取材旅行の波紋
それから二日後、学校は夏休みを迎えた。
たかしは、旅行の準備に忙しい毎日だった。坂元や岡村のことは、心の奥で気になりはしていたものの、旅行のことを考えると、心はウキウキと弾んでくるのだった。
旅行の行先は、日本海に浮かぶ「アイノ島」という小さな島。そこにティーンズ・ショーンズらしき人物が暮らしていたらしいといううわさをスタッフが耳にしたというのだ。
初めての長期旅行。それだけでも胸が高鳴るのに、そこにはティーンズ・ショーンズがいるかもしれないという。たかしは何もかもが素晴らしく思えた。いつもと同じ町の風景も、通りがかりの人までもが、どこか違って見えてくるのだ。
たかしは、この喜びを誰かに言いたくてたまらなかった。久しぶりに夢売り屋書店を訪ねてみた。店のドアを開けると、おじいさんは、いつもの場所に座って、本を読んでいた。
「おじいさん、こんにちは」
「おお、ぼうずか。久しぶりだな。この頃はちっとも顔を見せないから、どうしたのかと思っていたよ。少年ステップももうしばらく読んでおらんじゃろ。『ティーンズ・ショーンズ』を買って帰ってから以来だな、顔を見るのは。
さては何かあったかな?」
「さすが、おじいさんだね。なかなか鋭いなぁ、いつもながら。
じつは、すっごいビッグニュースがあるんだ」
幸い店内にお客がいなかったので、たかしは、『ティーンズ・ショーンズ』を初めて読んだ日のことから話していった。
「それで、編集部の人たちとアイノ島っていう島へ一緒に行けることになったんだよ」
「ほう、なんだかドラマのような展開だな、まるで。しかし、その島に果たして、ティーンズ・ショーンズはおるかな」
おじいさんの反応は、たかしの予想に反して、驚きも感動も感じさせない冷ややかな態度だった。
「おじいさん、ぼくが『ティーンズ・ショーンズ』の取材旅行に行くことを聞いて驚かないの?」
「だって、みんなはすごいねって喜んでくれたり、応援してくれたりするけど、おじいさんは、あまり嬉しくないみたいだ」
おじいさんの目が、メガネの奥からたかしの顔をジロリと見た。
「ぼうず、もしその島にティーンズ・ショーンズがいて、会えたらどうするんだ? サインでもしてもらうのか? それとも握手でもしてもらうのか」
「どうして、そんなふうに言うんだよ。ぼくは、ティーンズ・ショーンズのことが知りたいだけ。意地悪だよ、そんな言い方!」
たかしは、おじいさんをまっすぐに見て言った。おじいさんは、手に持っていた本に目を落としながら、つぶやくように言った。
「ティーンズ・ショーンズが取材旅行を喜んでいるとは思えないんだよ。ティーンズ・ショーンズは有名になることなんか、ちっとも望んではいないんだ」
「…」
たかしは、おじいさんの真剣な顔を見て何も言えず、本屋をあとにした。
(おじいさんは何が言いたかったんだろう。何か理由があってにしてんも、あんな言い方はひどい! もう二度といくもんか。あんな本屋になんか)
それから出発の日まで忙しい毎日だった。
いつの間にか。おじいさんとの一件もすっかり忘れ去っていた。
乗船券の手配をしてもらったり、編集部での事前の打合せに顔を出したり、学校の宿題をまとめてしたり、時どき誘いにくる友だちと遊びにでかけたりなど、一日一日があっという間に過ぎていく感じだった。
一緒に行くスタッフというのが、皆どこか変わっていて、彼らの会話を聞いてるだけでも、たかしには新鮮で興味をそそられるのだった。
編集部に顔を出してるうちに、彼らともだんだん仲良くなっていった。
今回、取材旅行に行くスタッフは全員で六人いた。
その中で一番若い「モジ」というニックネームで呼ばれている二十五歳の青年がたかしを可愛がってくれた。
彼は、イタリアの「モジリアーニ」という画家にどことなく似ているところから、そう呼ばれていた。
柳さんは、この雑誌の編集長であり、今回の取材スタッフの中で一番年上であった。
編集室の中では、「ナギサン」と呼ばれ、皆に親しまれ、信頼されていた。たかしも柳さんが一緒だと思うと、旅行への不安もあまり感じずにすんだ。
今日も取材旅行の打合せのため、みな編集室に集まっていた。これが最後の打合せ。話合いは早めに終わり、それぞれ荷物のチェックを行うなど、いよいよ旅行に向けての最終準備を整えているところだった。
「たかし君、一人で行くのは不安じゃない?」
「ううん。みんな優しいし、それに、とっても楽しみなんだ」
「そうだよな。たかしにとってティーンズ・ショーンズは神様みたいなもんだからな」
側で聞いていたモジがたかしの頭をなでながらそう言うと、「中さん」と呼ばれるカメラマンが、カメラの掃除をしながら、からかうような口調で言った。
「モジ、今回の旅行じゃ、君はたかし君の保護者だからな。しっかり頼むぜ」
「やだなぁ、中さんせいぜい兄貴ってとこにしといてくださいよ」
モジが恥ずかしそうに頭をかきながら言うと、編集室のみんなは愉快そうに笑うのだった。
たかしは、最後のミーティングの席で本屋のおじいさんが言った言葉を思い出し、気にかかっていた。
しかし、そのことをみんなの前でいう事に抵抗を感じ、ミーティングが終わったあと、柳さんにだけ話した。
「そうか、たかし君。そういう素晴らしい人が近くにいたんだな。なんだか旧友に巡り合えたような喜びを感じるよ。今回の旅行が終わったら、ぜひ一度、その方をたずねてみたい」
たかしは、柳さんと話しているうちに、おじいさんに会いたい衝動にかられた。帰りにさっそく本屋をたずねた。おじいさんは、いつもと変わらない顔でたかしを迎えてくれた。近くに誰もいないことを見計らうと、たかしは言った。
「おじいさん、この前はごめんなさい。ぼく、おじいさんがただの意地悪で言ってるとしか思えなくて…」
「ただの意地悪かもしれんぞ。気をつけろよ、ぼうず。ははははは…」
思わず。たかしも一緒に笑っていた。
「正直言って、あんたたちが島に取材に行って、ティーンズ・ショーンズの足跡をたどると聞いて、少しがっかりしたんだよ。 まぁ、あの本の編集長は、そこらへんはわかった人物だと思うから、そう心配しとりはせんのだが」
「ねぇ、おじいさん、おじいさんは、ティーンズ・ショーンズに会ったことがあるの?」
「なぜ、そんなことを聞くんだ?」
「ううん。別に理由はないけど、なんとなくそんな気がしただけ」
「さぁ、どうかな。まぁ、とにかくしっかりとティーンズ・ショーンズのことを聞いてくるんだ。あの人は人間の光だ。その光を少しでもわけてもらうんだぞ」