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ティーンズ・ショーンズ〜光の人〜  作者: わたなべみゆき
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ティーンズ・ショーンズ

 ついに念願の日曜日。その日、たかしは朝早くにおじさんの家へ行き、おじさんと共に柳慎太郎という人の家を訪ねた。


 おじさんが玄関のベルを押してしばらくするとドアが開き、一人の男性が出てきた。

 メガネをかけ、髪に少し白髪が混じっているけれど、どことなく若々しい感じの人だった。

「やぁ、いらっしゃい。待ってたよ」

「すまんな。せっかくの休みを」

「なになに、休みって言ったってどうせ家でゴロゴロしてるんだ。まぁ、あがれよ。

 あ、きみが、たかし君か。はじめまして。さぁ、あとは中でゆっくり話をしよう」

 柳さんに会って緊張が少しほぐれた。たかしとおじさんが通されたのは、柳さんの書斎のようで、机の上には書きかけの原稿と資料のような物が積み上げられていた。

「相変わらず忙しそうだな」

「ああ、そこのソファに腰かけてくれよ」

 そう言って、ソファと小さなテーブルのおいてある本棚の一角に進んだ時、たかしは「あっ」と声をあげた。

 おじさんは、たかしの顔を見て笑うと満足げに言った。

「やっぱり驚いただろ、たかし」

「うん」

 

 たかしは、ソファの横の壁にかけてある一枚の絵に見入っていた。

それは一辺が一・五メートル位はある大きな物だった。たかしは驚きのあまり口を閉じることも忘れ、その絵に見入った。

「あの絵だ…」

 画面全体が光を放っているように見えた。

 その中央で子どもを見つめるまざなし……。まわりは一面、緑の草におおわれ、風が葉を白く光らせていた。人物の後ろには、透明な水をたたえた湖。


「あっ」

 その時、たかしは自分の回りにも風が吹き抜けたような錯覚を覚え、思わず、その絵の中に走っていきたい衝動にかられた。

「よっぽど驚いたみたいだな、たかし」

 言葉もなく立ちすくんでいるたかしに、おじさんが声をかけた。はっとして我に返ったたかしは、柳さんの方を振り返って言った。

「あの……、この男の人がティーンズ・ショーンズという人なんですか?」

「そうだね。なんて言ったらいいのかな。そのつもりで描いたんだが、私にもよくわからないんだよ。

 二か月も一緒に暮らしていたというのに、若いのか年寄りなのか、どんな顔だったのか、どうにもはっきりしないんだ。

 ただ確かなのは、子どもを包み込むようなまなざしと内側からあふれ出る輝き……」

(そうだ。この輝きが、ぼくをここまで連れて来てくれたような気がする)

「ぼく、この絵を見た時、とても懐かしい感じがしたんです。

 そして先週、おじさんちで見た画集に、ティーンズ・ショーンズの顔に似た女の人を見つけたんです。レオナル・ドダ・ヴィンチの聖アンナと、えーと……」

「聖アンナと聖母子だよ。たかしのやつ、小さい頃からその絵を気に入っててな。おまえさんの絵と何か共通するものを感じてるみたいなんだよ」

 おじさんが助け船を出してくれた。

「たかし君は、いい感性をしてるなぁ」

 柳さんが感心したように言ったのが、たかしには、ちょっぴりくすぐったかった。 「やっぱり、おれの親類だけのことはあるな」

 おじさんが、さも自慢げに言った。

「おいおい。そりゃあ、あまり関係ない気がするけどな」

柳さんの言葉に、おじさんは「そりゃどういう意味だよ」と愉快そうに笑った。

たかしは遠慮がちにふふ…と笑うと、ティーンズ・ショーンズの絵に目をやりながらたずねた。

「柳さん、ティーンズ・ショーンズに出会ったのはいつ頃なんですか?」

「あれは、ぼくがまだ学生のころだった。

夏休みを利用して中国へ旅行に出たんだ。旅行と言ってもキャンプ道具一式とわずかなお金だけが頼りの貧乏旅行だった。

 若さのなせる技だね。今考えると、何という命知らずのことをしたもんだと思うがね。

 初めの一週間は好調で、意気揚々とキャンプを続けていたんだ。

 ところが、途中で方向を見失ってしまったんだよ。今でもはっきりと場所はわからないんだが、南西部のほうへ向かっていたから、たぶん四川省の南か、雲南省のあたりだと思うんだけね」

