! 後は痛み止めくらいしか……!」
「それでも構わない!! 急げ!!」
不安が募る中、私は声のする方へと足を運びました。
玄関広間……そこへ踏み込もうとした瞬間――
「お嬢様!! 入ってはいけません!!」
「え……?」
制止したのはアンでした……。
いつも冷静な彼女の顔色は真っ青で、声も荒ぶっている。
だけど、その警告はもう遅かったのです。
「な、なに……これ……」
目の前に広がっていたのは、あまりに残酷で――無慈悲な光景。
広間には兵士たちの重傷者……いや、すでに遺体となった者たちが並べられていて……。
「な、何が起きてるの……」
頭が真っ白になり……あまりに酷すぎる惨状に、思考も身体も追いつけない。
「頼む!! こいつに回復魔法を!!」
「しっかりしろ!! 目を開けるんだ!!」
「ご、ごめんなさい……もうこれ以上は……」
悲鳴と怒号が飛び交い、床は血で赤黒く濡れている。
だけど、その多くは、すでに助かリませんでした。
腕も脚も失った者。首のない者。胴体だけになった者。
戦場から帰ってきたのは“生き残り”ではなく、全てが“屍”だったのです。
「はぁ、はぁ……おぇっ……!」
ドサッ――。
「お嬢様!!」
吐き気と恐怖で膝をつく私を、アンが慌てて支えてくれました。
それでも目の前の現実からは逃げられなかった。
「ど、どうして……こんな……」
誰もが心の中で同じ問いを叫んでいただろう。
でも、その時――
「た、助けてくれ!! こいつは……まだ息があるんだ!!」
かすかに生きている者がいたのです。
〈え……まだ助けられる人がいる!?〉
「い、行かなきゃ……!」
「お嬢様!?」
震える体を振り切り、私は駆け寄り。
そこで治療をしていたのは――
「……セナ先生?」
血まみれで顔の表情もよく見えない兵士に、必死で回復魔法をかけるセナ先生の姿でした……。
私も必死に手伝おうと、タオルで血を拭き取ろうとした瞬間。
「触るな!!」
「ひっ……!」
いつも冷静な先生が、怒号を放ち……。
それは、私に気づかないほど動揺していたからだろうと思いました。
「リキッド君は魔素に感染している……無闇に触れるな!拭うなら顔だけにしろ……」
「ま、魔素……?は、はい!?」
ようやく顔を拭った私は、
「ウソ……」
彼の正体に気づきました。
「なんで……どうして……リ、リキッド君……?」
そう……訓練所で相談していた少年……リキッド君。あんなに、明るく元気だった少年が……
全身傷だらけで、拭いきれなかった血……濡れた顔は痛々しい姿に……。
「な、なんで……昨日まで、ちゃんとお話していたのに……」
「ハァ……ハァ……」
それでも――かすかな呼吸だけが、彼の生を証明していました。
「せ……んせ……い……」
「喋らないで! 今は回復に集中して……」
「ちが……う……伝え……ないと……」
セナ先生は、思わず彼の口元に耳を寄せて……。
そして、聞いた言葉に――その顔色が変わリました。
「そんな……馬鹿な……」
「ひっ……せ、先生……?」
私には聞き取れなかった。
でも、先生の顔は、今まで見たことのないほど恐ろしく歪んでいて……
それでも、先生は震える声を押し殺し、魔法を紡ぐのでした。
「……大丈夫です。リキッド君、もう喋らなくていいから。意識を保つ事を考えて……」
だが――傷口は広がり、身体はみるみる黒く染まっていくのです。
魔素の侵食。回復魔法ですら押し返せない。
「せん……せ……い……ごめ……なさい……」
「謝る必要なんてありません! あなたは立派に戦いました!」
「ぼ、僕……は……兄さん……みたいに……強く……なりたかっ……た……から……」
「もう十分強いです! 君は誇りだ! だから――生きて!」
セナ先生の声が震える。必死の叫びに、私の胸も締め付けられました。
「はは……は……先生に……褒められた……うれしい……なぁ……」
「ダメだ!!生きる事を諦めるな!!リキッド君!!」
「……ありが……と……セ……ナ……せん……」
その瞬間――呼吸が途切れて……
「うわーーーッ!!ハイヒール!! ハイヒール!! 戻れ……リキッド!!」
セナ先生は絶叫しながら魔法を唱え続けました。
すでに命が途絶えた少年に、それでも手を止めようとはしなかったのです。
「セナさん! もう……リキッド君は……!」
「離せぇぇぇ!!」
「キャ!!」
アンが必死に腕を掴む。
だけど先生は振り払い、なおも魔法を浴びせ続けました。
「戻ってきてくれ!! 生きてくれ!! 頼むから……!!」
嗚咽と怒号。
その姿は、いつも冷静な先生ではありませんでした……
そして……私はただ――立ち尽くし……。
〈どうして……どうしてリキッド君が死ななきゃならないの……?〉
心の中で叫んでも、答えは返ってこない。
耳を塞ぎたくても、悲鳴も泣き声も消えなかった。
気づけば視界が滲み、黒い闇が広がっていく。
フラッ――ドサッ。
「お嬢様!!」
意識は、そこで途切れました。




