【お風呂は極楽だった】
外に出ると、地底を照らしていた蛍石の明かりはすっかり消えていた。
足場の縁に等間隔に並べられた蝋燭だけが頼りとなる。
わたしは来た時と同じようにスミに担がれて、浴場へ向かっているところだ。後からオボロが着いてくる。
足場が三人分の体重を受けて軋み、体は自ずと強張った。この足場問題の対策として、わたしは薄目を徹底しているが些末な効果である。
「これが怖いなんて可愛いな。今までよっぽどいい暮らしをしていたんだね」
「一歩踏み外したら死ぬようなところでは暮らしていませんでした」
オボロはわたしに次々と質問を投げかけてくる。と言うのも、スミやわたしが言い出す前に、わたしが人間であるとあっさり見破ってきたのが発端だ。オボロは人間にずいぶん興味があるらしい。わたしの私服が人間っぽい物だったからすぐに分かったと言われた。確かにスミもオボロも装飾の無いシンプルな出で立ちであった。
スミが声を上げる。
「もうすぐ大きな洞穴が見えてくる。そこが浴場だ。地底界では男と女は分かれて入るから、入り口でオボロの女に小町の案内をしてもらう」
「人間も男女分かれて入るから、そこは一緒で安心した」
背後でオボロが不服そうに呟いていた。
「あのさ、別に僕の女ってわけじゃないのだけど。さっきの仕返しかい?」
スミの言った通り、湯気が溢れ出ている大きな洞穴はすぐに見えてきた。
新たな地底人の姿が湯気越しに薄っすら浮かび上がる。
今度はわたしが人間だとすぐに分からないかもしれないな、と考えが過る。スミから借りた生成りの半袖短パンに着替えているからだ。葬式用に来ていた黒いワンピースは汚れや破れが酷かった。
「もう降りて大丈夫だ」
「ありがとう、スミ」
オボロが片手を上げると、湯気に透ける影が近づいてきた。
「おはよ。オボロたんと会うのマジ久しくて泣くレベルなんだけど」
両手をぱたぱたと振りながら湯気を蹴散らそうと奮闘している同年代くらいの少女が、わたしを見つめてにこりと笑った。褐色の瑞々しい肌に碧眼が映える。これで三人目の地底人と会ったことになるが、みんな揃って顔が整っている。羨ましい限りだ。
ぼうっと見惚れていると、少女が距離を詰めて来た。
「お姉さんのピンク髪、超可愛いね。あたしなんてアイスブルーだよ。寒色系のクールキャラじゃないのにこれはなくない?」
「そうかな。あなたの髪色、わたしは好きですよ。お団子ヘアも似合っていて可愛いし、わたしもその髪型してみたいな、なんて」
少女は目を輝かせて何度も大きく頷いた。
「ありがと。あたしヘアアレンジガチ得意だから任せて。ちなみに名前は? あたしはヒョウ。もうマブダチだから敬語は無しでヒョウって呼んでね」
まさか名乗る前に友達ができるとは思わなかったが、ヒョウの溌溂とした性格は問答無用でこちらまで明るく照らしてくれるから好きだ。
高校入学当初以来の、知らない子と友達になれるチャンスが巡って来たわたしは慎重に口を開く。
「わたしは小町。よろしくね、ヒョウ」
ヒョウは可愛い八重歯を覗かせた笑顔で抱き着いてきた。その延長で手を取られ、そのまま引っ張られる。
「女風呂はあっちだから行こ。じゃ、男子とはここでお別れだから。後でね」
スミたちは呆気に取られたままわたしたちを見送っていた。片手は空いていたから、控えめに小さく手を振ってみた。すると、二人とも小さく手を振り返してくれた。
洞窟の中は入口と違い、湯気が少なくて視界に困ることは無かった。
「他の子たちはもう入り終わってるから貸し切り状態だよ。マジ貴重だから楽しも」
「うん、すごく楽しみ」
女と書かれた赤い暖簾をくぐった先には、親近感の沸く脱衣所があった。何百人も入れそうなだだっ広さには驚いたが、鍵付きのロッカーや、ドライヤーが設置されている鏡台などはわたしの地元の温泉にもあった。
「何だろうこの気持ち。既視感がすごい」
「コマチもう脱いだ?」
「ごめん、今から」
振り返ると真っ裸のヒョウが腕を組んで待っていた。
待たせるのは悪いと思い、わたしは急いで衣服に手をかけた。
硫黄の匂いが鼻の奥に届く。
脱衣所の奥にある大きな扉の先に温泉があった。やはり広い。ざっと見た感じ五十台ほどのシャワーが壁に設置されている。中央には大きな乳白色のお風呂がある。
「他にも無限にお風呂の種類あるから、そっち行こ。あたしのオススメは泥湯」
「泥湯って何?」
「まんまの意味。真っ白な泥のお風呂なんだけど、美肌効果抜群だからガチおすすめ」
まじまじと毛穴一つないヒョウの肌を見る。わたしは静かにヒョウの肩に手を置いた。
「ヒョウみたいなモチモチスベスベのお肌になれるってことか。よし、入ろう」
泥湯の隣には青い風呂があった。サファイア風呂と呼ばれているらしい。リラックスに特化した風呂だそうだ。きれいな深い青色を見ているだけで、確かに癒し効果がある。
泥湯に肩まで浸かったわたしは、ほうっと息を吐いた。ようやく体に入っていた力が抜けた。
少しぬるめの温度が心地よい。
後からぽちゃんと音を立ててヒョウが入って来ると、わたしの隣に座った。
「やっぱ泥湯があたし的ナンバーワンだわ」
「初めて入ったけどすごく良いよ」
泥は底に沈んでいた。両手ですくっても底が見えない厚さがある。
それを腕や顔につけてパックすることで美肌になるそうだ。わたしは嬉々として頭からつま先まで全身隈なく泥を塗り込んでやった。
「コマチが美肌ガチ勢過ぎてヤバイ! ほぼお化けじゃんそれ」
ケタケタと笑うヒョウに顔を向けると「お願いだからこっち見ないで。お腹痛い」と顔の向きを強引に変えさせられた。
「笑えばいいよ。わたしは泥湯でヒョウみたいな美肌になってやるんだ」
綺麗なヒョウが羨ましい。わたしはニキビができやすい敏感肌な為、日ごろのスキンケアが欠かせないのだ。これと決めている化粧水も乳液も今は無い。肌荒れしてしまう前に何としてでも予防しなければならないのだ。泥にも縋る思いである。