クラスメイト
新学期が始まって、たかしのクラスの雰囲気はますます悪くなるばかりだった。
宮田君への嫌がらせが一段とひどくなっていたのだ。それは以前、取材旅行中にたかしが柳さんに打ち明けた心のわだかまりでもあった。
宮田君が横を通ると、「おっ、なんか臭うぜー」と、鼻をつまんでみせたり、通路でわざと足を出して、宮田君を転ばせて笑ったりと、だんだんエスカレートしていってるようだった。
時には、女子まで宮田君を馬鹿にした。そのうえ、相変わらず、誰も止めようとする者はなく、体の小さい宮田君は、いつも顔を伏せがちになり、ますます小さくなっていくようだった。
クラスの中でも中心になって宮田君をいじめているのが、谷本君という男の子だ。
今も宮田君のそばに寄って、何かからかっている。
「ほら、読んでみろよ。この字わかるか?」
「…」
「なんとか言えよ。いつも押し黙って、おれを馬鹿にしてんのか」
周りには二、三人の男子がいてヘラヘラ笑っている。たかしは、胸がどきどきしていた。
(なんてひどいことするんだ)
と、思いながらも「やめろよ」の一言が言い出せない。言葉だけが、頭の中でグルグルと回っていた。その時、夏休みに言った取材旅行で柳さんと話した夜のことを、ふと思い出した。
あれは、取材が始まって三日目の夜のこと。思い切って柳さんに宮田君のことを話した時。柳さんがたかしに言った言葉。
「まわりの人を愛する気持ち、心から大切に思う気持ち、その気持ちがあると、目の前にいる人が苦しんだり感心だ理するのを、黙ってみてはいられないだろう」
柳さんの言葉が、たかしの頭の中によみがえった。
〝心から大切に思う…か〟
たかしは、そうつぶやくと再び、宮田君たちの方を振り返った。
「宮田、おまえ立てよ。たってみんなの前で、これを読んでこい。ほら」
谷本君は、国語の教科書を宮田君の頭に押し付けている。たかしは、もう我慢できなかった。
「そんなに無理に読ませなくてもいいじゃん。嫌がってんじゃないか!」
「なに言ってんだい。おれはこいつのためを思ってやってんだぜ。六年生になって、こんな簡単な文章を読めないなんて恥ずかしいぜ。
それとも、もう一ぺん一年生へ逆戻りするのかい? だけど、宮田よりうまく読める一年生はたくさんいるぜ。その方がもっと恥ずかしいよな。ほら、読んでみろよ。ここから、ほら」
谷本君は、今度は嫌がる宮田君の顔に教科書を押し付け始めた。
「やめろよ」
たかしは、さっきよりも大きい声で言った。
「ふん、たかし、なにカッコつけてんだよ。正義の味方のつもりかよ。おまえ、今まで見て見ぬふりをしてきたくせに」
「そうだ。このクラスの一番いけないところは、そうなんだ」
たかしは、まわりを見回して大きな声で言った。
「確かに、ぼくも今まで宮田君が嫌味言われたり、嫌がらせされていた時、心の中じゃいけないことだと思っても言えなかった。一人だけ仲間はずれにされるのが怖かったから。
友だちがいなくなって、独りぼっちになるのが怖かったから。だけど、悪いことを悪いって本当のことが言えない友だちなんて、友だちでも何でもない。そんな友だちならもういらない。ぼくは、自分の心の中のことを何でも言えるほうが大切だ」
パチパチパチ……
その時、拍手の音が聞こえてきた。教室の片隅で一人の女の子が、たかしの方を向き拍手をしている。
「吉川さん……」
それまで、我を忘れて心の中に湧いてくる思いを、クラスのみんなに訴えていたたかしは、吉川さんの拍手で、初めて興奮気味にしゃべっていた自分に気づいたのだった。
「わたしもそう思う。このクラスは、力のある人は何でも言える。だけど、それに反対する人は、独りぼっちになるのが怖くて、何も言えないの。強い人に合わせて間違ってることも通してる」
「よっ。いいぞ、いいぞ」
ふざけて、はやしたてる男子のほうを、じろっと見て、吉川さんは続けた。
「私も時どき、いやな思いをすることがある。勉強のことや家の人の仕事のことで。
私はあまり勉強ができないし、両親はたこ焼き屋をやってる。そのことを馬鹿にしたみたいに言われる時、ものすごく腹立つけど、私の味方してくれる人は誰もいないから、このクラスでは、いつも独りぼっちだと思ってた。
だけど今日、たかし君が谷本君に言ってくれて、すごくうれしかった。そして、そういう私も宮田君のこと、見て見ぬふりをしてきたの。同じ思いをしてきたのに、かばったら自分がまたいじめられる気がして。宮田君、ごめんなさい」
そう言うと、吉川さんは肩を震わせてすすり泣いた。
はじめ、とまどい気味だったクラスの友だちも、吉川さんに続いて意見を出し始めた。
「谷本君、なにが楽しくて宮田君をいじめるの?」
「そうよ。このままじゃ、宮田君がかわいそう」
「いっつも谷本君に何か言われるんじゃないかとびくびくしていました。こんなクラス、もう嫌です」
中には、「なにセンチメンタルなこと言ってんの。嫌なら嫌って言わない方にも問題あるんじゃない」という友だちもいた。 何も言わず黙っている友だちもいる。
「谷本君だけが悪いんじゃないと思う。みんなだって馬鹿にしたり笑ったりしてたじゃない」
「そうよ。だれも止めることが出来なかった。自分に被害が及ぶから。本気で人のことなんて考えてなかったのよ」
