表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

靴磨き

「毎度どうも。またよろしくお願いします」


客を見送り、仕事道具を鞄に手早く片付ける

特定の縄張りを持たない靴磨き屋にとって、撤退までのスピード感は何より重要だ

他の商売の迷惑にならないよう、しかし客に焦燥を感じさせることなく仕事を完遂する

簡単ではないが、だからこそ達成感と充足感は格別だ

無論そうしたやりがい以外にも、俺が靴磨きを生業とする理由はある


「さて次は……おっとお姉さん!!突然すみません。華やかに着飾られていたものですから、つい声をかけてしまいました」


歩いていた女に駆け寄り、隣を歩きながら声をかける

いつも通り掴みの世間話から、セールストーク、そして靴磨きへと繋いでいく

今回も問題なく上手くいった

俺は折り畳みの椅子を手早く組み立て、女性を座らせた

王都マグノリアは『全てのものが集まる街』と言われ、その名の通り毎日のように各地から人の往来が続く巨大城郭都市

城壁付近のこの場所で、俺が相手にするのは一日当たり約60~70人

それだけの人数、それぞれ別の出身の人間と話をすることで、国中の情報を仕入れることができ、時には様々なコネクションを得ることもできたりする

そして何より


「では、磨いていきますね」


手に持った布で靴全体の汚れを落とし、丁寧に油を塗ってゆく

布と靴の擦れるかすかな振動が女の体を揺らし―――


「……いい感じです」


―――その豊満な胸を揺らす

現在、国内の男女比は2:8

特に王都内の人間はほぼ女性、男性客に当たることは滅多にない

合法的に、下からのアングルで、一日60~70人の乳揺れを干渉でき、尚且つ金も稼げる

更に靴磨きをする間は会話する時間が生まれるので、気に入った相手を口説き落とし『そういうコネクション』を得ることだってできる

このような仕事は靴磨き以外にないのではないだろうか


「ありがとうございました。またどうぞ」


女を見送り、街頭の大型時計を確認する

時刻は午後2時

今日は4時頃から約束があったが、まだ少し余裕がありそうだ


「もうひと稼ぎ……といきますか」


群衆の往来を観察し、顧客になりそうな人物を探す

まずはつば広の帽子をかぶった貴婦人風の女

良い恰幅に艶のある髪、上等な服装で一見羽振りはよさそうだ

だが人とすれ違う時、半身で避けようともしない

天啓的な自己中心タイプ

ああいうのは客として捕まえられなくもないが、大抵金を出し渋られて揉めるのがオチだ

揉むのは胸だけでいい

次に裕福な町民風の女

安物だがきっちり服を着こなし、固そうな雰囲気

金は程々にあり、マナーもあるが、街頭の時計を立て続けに2度確認した

待ち合わせか何かで急いでいる証拠だ

普段なら良い客になるのだが、今アプローチするのは心象が悪い

何より胸がない

見送ろう

もう少し余裕のあって、それなりに金も持っていて、胸もあって、どこか隙のあるような人物……


「……いた」


道端の、建物の壁際に無造作に腰を降ろす娘

一見幼げで小汚いが、肉付きの良い身体、布と刺繍を見るに相当上等なドレス、ハイヒールに手入れの行き届いた長髪、髪飾りまでつけている

それでいて荷物を傍らに放り出し、地べたに座り込んで呆けるあまりに隙だらけな姿

大型の鞄は王都の外から来た証拠、典型的な田舎の世間知らずだろう

過剰に膨れた胸は恐らく詰め物の偽乳だろうが、商売の観点から考えれば、客としては申し分ない


「こんにちはお嬢さん。ひょっとして、どこか具合でも悪いのですか?」


一歩半ほど離れた位置で跪き、娘の顔をやや下から覗き込む

警戒心を解くにはへりくだること、相手より低い位置で話しかけ、立ち振る舞いから示すこと

商売の基本だ

勿論、笑顔は忘れない


「え……?あ、い、いえ、大丈夫です!!すみません、はしたない姿をお見せして、ご心配を……」


突然話しかけられて驚いたのだろう

娘はあたふたと乱れ気味の髪を直し、最早手遅れであろうドレスの汚れを手で払いのけていた

どんくさそうだが、顔立ちは端正で、肌もきめが細かく手入れが行き届いている

細かい所作からしても、それなりに良い育ちをしているらしい


「こちらこそ、突然失礼しました。あまりこの街に慣れていらっしゃらないようにお見受けしたので、何かお力になれないかと。私も田舎出身でして、ここに来た頃は、何をするにも苦労したものです」

「!!まぁ!そうだったのですか!実は私も、今日この街に来たばかりでしたので……」


田舎と聞いて、途端に顔が明るくなる娘

見立ては間違っていなかったようだ

初対面の人間と1つでも共通点を見つけるとガードが甘くなるその純粋さは、短絡的過ぎて少し心配になる程だ

もう少し彼女に声を掛けるのが遅ければ、きっと他の様々な商売人にカモにされ、たちまち身ぐるみを剥がされていただろう

運が良かったのか、靴磨き屋として誇りをもって働いてきた結果だろうか

いずれにせよ、これほどにまで良い『商売の土壌(サンクチュアリ)』をここで逃す手はない

全身全霊で、金を持っているうちに取れるだけ取っておくべきだ

そうと決まれば、いつものセールストークを―――


「……正直、少し心細い思いをしていたところでした。都会は厳しいところだと聞いていて、まさしくそれを実感していましたので……。ですが貴方のように、ご親切にお声をかけてくださる紳士もいらっしゃるのですね」


