第1話 憂鬱な天才レーサー
暑い……とてつもなく暑い。
今年の夏は観測史上トップクラスの暑さだと、ニュースで報じられていた。
それは、流石に厳しい暑さだ。
しかし、M県S市では、この暑さを凌駕する熱いイベントが行われていた。
「いよいよ、フォーミュラーワン日本グランプリ決勝戦が始まります!」
女性リポーターがカメラの前で白熱した実況を行っている。彼女の声には興奮が満ちていた。
「このレースのポイントで、世界選手権のチケットを手に入れるチャンスが訪れます。本日は、その有力候補のレーサーをご紹介いたします。」
リポーターは、隣に現れた青年にマイクを向けた。
「車田カケル選手、予選全てのレースを好成績で残し、今回のレースでも優勝すれば世界選手権の出場資格を手に入れることになりますが、意気込みはいかがでしょうか?」
こんなにも暑いのにハイテンションで質問を続けた。
しかし…
「僕は、常にベストなコンディションで挑んでおります。今回も皆様の期待に応えられるレースをするつもりです。それでは、ミーティングの時間がありますので失礼いたします。」
「え?あ、あの、もう少しお話を…」
回答は、まるでカンペを読むかのように、当たり障りのないセリフだった。
そして、リポーターから逃げるように、その場を後にした。
名は、車田カケル(20歳)
日本選手権に途中から参戦し、全てのレースを優勝してきた凄腕レーサーだ。
周囲からは天才や神童と称賛されているが……今、他のレーサーとは明らかに異なる状況に陥っていた。
「つまらないな…」
心は完全に冷めきっていたのである。
アスファルトが熱く、他のレーサーたちが闘志を燃やしている中、熱血や闘志など微塵も感じられなかった。
「そもそも、ガレージで打ち合わせしていたところに、あのリポーターが現れて、仕方なく付き合ったけど…時間の無駄だったかな…」
愚痴をこぼしながら、ひとり考え込んでいた。
初めの頃は、すべてが楽しかった…
相手の車を追い抜く爽快感、優勝した瞬間の満足感、それらはすべて心を満たしていた。
しかし、徐々に気づき始めたのだ。
勝ち続けることはできても、自分と相対するに足る相手がいないことに…。
率直に言えば、決勝戦もまた同じ結果になるだろうと覚悟していた。
いっそのこと棄権しようかとも考えたが、チームに迷惑をかけるわけにはいかないと、その考えはすぐに却下した。
「仕方ない、次の世界選手権でライバルが現れることを期待しよう。」
そう呟きながら、チームのガレージへと戻った。
1時間後、マシンはポールポジションに並び、スタートの瞬間を待っていた。
「カケル、無線の感度は大丈夫か?オーバー!」
ヘルメット越しにスタッフの声が響く。
「オールクリアです。オーバー!」
「よし、お前なら余裕で優勝を狙えると思うが、決して油断するなよ!オーバー!」
「油断?こんな退屈なレースで本気になんか……」
「確かに、面白くはないが、手を抜くのはよろしくないぞ。オーバー。」
少し不機嫌になりながらインカムに返事をした。
「もう少しワクワクやドキドキを期待していたけど、仕方がない…やれることはやるしかない。」
覚悟を決めた瞬間、スタートランプが点滅する。その直後だった!!
「ニゲテ…」
「な、なんだ?」
「ニゲテ…ヨケテ…」
頭の中に響く声に戸惑いながら、その正体を理解できなかった。
「なんなんだ、これ?」
さらにインカムから切羽詰まった声が飛び込んできた。
「逃げろ!!カケル!!」
「な、何が!?!」
「ドッカーーン!!」
その瞬間、耳をつんざくような爆発音とともに、衝撃波が押し寄せた。体が吹き飛ばされる感覚に、驚きが走る。
「ぐ、ぐはぁ… な、なんだ、何が起こった!?」
気がつけば、大破したマシンと周囲を包む炎の中にいた。
「早く逃げないと…」
しかし、体が思うように動かない。先ほどの衝撃波のせいか、出血はひどく、もはや致命傷のようだった。
「ははは、これはまずいかな…。レースの神様が、僕が真剣に戦わなかったことに怒っているのか?」
意識がどんどん薄れていく中で、そんなことを考えながら、自らの人生を悔いていた。
この後の記憶は、もうなかった…。