思わぬ出会い
翌日の取材でも、何の手掛かりもつかめなかった。疲れ切った足取りで旅館につくと、宿のおかみさんが島の郷土料理である『いりごて鍋』を用意して待ってくれていた。
その夜はミーティングもなく、美味しそうな料理とお酒を前にして、みんな久しぶりに笑顔である。疲れているスタッフを励まそうという柳さんの気づかいだ。おかみさんも間に入り、楽しそうにおしゃべりしている。美味しいごちそうに、みんなの会話も弾んだ。
「なにが驚いたって、この島の言葉にはびっくりしました。ぼくは九州に親戚がいるんですが、まるで九州弁ですよね」
本当に驚いた様子の柴田さん。
「島や海辺の集落の中には、古代、海を渡り歩いた『海の民』の子孫がすみついた所もあると言うからな。ひょっとしたら、この島の祖先は九州人かもしれんぞ」
歴史に詳しい中さんが答えた。
「島っていうから、ほーんと何にもないと思ってきたら、おいらの田舎なんかより、ずっと都会で驚きましたよ」
新聞記者にあこがれて田舎から出てきたという村井さん。お酒によっていつもよりおしゃべりだ。
「初めてきたお客さんは、皆さんそう言われます。私らが、子どものころは、ほんとに何にもないただの港町だったんですがね。
でもあの頃は海がきれいだったし、カニとか魚とか捕まえて無邪気に遊んどりました」
「ええ、この三日間、町のお年寄りから聞いた話もみんな、そういう話ばかりでした」
「そうでしたか。皆さんご一行は。この島の話を聞きにきなさったんですか。
町が開けたおかげでお客様は増えました。だけど、その代わりに大事なもんをなくしてしまったような気のするとです。みんな自然が十分ある時は、自然の有難さに気がつかないんですわ」
その言葉に柳さんが反応した。
「おかみさんは、島の開発の時に起きたことを、ご存知のようですね。良かったら、その時に何があったかのか、話してもらえないでしょうか?」
「……。申し訳ありませんが、その話はご勘弁ください」
「おかみさん。島の皆さんには絶対にご迷惑はおかけしません。お約束します」
こんな柳さんをみるのは初めてだと、たかしは思った。
「あんことは、島の人間の古傷なんです。どうか、そっとしておいてください。
開発の問題のあと、本土から『記者』と名乗る人たちが、何人か取材に来られました。
その結果、記事に載せられた内容はひどいものでした。興味本位で、おもしろおかしくスキャンダルのように取り上げられて、傷ついた人は大勢おります」
おかみさんは、眉をひそめて下を向いた。
「あ、いえ。誤解しないでください。われわれは、この島の開発の中でおこった問題を、取材にきたのではないのです」
「えっ、では何を聞きに来られたんですか?」
「われわれは、ティーンズ・ショーンズという人物の足どりを追って、この島へ来たんです。
実はいつのことか定かではないのですが、ティーンズ・ショーンズらしき人がこの島に住んでいたという情報を得たものですから」
「ティーンズ・ショーンズさん…ですか」
「ええ、お聞きになったことはありませんか?」
「いいえ。存じ上げませんが、その方はどんなお方なんですか?」
「まず、本当に人間なのかどうかさえはっきりしない、とても謎の多い人物なのです。
不思議な力を持ち、何かこうまぶしい光に包まれているといった……」
柳さんはなにか思い出したように、口を閉ざすと、バッグから雑誌『ティーンズ・ショーンズ』を取り出した。
そして、ティーンズ・ショーンズが描かれた絵のページを開くと、おかみさんに見せた。
「わたしが、二十数年前、中国の山地で彼と出会った時の記憶をたどって描いた絵です」
おかみさんは、しはらくその絵を見つめたあと、顔をあげると遠くを見つめるような目で話し出した。
「あ、そう言えば、アッちゃんのお兄さんが知り合った方で、不思議な人がいたという聞いたことがあります。何という方か名前は知りませんが」
「その人のことを話していただいてよろしいですか?」
「アッちゃんといううのは、私の親友だった人なんですが、その人のお兄さんは、この村で漁師をしておいででした。
海も好きでしたが、山も好きな人で、漁が休みの日には、山にも入っていらしたようです。
