風
「岡村、いるぅ?」
学級会も数日後、たかしは漫才同好会のドアを、いつになく勢いよく開けた。
「おー、たかし。おまえ、最近熱心でんな。やっと、漫才に目覚めはったんか。ん、なんや。友だちまで連れてきてくれたんか?」
「うん、ほら、岡村がずっと前、言ってただろ、五月ごろ、ぼくのクラスに転校してきた宮田君。
同好会のこと話したら、前から興味あったって言うからさ。今日、連れてきたんだ」
「宮田君。この人が同好会の部長の岡村君。
面白いやつだから、きっと楽しいと思うよ。ほら、もっとこっちにおいでよ」
たかしは、入り口のところでもじもじしている宮田君の腕を引っ張った。
「こっちが宮田君。本当のこと言って、まだぼくも宮田君のことよく知らないんだけどね」
「かまへん、かまへん。漫才が好き! もうそれだけで十分でんねん」
(なんか、また変な大阪弁に戻った)
と思いながら、たかしはククッと笑った。
「何がおかしいねん。たかしくん」
岡村は目を丸くしてふざけた。
「あのー」
宮田君が小さい声で、上目遣いに声をかけた。
「なに? 宮田君」
たかしは笑いながら答えた。
「ぼく、家のことがあるから、毎日は来れないんだけど…、それに…」
「それに?」
「あんまり人前でしゃべったことないから」
「大丈夫、大丈夫。そんなん気にせんでいいさかい。これる時にくればいいんやし、しゃべりは練習すれば、誰でも出来る! おれなんか、漫才始めるまでは生まれつきの恥ずかしがり屋でな、人前でしゃべったことなんかなかったんやさかい。なぁ、たかし」
「さぁ。ぼくと出会った時はもう、今の岡村だったけど」
たかしは、わざと冷たく言った。
「たかしはん。わての面目丸つぶれ、ついでに顔も丸つぶれ。どないしてくれるんや」
たかしは半分あきれたように笑った。
ふふふ…
宮田君が笑った!
たかしは驚いたように、宮田君の方を振り
返った。そんなことは全くおかまいなしに、岡村はしゃべり続ける。
(やっぱり、岡村の大阪弁はすごい!)
たかしがあ然としていると、岡村が話しかけてきた。
「あ、たかし。おれな、『ティーンズ・ショーンズ』の本、買ったんやでー。おまえが気に入ってたあの絵が、もう一ぺん見たくなってな。
本屋で立読みしてたら、なんや欲しくなって、全財産はたいて買ったんや。
それに、おふくろのあの写真も引っ張りだして、飾ってんねん。おふくろ、はじめは嫌がってたけど、最近は時どきジーっと見て、『こんな時もあったのね』なんてまんざらでもなさそうやねん。
気のせいかもしれへんけど、あの写真出してから、家族の雰囲気がよくなったような気がするんや。おふくろも顔が優しくなったし、おれもあんまりおふくろに反発しなくなってん。
前は何でも嫌なことはおふくろのせいのような気がしてたからな。おやじにも会えたし。ティーンズ・ショーンズって、本当に何か不思議な力を持ってるのかも。おれって単純?」
「そうだよ。ぼくのこと単純なんて言えないじゃん。なーんて、うそ、うそ。良かったね、岡村」
その週の月曜日、たかしは一人で柳さんの家を訪ねた。そして。クラスでの出来事の一部始終を話した。
「ぼく、自分でも驚いたんだ。最初はいつもと同じで、のどまで出かかった言葉がなかなか言えなかった。
そしたらふと、アイノ島に行って柳さんと話したことを思い出したんだ。
ティーンズ・ショーンズは、苦しい思いをしている人の心に自分の心を寄せるんだって言う話。そしたら、ものすごく悔しくて、腹がたって、気がついたら、やめろ! って叫んでた」
「そうか、たかし君。君は、とても大切なことを感じたんだね。そして、それは君がティーンズ・ショーンズからもらった勇気だよ。
友だちの痛みを自分の痛みと感じることができる心。それを大切にするんだよ」
柳さんの家からの帰り道、たかしは無性にに走りたくなった・駅までの道を全速力で駆けた。はぁはぁと荒い息をしながら。
ふとアイノ島でのことがよみがえった。とても懐かしい気がした。
次にティーンズ・ショーンズのまなざしが心に浮かんだ。その瞬間、たかしの中にパッと光が走った。風が顔や体を心地よくすり抜ける。息は荒かったが体は軽い。
空を見た。抜けるような青空。目の前の青空に吸い込まれるように、たかしは走り続けた。心の中に浮かんでくるものは、もう何もない。ただ、走り続けた。透明だった。今にも空へ飛んでいけそう。
〝風になる〟ってこんな感じなのかな。
苦しくなって立ち止まった。今度はゆっくり歩きながら、『風になる会』の人びとのことを思った。
(みんな一度は、きっと風になったんだろうな)
そう思うと、まだ会ったこともない人たちと、心がつながった気がした。
おわり