 

 柳さんは当時のことを思い出すかのように、時どき目を閉じたり、遠くを見つめて話した。

「夏休みだったからね。暖かくて活気があったな。特にぼくが迷いこんだ町はすごく良かった。

 色彩の濃い花が咲いていたり、やたら背丈の大きい植物が生えていたり、人も町も全体が明るくて開放的で、まるで南国「って感じだったよ」

「えっ、中国ってそんなに暖かいの?」

「はははは。驚いたかい?」

「うん。中国ってもっと寒いところかと思ってた」

「中国は広い国だからね。寒い所ももちろんあるけど、南西部へ行くと暖かいんだよ。それでね、その風景の美しさに惹かれて森へ入ったんだ。

 山へ入ると、これがまたたまらなくいい。どこも手が加えられていない自然林。見たこともない美しい植物があったし、野生の動物にもたくさん出会った。山は険しかったが、とにかく夢中で登った。

 そして夜になってがく然とした。昼間からは想像できない寒さなんだ。長そでを何枚も重ねてシュラフにくるまって、寒さだけはしのいだんだが。

 夜の山が冷えるとは知っていたけど、普通の温度差ではなかったよ」

「いくら学生とはいえ、そんな無鉄砲なことするのはおまえぐらいだよな。ははは」

 おじさんは、そう言って笑った。

「ああ、まったくだ。そして、朝になって山を下りようとした。

 ところが、道がわからないんだ。霧もあって、完全に道に迷ってしまった。その日は、一日中歩き続けた。

 しかし、歩けど歩けど誰にも会えず、ますます山奥深くに入り込んでしまうんだ。二、三日は歩き続けたんじゃないかと思う。

 食糧も底をついてきて水もなかった。ほとんど意識もなくなりかけていた。

 日本に帰れないまま、ここで死んでしまうのかと思うと、ものすごく切なくなってね。 涙を流したことはかすかに覚えているんだが、最後のほうは、ほとんど何も覚えていないんだ。体力も気力も使い果たしていたからね」


「そこでティーンズ・ショーンズに助けられたの?」

 たかしは、柳さんの話にすっかり入り込んでいた。その顔がよほどおもしろかったのであろう。柳さんは、ふふと笑いながら、話を続けた。

「どうやって助けられたかは、全く記憶にないんだが、次に気がついた時、僕は見知らぬ小屋の中にいたんだ。

 まだ意識はもうろうとしていたんだが、背中を向けた男の人がいることはわかった。

 僕が言葉にならない声をあげると、その人は振り向き額のタオルを取り替えてくれた。

「その人がティーンズ・ショーンズなの?」

「いや、驚いたことに、その人は日本人だったんだ」

「えっ、日本人?」

「うん。久しぶりに聞いた日本語に涙を流したよ。安心したのか、それからまたしばらく深い眠りに落ちたんだ。

 その次に目を覚ました時、ティーンズ・ショーンズがぼくの目の前にいた。優しい目だった。彼はぼくに温かいスープを飲ませてくれたんだ」

「ティーンズ・ショーンズって何をしている人なの?」

「なにか特別なことをしてる人ではないんだ。信じられないかもしれないけど、ティーン

ズ・ショーンズが山へ行くと野生の動物たちが集まってくるんだ。そして。彼が声をかけると動物たちは優しい目をして、ほおずりしてくる。

 村へ行けば、みんなが集まってきて、ティーンズ・ショーンズにいろんな話をするんだ。争いがあっても彼が行けば治まる。 村には大きな畑があって、人びとは一生懸命働いていた。ティーンズ・ショーンズもそこで一緒にクワをふるうんだ、みんな、ティーンズ・ショーンズを尊敬していたし、人々にとってかれは神様のような存在だったよ。

