靴磨き
「毎度どうも。またよろしくお願いします」
客を見送り、仕事道具を鞄に手早く片付ける
特定の縄張りを持たない靴磨き屋にとって、撤退までのスピード感は何より重要だ
他の商売の迷惑にならないよう、しかし客に焦燥を感じさせることなく仕事を完遂する
簡単ではないが、だからこそ達成感と充足感は格別だ
無論そうしたやりがい以外にも、俺が靴磨きを生業とする理由はある
「さて次は……おっとお姉さん!!突然すみません。華やかに着飾られていたものですから、つい声をかけてしまいました」
歩いていた女に駆け寄り、隣を歩きながら声をかける
いつも通り掴みの世間話から、セールストーク、そして靴磨きへと繋いでいく
今回も問題なく上手くいった
俺は折り畳みの椅子を手早く組み立て、女性を座らせた
王都マグノリアは『全てのものが集まる街』と言われ、その名の通り毎日のように各地から人の往来が続く巨大城郭都市
城壁付近のこの場所で、俺が相手にするのは一日当たり約60~70人
それだけの人数、それぞれ別の出身の人間と話をすることで、国中の情報を仕入れることができ、時には様々なコネクションを得ることもできたりする
そして何より
「では、磨いていきますね」
手に持った布で靴全体の汚れを落とし、丁寧に油を塗ってゆく
布と靴の擦れるかすかな振動が女の体を揺らし―――
「……いい感じです」
―――その豊満な胸を揺らす
現在、国内の男女比は2:8
特に王都内の人間はほぼ女性、男性客に当たることは滅多にない
合法的に、下からのアングルで、一日60~70人の乳揺れを干渉でき、尚且つ金も稼げる
更に靴磨きをする間は会話する時間が生まれるので、気に入った相手を口説き落とし『そういうコネクション』を得ることだってできる
このような仕事は靴磨き以外にないのではないだろうか
「ありがとうございました。またどうぞ」
女を見送り、街頭の大型時計を確認する
時刻は午後2時
今日は4時頃から約束があったが、まだ少し余裕がありそうだ
「もうひと稼ぎ……といきますか」
群衆の往来を観察し、顧客になりそうな人物を探す
まずはつば広の帽子をかぶった貴婦人風の女
良い恰幅に艶のある髪、上等な服装で一見羽振りはよさそうだ
だが人とすれ違う時、半身で避けようともしない
天啓的な自己中心タイプ
ああいうのは客として捕まえられなくもないが、大抵金を出し渋られて揉めるのがオチだ
揉むのは胸だけでいい
次に裕福な町民風の女
安物だがきっちり服を着こなし、固そうな雰囲気
金は程々にあり、マナーもあるが、街頭の時計を立て続けに2度確認した
待ち合わせか何かで急いでいる証拠だ
普段なら良い客になるのだが、今アプローチするのは心象が悪い
何より胸がない
見送ろう
もう少し余裕のあって、それなりに金も持っていて、胸もあって、どこか隙のあるような人物……
「……いた」
道端の、建物の壁際に無造作に腰を降ろす娘
一見幼げで小汚いが、肉付きの良い身体、布と刺繍を見るに相当上等なドレス、ハイヒールに手入れの行き届いた長髪、髪飾りまでつけている
それでいて荷物を傍らに放り出し、地べたに座り込んで呆けるあまりに隙だらけな姿
大型の鞄は王都の外から来た証拠、典型的な田舎の世間知らずだろう
過剰に膨れた胸は恐らく詰め物の偽乳だろうが、商売の観点から考えれば、客としては申し分ない
「こんにちはお嬢さん。ひょっとして、どこか具合でも悪いのですか?」
一歩半ほど離れた位置で跪き、娘の顔をやや下から覗き込む
警戒心を解くにはへりくだること、相手より低い位置で話しかけ、立ち振る舞いから示すこと
商売の基本だ
勿論、笑顔は忘れない
「え……?あ、い、いえ、大丈夫です!!すみません、はしたない姿をお見せして、ご心配を……」
突然話しかけられて驚いたのだろう
娘はあたふたと乱れ気味の髪を直し、最早手遅れであろうドレスの汚れを手で払いのけていた
どんくさそうだが、顔立ちは端正で、肌もきめが細かく手入れが行き届いている
細かい所作からしても、それなりに良い育ちをしているらしい
「こちらこそ、突然失礼しました。あまりこの街に慣れていらっしゃらないようにお見受けしたので、何かお力になれないかと。私も田舎出身でして、ここに来た頃は、何をするにも苦労したものです」
「!!まぁ!そうだったのですか!実は私も、今日この街に来たばかりでしたので……」
田舎と聞いて、途端に顔が明るくなる娘
見立ては間違っていなかったようだ
初対面の人間と1つでも共通点を見つけるとガードが甘くなるその純粋さは、短絡的過ぎて少し心配になる程だ
もう少し彼女に声を掛けるのが遅ければ、きっと他の様々な商売人にカモにされ、たちまち身ぐるみを剥がされていただろう
運が良かったのか、靴磨き屋として誇りをもって働いてきた結果だろうか
いずれにせよ、これほどにまで良い『商売の土壌』をここで逃す手はない
全身全霊で、金を持っているうちに取れるだけ取っておくべきだ
そうと決まれば、いつものセールストークを―――
「……正直、少し心細い思いをしていたところでした。都会は厳しいところだと聞いていて、まさしくそれを実感していましたので……。ですが貴方のように、ご親切にお声をかけてくださる紳士もいらっしゃるのですね」
そう言って娘は少し寂しげに笑うと、もたれていた壁から背を離してこちらに少し身を乗り出した