そう言って娘は少し寂しげに笑うと、もたれていた壁から背を離してこちらに少し身を乗り出した

その瞬きひとつにも満たない刹那を、俺は見逃さなかった

姿勢を変えるために身じろぎした際、両腕に潰され揺れ動いた胸の双丘の動き

雷に打たれたような衝撃が俺の身体を駆け巡る

間違いない、天然だ

流行りの入れ乳などではない、俺には分かる

あの揺れは革製の水風船には成せない

誓ってそう言える

でかい

メロン……否、スイカ……否、固めの生地のドレスを着ているので、ひょっとするともっと……



「……困っている方の力になりたいと思うのは、人として当然のことですよ」


俺は上着を脱いで腕まくりし、乱雑に投げ出された彼女の鞄をそっと拾い上げた

方針転換、セールスは止めだ

これほどにまで良い『おっぱいの土壌(サンクチュアリ)』を逃す手はない

ここで退けば、きっと他の様々な男たちにカモにされ、たちまち身ぐるみを剝がされてしまうだろう

靴なんて磨いている場合ではない

全身全霊で、純粋なうちに口説き落とすべきだ

うん、そうするべきだ


「な、何をなさっているのですか!!大切なお召し物が……!!」


相手は田舎の箱入り娘

となれば、口説き文句は多少古臭くとも王道で上品なものが良い

愛の囁きはストレートに、さながら芝居の一幕のように

彼女の傍らに脱いだ上着を敷き、その上に拾い上げた2つの鞄を揃えて置く


「粗野な振る舞いをお許しください。ですが天使のように可憐な貴女をこのままにしておくのは、私の誇りが許さないのです」

「て、天使?!そ、そんな急に何を、お上手ですね……?!」


突然男に寄せられた好意に慌てふためく娘

だが存外悪い気はしていないようだ

となれば、このまま前進あるのみだ


「お世辞などではありませんよ。一目で分かりました。貴女は神が私に遣わした天使様なのだと。初対面の身でお恥ずかしながら、貴女のことをもっと知りたいと思ってしまった」

「えっ……えっ?!」

「叶わぬ恋情と分かっております。ですがせめて、どうか私に天使様に尽くす機会を頂けませんでしょうか」

「えっえっえっえっ?!」


俺はポケットからハンカチを取り出し、娘の目の前に跪いて恭しく手を差し伸べる


「お嫌でなければ、私の手をお使い下さい。いつまでも貴女を地に触れさせては、男の名折れです。せめてこのハンカチをお敷きになって下さい。そして叶うなら、もう少しだけ、私に貴女と言葉を交わす時間を下さいませんか」

「~~~?!?!?!」


娘は声にならない声を上げながら、顔を真っ赤にするばかりだった

このまま押し切れば間違いなく落とせる

今夜は行きつけの店が休みだったが、代わりに良い夜の楽しみができそうだ

やがておずおずと手を取ってきた娘を優しく引き寄せ、俺は尋ねる


「素敵なお嬢さん、お名前は?」

「れッ……?!レイア……イムと申します……!!」

「素敵なレイア嬢。貴女に相応しい、高貴で透き通るような名だ」


そう、高貴で透き通るような……

高貴で……


「……ひょっとして貴女、ブラック領の南部からいらしたのですか?」

「え?ええ、その通りです」

「……アレク・イム男爵と何か関りが?」

「はい?ええ、アレクは私の父ですが……」


瞬間、俺の手は娘から離れ、半歩ほど距離を取っていた


「のわ?!痛い!!な、何ですか急に?!」


急に手を離されて尻もちをついた娘が騒いでいたが、そんなことはどうでもいい

アレク・イム男爵の娘

彼女は今、確かにそう言った


「ウゲェー?!あのタヌキおやじの娘か?!」

「な、何なのですか、いきなり……!!」


当惑する娘から距離を取り、俺は思わず感情を爆発させる


「俺はあの野郎が大嫌いなんだ!!この世に生きる人間の誰よりもな!!」

「なっ?!ち、父を侮辱するのですか?!許しませんよ?!?!父は貴族の中の貴族!!!高潔な魂を持っています!!確かに顔はタヌキ似ですが、それも愛嬌ではありませんか!!」

「馬鹿言え!!!あれのどこか高潔な魂だ!!!あんなスケベが高潔だっていうなら、世の中高潔な魂だらけだ!!!」

「この……!!言わせておけばッ!!!」


通行人が大声で言い合う俺たちを見ているのが分かる

が、譲れないポリシーと言うものがある

そのまま俺たちは、小一時間ほどお互いを罵り合い、魂の叫びをぶつけ合った

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

お互いに喉が枯れるほど叫び倒し、肩で息をしている最中

ふと俺の中に、恐ろしい考えが浮かび上がる


「……ひょっとして今日、誰かと待ち合わせを?」

「……え?ええ。少し先の宿で。確か……『風来亭』という所ですが」


風来亭

俺が部屋を借りている所だ


「……どういったご用件で?」

「宿に父の馴染みの方がいるので、面倒を見てもらえと。貴方のような方とは違い、父が信頼を置いていて、とても親切で頼りになる男性らしいですよ?手紙を預かっていて、渡すように言われました

「……男の特徴は?」

「黒髪黒目で、女にだらしがなくて、辛気臭い顔のとっぽい男だとか。名前は……」

「……ライト」

「そう!!ライト様!!ご存じなのですか?一体どうし……て……」


そこまでやり取りして、彼女もようやく気がついたらしい


「黒髪……黒目……」

「……そうです」

「……女にだらしがない」

「失礼だな」

「辛気臭くてとっぽい」

「失礼だろ」


俺の名前はライト

アレク男爵領出身、今は王都でしがない靴磨きをやっている

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