 彼がいるだけで、みんな豊かな気持ちになれたし、静かな気持ちでいられるんだ。とても不思議な力をもつ人だった」


「柳さん、ティーンズ・ショーンズってすごい人だったんですね。

僕、もっといろんなこと聞きたいんですけど、えーっと、あの『風になる会』ってどんな意味があるんですか?」

「ああ、あれはね、ティーンズ・ショーンズの生き方に近づこう、そしてそれを体を通して感じて欲しいという思いから始まったんだよ。

 ティーンズ・ショーンズは、とにかく自然のままの姿を一番好んだ。どこへ行くのも自分の足で歩き、走った。馬車やまして車は使わない。自然のバランスを壊すのを嫌ったんだ。

 そんな彼の中にある人間本来の姿を、少しでも現代社会の人間たちに知ってもらおうと始めたんだ。風を感じる時、こんな我々も少しは自然界の一部なんだということを思い出すからね」

 

 柳さんの話が終わるとすぐに、たかしは次の質問をした。

「ティーンズ・ショーンズって中国の人なの?」

「いや。どこの国の人なのかわからない。私が中国に行った時、たまたま、そこに住んでいただけのようだ。中国に来る前は、東ヨーロッパにいたらしいから。

 謎に包まれていることが多いんだ。あんな山奥に一人で住んでいるのも、人間社会の汚さ、傲慢さに嫌気がさして山に入ったんだと誰かが言っていたが……」

「今は? 今でも中国にいるのかなぁ」

 たかしの瞳が一段と輝いた。

「たぶん、今はまた違う場所にいると思うよ」

「ティーンズ・ショーンズはどんな言葉を話してたの?」

「その時は、現地の人々と同じ言葉で話してたなぁ。だけど、いろんな国の言葉がしゃべれるし、いろんな民族や部族の言葉も話せると聞いた。

 ふだん、あまり多くはしゃべらない人だったけど、何というか、一言一言が心に響いてくるという感じだった。低くて優しい声で、不思議な力を感じさせたな。

 ティーンズ・ショーンズが話し出すと、気持ちが落ち着いてきて、ずっと聞いていたくなるんだ」

「へぇ、ずっと聞いていたくなる声ってどんな声なんだろう。あ、そうだ。あの絵の中にいる子どもたちはティーンズ・ショーンズの子どもなの?」

「いや、違う。ティーンズ・ショーンズは、いろんな人と生活を共にしているようだった。

 あの時は、二人の子どもが一緒にいたが、病気のお年寄りや身寄りのない子どもや、私のように遭難した旅行者など、その土地その土地で多くの人を救っているらしい。

 私がいた間にも、病気の老人が何人も彼を訪ねてきた。そして、私の目の前で奇跡ともいえることが次々と起こっていった。

 彼の手に不思議な力があることは間違いないんだが、そこだけ言うと、奇術師とか霊能力者などと扱われてしまうから、あまりその点は強調したくないな」

「でも、すごい! 本当にそんな不思議な力をもってる人がいるんだね」

「うん。彼はすごい人間だよ。今思うと、本当に人間だったのかなって思うこともよくあるけど」

 それからもしばらく、たかしの質問は続いた。おじさんは、半ば呆れたような顔をしちたが、柳さんは一つ一つ丁寧に答えてくれた。

 

 たかしは、柳さんの話を聞いていくうちに、新しい世界が開けていくのを感じていた。壁にかかった絵が、さらにたかしの想像をふくらませ、もう近くにティーンズ・ショーンズがいるかのような気持ちにさえなっていた。 

 そのあとも、中国へ旅行した時の話は続き、たかしが柳さんの家をあとにしたのは、夕方四時過ぎごろのことだった。

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