その瞬きひとつにも満たない刹那を、俺は見逃さなかった
姿勢を変えるために身じろぎした際、両腕に潰され揺れ動いた胸の双丘の動き
雷に打たれたような衝撃が俺の身体を駆け巡る
間違いない、天然だ
流行りの入れ乳などではない、俺には分かる
あの揺れは革製の水風船には成せない
誓ってそう言える
でかい
メロン……否、スイカ……否、固めの生地のドレスを着ているので、ひょっとするともっと……
「……困っている方の力になりたいと思うのは、人として当然のことですよ」
俺は上着を脱いで腕まくりし、乱雑に投げ出された彼女の鞄をそっと拾い上げた
方針転換、セールスは止めだ
これほどにまで良い『おっぱいの土壌』を逃す手はない
ここで退けば、きっと他の様々な男たちにカモにされ、たちまち身ぐるみを剝がされてしまうだろう
靴なんて磨いている場合ではない
全身全霊で、純粋なうちに口説き落とすべきだ
うん、そうするべきだ
「な、何をなさっているのですか!!大切なお召し物が……!!」
相手は田舎の箱入り娘
となれば、口説き文句は多少古臭くとも王道で上品なものが良い
愛の囁きはストレートに、さながら芝居の一幕のように
彼女の傍らに脱いだ上着を敷き、その上に拾い上げた2つの鞄を揃えて置く
「粗野な振る舞いをお許しください。ですが天使のように可憐な貴女をこのままにしておくのは、私の誇りが許さないのです」
「て、天使?!そ、そんな急に何を、お上手ですね……?!」
突然男に寄せられた好意に慌てふためく娘
だが存外悪い気はしていないようだ
となれば、このまま前進あるのみだ
「お世辞などではありませんよ。一目で分かりました。貴女は神が私に遣わした天使様なのだと。初対面の身でお恥ずかしながら、貴女のことをもっと知りたいと思ってしまった」
「えっ……えっ?!」
「叶わぬ恋情と分かっております。ですがせめて、どうか私に天使様に尽くす機会を頂けませんでしょうか」
「えっえっえっえっ?!」
俺はポケットからハンカチを取り出し、娘の目の前に跪いて恭しく手を差し伸べる
「お嫌でなければ、私の手をお使い下さい。いつまでも貴女を地に触れさせては、男の名折れです。せめてこのハンカチをお敷きになって下さい。そして叶うなら、もう少しだけ、私に貴女と言葉を交わす時間を下さいませんか」
「~~~?!?!?!」
娘は声にならない声を上げながら、顔を真っ赤にするばかりだった
このまま押し切れば間違いなく落とせる
今夜は行きつけの店が休みだったが、代わりに良い夜の楽しみができそうだ
やがておずおずと手を取ってきた娘を優しく引き寄せ、俺は尋ねる
「素敵なお嬢さん、お名前は?」
「れッ……?!レイア……イムと申します……!!」
「素敵なレイア嬢。貴女に相応しい、高貴で透き通るような名だ」
そう、高貴で透き通るような……
高貴で……
「……ひょっとして貴女、ブラック領の南部からいらしたのですか?」
「え?ええ、その通りです」
「……アレク・イム男爵と何か関りが?」
「はい?ええ、アレクは私の父ですが……」
瞬間、俺の手は娘から離れ、半歩ほど距離を取っていた
「のわ?!痛い!!な、何ですか急に?!」
急に手を離されて尻もちをついた娘が騒いでいたが、そんなことはどうでもいい
アレク・イム男爵の娘
彼女は今、確かにそう言った
「ウゲェー?!あのタヌキおやじの娘か?!」
「な、何なのですか、いきなり……!!」
当惑する娘から距離を取り、俺は思わず感情を爆発させる
「俺はあの野郎が大嫌いなんだ!!この世に生きる人間の誰よりもな!!」
「なっ?!ち、父を侮辱するのですか?!許しませんよ?!?!父は貴族の中の貴族!!!高潔な魂を持っています!!確かに顔はタヌキ似ですが、それも愛嬌ではありませんか!!」
「馬鹿言え!!!あれのどこか高潔な魂だ!!!あんなスケベが高潔だっていうなら、世の中高潔な魂だらけだ!!!」
「この……!!言わせておけばッ!!!」
通行人が大声で言い合う俺たちを見ているのが分かる
が、譲れないポリシーと言うものがある
そのまま俺たちは、小一時間ほどお互いを罵り合い、魂の叫びをぶつけ合った
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お互いに喉が枯れるほど叫び倒し、肩で息をしている最中
ふと俺の中に、恐ろしい考えが浮かび上がる
「……ひょっとして今日、誰かと待ち合わせを?」
「……え?ええ。少し先の宿で。確か……『風来亭』という所ですが」
風来亭
俺が部屋を借りている所だ
「……どういったご用件で?」
「宿に父の馴染みの方がいるので、面倒を見てもらえと。貴方のような方とは違い、父が信頼を置いていて、とても親切で頼りになる男性らしいですよ?手紙を預かっていて、渡すように言われました
「……男の特徴は?」
「黒髪黒目で、女にだらしがなくて、辛気臭い顔のとっぽい男だとか。名前は……」
「……ライト」
「そう!!ライト様!!ご存じなのですか?一体どうし……て……」
そこまでやり取りして、彼女もようやく気がついたらしい
「黒髪……黒目……」
「……そうです」
「……女にだらしがない」
「失礼だな」
「辛気臭くてとっぽい」
「失礼だろ」
俺の名前はライト
アレク男爵領出身、今は王都でしがない靴磨きをやっている