「だけど、やっぱりこのままじゃいけないと思う。今まで言えなくっても、今日、今、本当に思っていること言わないといけないと思う」
次つぎに出されるクラスメートの声。
谷本君は、ふてくされたような顔をして、天井をにらみつけていた。
当番が呼んできたのか、いつのまにか担任の先生も教室の中に入っていた。
そして、ついに学級会が開かれることになった。
宮田君は、うつむいたままだった。その様子を見て板先生は、前へ進み出ると一人
ひとりの顔を見ながら、ゆっくりと話し始めた。
「先生にも少し話させてくれ。宮田のことは、先生も早くみんなと話しあわなければいけないと思っていた。
このクラスの中で、宮田が楽しそうにしていたことは一度もなかったじゃないか。 先生の力で押さえつけることは簡単なことだが、それではなんの解決にもならないと思っていたんだ。
だから、今日みんなの話合いを聞いて先生はとても嬉しかった。
最初にどんなことがあったのかは、よくわからないが、よく勇気を出して話してくれた。ありがとう。
宮田のご両親は、あまり体が丈夫ではなく、仕事はしておられない。宮田は下に妹と弟がいるから、そういうご両親に代わっていつも弟や妹の世話にしているそうなんだ。
みんなに宮田の家のことをいつか理解してほしいと先生は思っていた。だが、個人のプライバシーにかかわる問題でもあるし、簡単に誰でも話していい内容でもない。しかし、今日のお前たちならわかってくれると思う」
先生の顔は見たこともないほど真剣で、教室中の目が吸い込まれるように先生を見つめた。ただ一人、宮田君を除いて。
「つい先日の夕方、宮田が先生の家を訪ねてきた。妹と弟を連れて。前日から宮田は学校を休んでいたんで、先生も家を訪ねてみようと思っていた矢先のことだった。
話を聞くと、前の日からご両親がどこかへいなくなって、子ども三人で食べる物もなく、困っていたということだった。
前の日は兄弟で両親を探して歩き続け、家に帰ったら、じゃが芋しかなかったから、生のじゃが芋を三人でかじったと、泣きながら話してくれた」
先生は、涙につまりながらも、生徒たちから目をそらさずに話し続けた。
「こうなる前に、もっと何かができたはずなのに、先生は自分が悔しかった。宮田たち三人の兄弟の気持ちを思うと、悲しくてどれだけ辛かっただろうかと胸がしめつけられた。
翌日、ご両親が戻られた。先生は宮田のうちへ行ってご両親から話を聞いた。
宮田は、家でみんなのように遊ぶということがほとんどできない。ご両親の具合が悪い時は、その世話から兄弟の世話まで、みんな一人でしないといけないんだ。宿題をする時間もないし、お風呂にも毎日は入れない。
その時、宮田のご両親は、こんなことを言われていた。
『私たちは、小学校もろくに出ていません。小さい時から家族の手伝いばかりだったのでです。兄弟が多く、家も貧しかったんです。だから、子どもが生まれても、どうやって育てていいか分からないんです』
これは、ご両親のせいではないことだ。二日間、家を空けられたのも、苦しい生活をなんとかするために、遠方の親戚のところへ行っておられたんだ。
この話は宮田の了解を得て話すつもりだった。宮田、勝手にみんなの前で話したことを許してほしい。先生は、宮田がどれほど大変な生活の中でどれだけ頑張っているのか、みんなによく知ってほしかったんだ」
教室中に生徒のすすり泣く声が静かに響いていた。そして、一人の男子生徒が立ち上がった。谷本君だった
「おれ知らなかったんだ。宮田がそんな辛い思いをしてたって。
だけど、俺んちだって…、とうちゃんとかあちゃんはケンカばっかりしてるし、文句言うと殴られる。面白くねぇよ。
学校来てたって、いつも独りになるのが恐いから……。
みんな何も言わないけど、本当はおれのことなんか大嫌いなんだろ」
谷本君の言葉に、誰もがただ呆然とした。
たかしは谷本君を見た。下を向いて、涙をこらえている。いつもの谷本君とは、まったく違う人に見える。
臨時に開かれた学級会の中で、自分の家でのつらい思い、友だちのことで悩んでいることなど、みんな腹を割って本音を語った。
たかしは、坂元や岡村の顔を思い出しながら、とめどなく流れてくる涙を乱暴に拭った。
学級会も終わりに近づいたころ、先生は嬉しそうに言った。
「みんな、ありがとう。先生は今日ほど、教師をという仕事をしていて良かったと思う日はなかった」
続いて谷本君が少し照れながら言った。
「これからは、みんなに優しくできるように頑張る」
最後の最後になって、宮田君がそっと立ち上がり、口を開いたのだった。
「ぼくは、このクラスに入れて、とても嬉しいです。
今までいろんな学校へ行ったけれど、ずっといじめられてきました。だから、今日とても嬉しかったです。ぼくは辛いけど…」
宮田君は今まで抑えてきたものがどっとあふれ出たかのように、むせび泣いた。涙につまって言葉にならない。
「宮田君、頑張れ!」
たかしが言うと、宮田君は涙を拭きながらうなずいた。
「ぼくは、辛いこともたくさんあるけど、妹や弟のためにも、ぼくは頑張ります…」
パチパチ
シンとしていた教室に、はじめぱらぱらと聞こえ始めた拍手の音は、すぐに広がり、全員の心を包んでいくように、教室中に響いた。




