逃避
翌日は、昨夜泊まった町で聞き取りを行った。今日は、一回でもいいから何か質問しようと心に決めていたたかしは、何度か自分から町の人に声をかけた。
「たかし。お前、頑張るな。おい、モジ。うかうかしていると、スタッフの座を奪われるぞ」
柴田さんがからかうようにモジに言うと、
「ほんとだ。小学生だからといって、油断できないっすね」
モジも冗談交じりに答え、いつものクセで頭をかいた。
この町では、取材の難しさを思い知らされた。尋ねても、訪ねても「存じません」「あんたたち、どこから来たんだい? 何を聞きたいのかい」と、冷たいとも思えるほど取材に非協力的な人ばかりなのだ。
おまけに、たかしが一番聞きたくなかった言葉が何回も飛び出し、その度、たかしの心臓はぎゅっと縮みそうになった。取材も終わりに近づいたころに訪ねた家でのことだった。
「あんたたち、子どもまで連れて、何を探ろうとしているのかい。まったく街のもんは油断できねぇ」
たかしは言葉もなくし、顔をあげることができなかった。
(やっぱり、ぼくがいると取材の邪魔になる)
たかしは、はっきりとそう感じていた。
「たかし君、気にするな。君がいるから話をしてくれないんじゃない。きっと何かがあったんだ。島が開発にさらされた時に」
柳さんは確信するように言った。しかし、たかしには慰めで言ってくれてるとしか思えなかった。
ほとんど何の収穫も得られないまま、その日の取材は打ち切られた。バス停に集合したスタッフは、しばらくしてやってきたバスに乗り込んだ。他の班も全く聞き取りが進まなかったらしく、みんな言葉少なめである。
バスが走り出してしばらくすると、後ろのほうの座席から、ひそひそと話す声がたかしの耳に飛び込んできた。
「なんだか見なれん人たちの乗ってござるね」
「ああ。なんか、こん島んこつば聞きに来たちゅうて。朝から、誰やかれやつかまえては、いろいろ聞きよんなさる。だあれも相手にせんじゃろうがな。よそん者に関わると、ろくなこつぁない。島ん者は、あんこつを忘れたらいかん」
「それによ、小学生の子どもまでつこうて…」
たかしは、一瞬身をすくめた。
“ああ、どうかそれ以上何も言わないで”
しかし、おばあさんたちの話は続いた。
「街のもんの考えることは恐ろしか」
「そうじゃ。ばって、村のもんはだあれも口を開かんやったらしかよ。取材に子どもを連れてくるようなもんは、ろくなことは書かんいうて」
たかしは下を向いたまま顔を上げることができなかった。バスの中にはかたい沈黙が走った。
次の瞬間、たかしの肩をゆする手があった。
「たかし。気にするな。なんにもわかってねぇんだから。いろいろ言うさ」
モジが明るく笑ったが、たかしは下を向いたまま、うなずくのが精いっぱいだった。
後ろ席では、柳さんの隣に座っていた秋野さんが不安そうに小声で話しかけた。
「なぎさん、やっぱり小学生を連れてくるのは無理があったんじゃないでしょうか」
「なに言ってんだ。私たちがそういう気持ちだと、たかしは辛すぎるぞ。小学生だろうと、大人だろうと何かについて学ぶ時、その真剣さは同じだ。
いや、純粋さから言えば、子どものほうが勝っているだろう」
「なぎさんの気持ちはわかるし、おれも賛同します。しかし、スタッフの中には、なんでそこまで…という気持ちも正直言ってあります」
通路をはさんで座っていたカメラマンの中さんも話に加わってきた。
柳さんは、しばらく考えると静かに言った。
「とにかく。今の老人の言葉ではっきしたじゃないか。島の人が、何も語ってくれないのは、たかし君がいるからじゃない。何かがあったんだ。島が開発にさらされた時に…」
「ちょっと、、その話はあとにしてください。たかし、精神的にだいぶまいってるみたいだから。ぼくたちの話し声にも、たぶん、敏感になってます」
ちょうど自分の席にもどってきたモジが、人差し指を口のところへもっていきながら、声をひそめて言った。
「わかった。この話は、今夜宿へ着いて、全体で確認しよう。あ、モジ…」
柳さんは、自分の席につこうとしていたモジに声をかけたが、「いや、何でもない」とすぐに打ち消した。
バスは沈黙を乗せて走った。おばあさんたちは、途中でおり、スタッフのほとんどが心地よい振動で眠りに落ちていたからだ。
もうだれの話し声も聞こえてこない。そんな静まり返ったバスの中で、たかしは、自分の居場所がなくなったような不安に襲われていた。
(ぼく、こない方が良かったのかな。みんなに迷惑ばっかりかけて。ぼくさえいなかったら、取材ももっとはかどってるはずだ。
やっぱり、とうさんの言ったとおりだ。おとうさん、助けて。ぼく、どうしたらいいんだろう。帰りたい)
窓を見ると、情けない自分の顔がガラスに映っている。その外には、深い森につながる木々が、夕暮れの光と陰に彩られ立っていた。もの悲しい夕暮れの景色が、いっそうたかしの心をさびしくした。
その時、バスはスピードを落とし、ほどなくして止まった。左手を見ると、近くに家が見えた。バスのドアが開いた。
「こんばんは。おつかれさん」
そう言って、五十過ぎの女の人が入ってきた。そして、バスの中を見回すと、
「まぁ、めずらし、めずらし。お客さんがいっぱいじゃねぇ。大石さん、今日は商売繁盛で、きばっちょりますな」