アッちゃんの話によると、そのお兄さんが山からキノコや木の実や山の芋なんかを抱えるほどたくさん採ってきた日があったそうです。
そして、『神様みたいな人に出会った』とか、おかしなことを言いだすようになったんだそうです」
スタッフの目がおかみさんに集中した。
一言も聞き逃さないぞ、という真剣な顔。
何かただ事ならぬ気配を感じたおかみさんは、スタッフ全員の顔を見ながら語りかけた。
「みなさんの真剣な顔を見て、私も知っていることはきちんと話そうと思います。
その前によろしいでしょうか。
その方のお話をするということは、この島の開発の問題に触れないわけにはいきません。
あなた方は、そのことを聞きにいらしたのではなさそうですのでお話しますが、どうぞ、このことを記事になさったりしなさらんと約束してください」
「わかりました・そのことは、私が全責任を持ってお約束します」
柳さんは、おかみさんの目をしっかりと見つめてうなずいた。柳さんの人柄に触れ安心したのか、おかみさんは話し始めた。
「アッちゃんのお兄さんは、その不思議な人に出会った日を境に、山へ行くことが急に増えたと言ってました。
そして、あなたがさっき言われたように、
『光に満ちた男なんだ』とか『お前、信じられるか? いのししや鹿が近寄って、体をすりよせてくるんだ。あの人は神様にちがいない』そういうことを言うようになったらしいのです。
アッちゃんのご両親も、頭がおかしくなったんじゃないかと、えらく心配してました」
「そのアッちゃんのお兄さんという方は、今この島にいらっしゃるのですか?」
おかみさんは、悲しそうな顔で柳さんを見つめると、
「いえ……。
もうこの島には、お兄さんも、アッちゃんも、おじちゃんも、おばちゃんも、どなたもいらっしゃいません」
おかみさんは、遠くの方を見つめると、昔を思い出すように話し始めた。
「もう三十年余りも前の話ですよ。
本土からどこかの会社の人がやってきて、大きな海産物の工場場ば作るて言うてきたとです。
観光事業にも力を入れるとか言うて、土地ば買収し始めました。ここん地元の人も半分くらいは賛成しとりました。
アッちゃんのお兄さんは、反対派の人たちと一緒に集まり、話し合いなんかもよくしておいででした。
そんな時です。アッちゃんのお兄さんが、その不思議な人に出会ったというのは」
「その人の名前は、名前はなんて言うんですか? その当時、何歳ぐらいだったんですか?」
他のスタッフから「デカ」とい呼ばれるほど体の大きい秋野さんが早口で尋ねた。
「まぁ、皆さんたら、そんなに今にもかみつきそうな顔で見られたら、私は困ってしまいますよ」
「申し訳ありません。私たちは、その人の足どりを探して、もう何日も前からずっと、この島を歩き回っているんです。
それで、皆あなたの話が聞きたくてたまらないんです」
おかみさんは、その言葉に小さくうなずくと、話を続けた。
「私の父も反対派でしたから、話し合いの様子なんか時どき聞きはしました。
アッちゃんのお兄さんは、同じように開発で自然を失ってしまった島や国々の話なんかをよう知っとって、とにかく島の財産は豊かな自然だから、それを安かお金でよその者に売ってはならんと話していたそうです。
会社ん人のところへ抗議に行く時も、一番前に立って、みんなのまとめ役をしておったそうです。
今となれば誰でもが、アッちゃんのお兄さんの言ってることが正しいんだと、わかるんですがね。
当時は、誰の言ってることが正しいのか、全くわからないほど、混乱してしまっておりましたから……。
そのうちに、反対運動はだんだん激しくなってゆきました。その勢いに会社の経営者たちも、一時はあきらめかけとったという話でしたが……」
「では、なぜ今このように島は開発が進められているんですか?」
「そう……。みんな、この島の年寄たちも、この話をしたがらなかったでしょう。開発の問題を話すと、あの事件に触れんといかんとです」
「事件ですか?」
「そうです。反対運動をしている者たちの中には、年の若か青年から年とった者。また、島のあちことから集まっておりましたので、いろんな人のおりました。
ちゃんと、話の筋を通す人もおれば、そうじゃなか人も……。
そして、ほとんどが漁師たちです。みんな普段はいい人ばかりなのですが、仕事柄、力も強いし、気性も言葉も荒い人が多かったのも否めません。
