令嬢
「……んん……?」
ガラガラと子気味良い音を立てて回る車輪の音
心地よい振動
いつのまにか、馬車の中で眠ってしまっていたようだ
「目が覚めたかいお嬢さん」
御者の男が前方の小窓から覗き、私に声をかけた
咄嗟に身だしなみを確認する
あられもない姿で寝ていなかったかと焦ったが、なんとか令嬢らしい体裁は崩れていないようだ
「随分お疲れのご様子じゃないか。そんな調子で、明日の試験は大丈夫なのかい」
御者は冗談交じりに、いたずらな笑みを浮かべて言った
「ああ、いえ、大丈夫。大丈夫ですとも。ただ、貴方の馬の扱いがお上手だったので、つい眠ってしまっただけですわ」
「ハハ、まいったねこりゃあ。それだけ気の利いたことが言えりゃ間違いねぇや」
外を見てごらんと促され、窓から周囲を見渡すと
「わあ……!」
夜明けの眩しい太陽
美しい草花の広がる草原に、農夫の小屋がぽつりぽつりと建っている
遠くに見えるのは、この国最高峰の神山アンタナポリ
山頂の永久凍土が、山吹色の日差しに照らされて輝いていた
そして私の乗った馬車の周囲で列をなす、何十、何百台という馬車、人力車、荷車の群れ
それらが一様に整列し、足並みを揃えるように同じ方向に歩みを進めている
さながら一枚の絵画のような、まさしく圧巻という言葉が相応しい情景に、私は思わず息をのんだ
「見えたぞ、あれが王都だ」
御者に促されるまま前方に目をやると、地平線に遥かに続く城壁と、その奥に見える巨大都市、中央に聳える天を突くような荘厳な城が見えた
王都マグノリア
全てのものが集まる町
私が今日から生活する町だ
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「凄い賑わいね!」
馬車から降りた私の目に飛び込んできたのは、想像以上の光景だった
慣らされた石畳の道、区画整理の行き届いた建物の列、立ち並ぶ露店、溢れかえる人々の活気と喧騒
こんな光景はこれまで見たことがない
「この時期はまだ人が少ないほうさ。祭りの時期になると、この3倍は人で溢れるぜ」
御者は発着場に馬を繋ぎながら言う
これが都会の日常ということらしいが、田舎暮らしであった私にとっては、今でも十分お祭り騒ぎのようだ
「荷物はこれで全部だが……この先、本当に1人で大丈夫かい?」
御者は大型の鞄を2つ私の傍らに降ろすと、なんとも不安そうな面持ちで言った
「宿までは道なりに真っ直ぐだが、5キロはあるぞ?本当に荷物を持ったまま歩けるのかい?」
どうやら荷運びの心配をしてくれたらしい
女子への気遣いか、或いは私の溢れる『令嬢力』が彼の服従欲を刺激してしまったのだろうか
ともあれ、これから私は自立への第一歩を踏み出すのだ
鞄のひとつやふたつ程度、いつまでも人任せではいられない
「なんてことないわ。こう見えて私、とっても強くて逞しいのよ?なんたって令嬢で、冒険者志望なんだから」
「そういうもんかね……?ま、それだけ元気があれば何とかなるか」
御者は笑って帽子を被りなおすと、馬車の御者台へと戻ってゆく
「じゃあお嬢さん、ここでお別れだ。道中気をつけてな」
「ええ、ここまでありがとう!助かったわ!」
私は去ってゆく馬車にひとしきり手を振った後、大型の鞄を両手に1つずつ持つと、新天地へと歩き出した
「って重ッ!!!」
私の名前はレイア・イム
誇り高きイム家の娘、いわゆる男爵令嬢だ
父アレク・イムは聡明で、全ての民から慕われる貴族の中の貴族
しかし私が幼いころに起きた侵略戦争で、領地は焼野原となり、兄たちは死んでしまった
作物の育たない不毛の地に残された民を守るため、父は隣領との合併という形で実質的に全権を手放し、今イム家は『名ばかりの貴族』と揶揄されるまでに追い詰められている
けれど私は、そんな父の選択を誇りに思う
父が肩書きや保身に振り回されない、真に民を思う高潔さを持っていると理解しているから
全てを失って尚、それでも時代や環境に臆することなく前を向き、誇りを忘れない真の貴族であると知っているから
私はここ王都に、父の名誉を回復するため、家紋を守るために来た
冒険者となり、身を立て、名を上げ、誉を持ち帰る
それがイム家に残された再興の道
困難な道であっても、私は必ずやり遂げて見せる
私も父と同じ、時代や環境に臆することのない、真の令嬢を目指しているから
「ぬぐぐ……そろそろ1キロは歩いたかしら」
それから歩くこと5分
「フゥー……フゥ……もう、折り返しってところかしらね」
それから10分
「そろそろ……宿は……見えませんの……?」
30分
「ホフ……ハヒ……」
そうして間もなく、1時間が経とうとしていた
「……ええと、現在地……現在地……」
地図を取り出し、宿までの道のりを確認する
そして、絶望する
「もう少し北……嘘、まだ4キロも歩きますの……?というかまだ1キロしか……?」
吹き出す脂汗
既に息は上がり、胸は締め付けられるように痛み、腕と足の感覚がおぼつかなくなってきていた
なんだか口の中には鉄のような味が広がっている
ここが私の墓場なのかもしれない
「……弱音を吐いても、仕方ありませんね……」
正直もう身体の限界だったが、くずぐずしていてもしょうがない
パンパンの足を無理やり動かし、鞄を引きずってどうにか人込みを掻き分けてゆく
鈍った体への、良い刺激だと考えよう
……いや、やっぱり無理かもしれない
「こんなことならッ……強がらないでッ……集合場所をもっと……近くにしてッ……貰うんでしたッ……!」
『王都に知り合いがいるから、身の回りのことなどは彼を頼れ』
父からそう言われ、宿の前で落ち合う手筈になっている男
名前は確か……何と言ったか
こんなことなら馬車の発着所に集まって、荷運びを手伝ってもらうのだった
使用人達が軽々荷運びをしている様を見て、己の力を過信しすぎていた
後悔先に立たずとは、まさしくこのことである
「ヒィハェ……ちょっとだけ……休憩……して……行きましょう……」
通行の妨げにならないよう、道の端まで何とか身体を引きずってゆき、建物の壁を背にして座り込む
地べただろうが最早知ったことではない
ここまで来るのに何度も転んだお陰で、ドレスは既に汗やら土埃やらでぐちゃぐちゃだ
「都会は……想像以上に、厳しいですね……」
荷物を脇に投げ出し、天を仰いで誰にともなくつぶやいた