おばさんは、今までの静寂を突き破るように豪快に笑った。
「たまには、こういうこつもないと、会社もつぶれっしまう。はい、今日の新聞」
運転手のおじさんも笑いながら、おばさんに新聞を数部手渡した。
新聞を受け取ったおばさんがバスを降りようとした時、たかしはとっさにに立ち上がり。誘われるようにおばさんのあとをついて降りた。
「あ、ぼうや。お金は?」
運転手の声に、外を見ていた柳さんは、はっとして運転席にかけよった。たかしの姿が見えない。
「運転手さん。今降りたのは、小学生の男の子ですか?」
「そうだよ。おたくらと一緒に乗り込んだ子だったよ。確か。
ここで降りなさるとですか?」
「いえ、ちょっと事情があって。ちょっと、待ってください」
柳さんは、開いたままになっているバスのドアから外へ出た。あたりを見回したが、たかしの姿は見えない。
あまりにも見通しが悪すぎた。何本も立ち並んだ樹木が元気いっぱい枝を広げて、視界を邪魔していた。
柳さんは、再びバスに戻ると、中さんのせきに走った。
「中さん。たかし君が突然バスから降りて、姿が見えないんだ。私は今から後を追う。みんなは予定通り、宿へ向かってくれ。なにかあれば連絡する。あとは柴田と相談しながら、私の代わりの指揮を取ってくれ」
「なぎさん。ぼくらも一緒に探します」
「いや。あまり大騒ぎすると、たかし君も戻りにくいだろう。じゃあ、頼んだよ」
そう言って、柳さんはたかしのあとを追った。
たかしは、バスを降りるとおばさんのあとをそっと歩いた。おばさんは、国道からすぐに左へ下り、さらに左へ曲がり細い道へ入っていった。その先に数軒の家が見えている。
おばさんが左へ曲がりっ切ったことを見届けたたかしは、そこからまっすぐに走った。走って走って、もうこれ以上走れないという所まで走った。とにかく、どこかへ逃げ出したかった。
(ぼくさえいなかったら、スタッフのみんなは、あんなふうに言われずにすむんだ。それに取材だってもっと進むだろう)
たかしは夢中で走った。体育の授業でさえ。こんなに真剣に走ったことはない。だけど、息苦しい所から抜け出したような心の軽さを感じた。
苦しくなると立ち止まり、はぁはぁと肩で息をした。葉っぱのにおいが体中に吸収されるようで、心地良かった。
何度かダッシュを繰り返した。しばらく走ったあと、どこへ続くのかさえ知らないその道を、とぼとぼと歩き始めた。いつの間にか、夕焼けであたりはオレンジ色。
「わぁ。すっげー、きれい。海の夕日もきれいだったけど、山の夕日もすごくいい」
たかしは、初めてゆっくりと空を見た。雲も山も木々も、すべて夕焼けに染まっている。たかしは、しばらくその場に立ち止まり、景色に見とれた。
(ぼく、こんなところで何してるんだろう。ばっかなことしちゃったな)
そう思いながらも、目の前に続く道を歩き続けた。長くなった自分の影が、何だかよそよそしくて、急に寂しくなった。
ふと、ティーンズ・ショーンズの面影が浮かんできた。うしろめたさだけが残った。
心の奥に重いものがぶら下がったまま、足だけがゼンマイ仕掛けのように動く。
ふぅ
一つため息がでたが、足は止まることなく石ころだらけの道を進む。時どき、車が入るのか、タイヤのあとがついているのが、せめてもの慰め。
しばらく行くと、道が二つに分かれていた。あたりは、すこしずつ夕焼けから夕闇に変わっていく。昼間の山は。草のいい匂いと土の匂いが混じり合い、生き生きとしていたが、夜の山は違った。ひんやりとして、草も木も不気味な闇に包まれている。
たかしは不安になった。この道のどちらへ進んでも、自分の知っている場所へは戻れないことだけは確かだったから。
「おとうさん。おかあさん」
たかしは、その場座り込んだ。半ズボンに半袖の服装では、少し肌寒い。
たかしは、時どき新聞やテレビで、山で遭難した人のニュースが出ることを思い出し、同じことが自分の身にふりかかってきていることに気がついた。怖さでゾクゾクする。
「ここでじっとしていても、どうにもならない」
急に立ち上がると、タイヤのあとがはっきりと残っている左の道へ進みだした。
さっきよりまた少し、夕闇が深くなった。風のせいなのか、それとも何かいるのか、カサカサと木の葉を揺らす音。たかしはその度、立ち止まった。
太陽が沈むと、あっという間に夜がやってくる。
(柳さん、心配してるだろうな。きっと今ごろ、大騒ぎになってるだろうな)
そう思うと、戻ろうとする勇気がくじける。しかし、静まり返った深い闇の中で、気が遠くなりそうだった。今にも涙がこぼれそうだ。
やっぱり戻ろう
そう決心して、後を振り返った時だった。背を向けた側のやぶの中から、聞いたことのない動物の鳴き声と数匹の犬の鳴き声が聞こえた。たかしは思わずビクッとした。
走り出したい衝動にかられたが、恐怖で足が動かない。たかしは、つばをごくりと飲んだ。おそるおそる声のしたほうに顔を向けてみた。
何もいない。耳をすましたが、何も聞こえない。
たかしはほっとすると同時に前身の力が抜けていくのを感じた。しばらくその場にたたずみ、呼吸が整うのを待った。
そして、気を取り直し、再び山道をくだろうと歩き始めた時、たかしの目に白いものが飛び込んできた。