また、島のこと、海のこととなれば、みな生活がかかっていますので、真剣そのものです。
そして、ある晩のことでした。反対派の中でも、気の荒か「タツ」という青年をはじめとして若い人たち二、三人が、賛成派のリーダー核の人の家へ、『島ば守ろう』と説得に行ったとです。
ところが、その晩、その家には会社側の人たちが来ていて、酒盛りをしていたらしいんです。
うわさによると、その時ちょうど、買収のお金を渡していたとか……。
それで怒ったタツたちが、その人を外に連れ出して、殴ったり蹴ったりしたらしいとです。
気のたっとった上に、力の強か者ばっかりで、不幸なことにその男の人は、打ちどころが悪く亡くなってしまったとです。
タツと一緒にいた二、三人の男たちは、逮捕され刑務所に入れられました。タツの親は、『あいつがそそのかしたんだ。島を二つに分かれさせ、争いの種を作った』そう言って、アッちゃんのお兄さんを責めたり、『息子を返せ。お前のせいで、こんなことになってしもうた』毎晩のように酔っ払っては、アッちゃんのお兄さんの家の前で泣き崩れたそうです。
そう言われたら、おれないですよね。
だけど、アッちゃんのお兄さんは、いつも言ってたそうです。暴力をふるってはいかん。暴力をふるった方が負けだと。
アッちゃんのお兄さんが悪かとじゃないと、父も言っておりました。若い人は血の気が多いから、抑えきれんで突っ走ってしまったとでしょうね」
「それで、おかみさんの友だちやそのお兄さんたちは、今どこにいらっしゃるのですか?」
「それがわからないんです。
事件から一か月後、お兄さんは突然姿を消したんです。
それでアッちゃんやご家族もとうとう、この島にはいたたまれなくなって、夜逃げのように島をでました。本当にかわいそうでした。私もなんて言葉をかけていいのかわかりませんでした」
おかみさんは当時のことを思い出したのか、ハンカチで見頭をおさえた。
たかしは、柳さんの顔をじっと見た。柳さんが中国で遭難した時の話が、頭の中で大きくよみがえってきたのだ。
柳さんと目が合った。
柳さんも同じことを考えているのだと、すぐにわかった。
「おかみさん」
柳さんの改まった声に、おかみさんも我に返ったようだった。
「私は、中国でティーンズ・ショーンズに助けられました。そして。驚くべきことに、そこに日本人の男の人が一緒に住んでいたんです。年の頃からして、多分あなたのお友だちの……」
「本当ですか? アッちゃんのお兄さんは生きておられるのですか? 島のもんは、皆どこかで死んだんだと言っています」
おかみさんは柳さんの手をとり、真剣な顔をして聞き直した。
「確定はできませんが、中国にいた方も優しく柔和な顔の方でした。たぶん、間違いない……と私は思いますが」
「そうですか……。アッちゃんのお兄さんが……。
じつは、アッちゃんはずっと音信不通だったんですが、突然二年前に手紙がきたとです。
それから時々、手紙のやり取りをしております。今は横浜に住んでいるそうなんですが、すぐに手紙を書いて、知らせてあげたいと思います」
柳さんはゆっくりとうなずくと、穏やかな声で言った。
「おかみさん。今日は本当に有難うございました。今夜、聞いた話は、絶対に外部には出しません。安心してください」
「ありがとうございます。お客様のことを信用して全部お話しました。
だけど、今は反対にお礼を言わせてください。まさか、アッちゃんのお兄さんをご存知の方とお会いできるなんて、本当に夢みたいです。
きっと、その方のお引合せでしょう」
深々と頭を下げるおかみさんに、軽くうなずくながら柳さんは言った。
「おかみさん。もう一つだけお聞きしたいことがあります」
「はぁ、どんなことでしょう?」
「この町から、車で三十分ほど下ったところに、小さな集落がありますね。そこに大宮さんという方がいらっしゃるのをご存知でしょうか?」
「ええ、よく存じ上げています。でも、なぜ柳さんが大宮さんを?」
「じつは、この宿に来た日、大宮さんに非常にお世話になったんです。ここまで、車で送ってくれたのは、大宮さんの息子さんの三郎君でした」
「まぁ、そうだったんですか。三郎ちゃん
が!
とっても親切で、頑張り屋のいい青年ですよ。
で、何か?」
「ええ、知りたいのは、二年前に亡くなられたおじいちゃんのことなんです」
「まぁ、おじいちゃんのことを!」
おかみさんは、おじいちゃんの話題が出たとたん、急に穏やかな表情になった。
「聞くところによると。おじいちゃんは山が好きな方だったとか」
「ええ、ええ。山にばっかりこもってるって、よくヤッちゃんがぼやいていました。
あ、ヤッちゃんと言うのは、三郎ちゃんの父親です。
今の時期は漁に出てるから、家にはいなかったと思いますが。高校の時、同級生だったんです」
「おじいちゃんのことで、何か聞かれたことがあったら、教えていただきたいのですが」
「とにかく変わった方だそうです。直接には、あんまり知らないのですが、そう言えば、おじいちゃんのことを仙人て呼んでました。
山に入ると何日もおりてこないし、山の植物や、動物のことをよく知ってて……。
あっ、そういうことなんですね。
そうかもしれません。ヤッちゃんのお父さんも、もしかしたら、その不思議な方と出会っていたかもしれませんねぇ」
おかみさんは、笑顔を満面にたたえながら、優しくつぶやいた。
翌日、特に大きな収穫もなく、スタッフは島での最後の取材を終えた。
そして次の日、予定通り、取材班は島を離れることになった。
港には、四日間泊まった宿のおかみさんが見送りに来てくれていた。船の中で食べるようにと弁当まで詰めて。
船はゆっくりと岸を離れていく。
たかしと取材スタッフのみんなは、離れゆく島を重なり合う心で見つめていた。
一週間、取材旅行でたくましく日焼けしたその顔は、みな晴れ晴れと輝いている。
たかしは、島での数日間を思い出していた。緑に覆われた生命あふれる山。雄大な海。何色にも変化する夕焼け。
バスを飛び出し、道に迷った夜に見た真の闇。まるで宝が埋まったような輝きをもった島。たかしは、島の一つひとつを心に刻み付けた。
来た時と同じように長い時間、波に揺られ、船はやっと、あの日出発した港へ戻ってきた。
船が本土の港に着けられ、乗っていた人々が次々と船から降りていく。
たかしは、旅の終わりの寂しさと無事に帰り着いた安心感で、たまっていた疲れが体からにじみ出てくるのを感じていた。
港には、たかしのお父さんとお母さんが迎えに来てくれており、柳さんやスタッフの人たちに、何回もお礼を言っていた。
たかしも、スタッフのみんなに、さよならのあいさつをした。
「たかしはよく頑張ったよ。正直言って驚いたな。すぐに音をあげるんじゃないかと心配していたんだけどね」
「おー。そうかい。俺はモジの方が心配だったけどな」
「あははは、そりゃないすよぉ」
はははは……
船着場に楽しそうな笑い声が響き渡った。




