【洞穴に吸い込まれた】
湿り気のある冷たい地面を頬に感じた。
目を開けてみたが、真っ暗で何も見えない。
「正直死ぬかと思ったけど、生きてはいるのか」
両手に力を入れて起き上がろうと試みる。しかし頭をぶつけてしまい、それ以上動くことは叶わなかった。どうやら狭い空間に閉じ込められているらしい。
「都司は無事かな」
うつ伏せの体勢が苦しくて、何度も体のあちこちを壁にぶつけながら仰向けになる。頭の近くの壁にピンホールを発見した。
糸みたいに細い光が差し込んでくる。
「明るい。もう朝なのかもしれない」
昨日の出来事を思い返す。祖父の風景画を見た後、窓を開けると浮遊感と共に洞窟へ吸い込まれた。そこから今に続くわけだけれど、気づいたらこの状態だったとしか言えない。現状、何も分かっていないのだ。
わたしは渋々ながら、ようやく現実を受け入れることにした。
「つまり生き埋めってことだよね」
生暖かい気温なのに、わたしは悪寒を感じてふるりと身を震わせた。
このまま死んでいくのだろうか。助けが来なければ死ぬだろうな。
何度も周囲の壁を壊そうと蹴ったり叩いたりしてみたがびくともせず、神経をすり減らしていくばかりだ。
何時間経っただろうか。それともまだ数分も経っていないかもしれない。狭い暗闇の中にいるから、時間感覚はあやふやだ。何も分からない状況に発狂してしまいそうになるが、まだそこまで狂えなかった。
「いっそ狂った方が楽かもしれないのに」
わたしは余力を残しつつ、もう一度壁を叩く。
「誰かいるのか」
若い男の声がした。都司ではなかったが、やっと巡ってきた人とのエンカウントに、わたしは涙が出るほど安堵した。
鼻をすすり、声を張り上げる。
「お願いします、助けてください。ここに閉じ込められているんです」
返答は無かった。もしかしたら幽霊かと思われたのかも。怖くなって逃げてしまったなんてこと、全然あり得る。
違う意味でも涙が溢れそうになった時、わたしを閉じ込めていた頭上の壁が持ち上がった。
眩しい光を感じて目を閉じる。
「手を出せ」
わたしは目をつぶったまま、言われるがままに左手を伸ばした。その手を力いっぱい握り締めてくれた筋張った手が、わたしを軽々と引っ張り上げた。
「別に目を開けたところで害はない」
「眩しかっただけです」
わたしは恐る恐る目を開けた。
鼻と鼻がぶつかってしまうくらい近くに、わたしと同年代くらいの青年がいた。
色素の薄い肌と透き通るようなブロンドの髪。茶色の目はわたしと同色だが、別物に思えるくらい彩度が明るい。ずいぶんと勝気な印象を与える、少しだけ跳ね上がった目尻が特徴的だ。
「俺の顔は変か」
「いえ全く。助けてくれてありがとうございます」
わたしは慌てて五歩下がり、深々と頭を下げた。この人がいなければ死んでいた。紛うことなき命の恩人である。
「明るさには慣れたみたいだな。ここら一帯は蛍石の光で照らされているから、これに慣れないと地底での生活はしんどい」
「地底?」
普段聞き慣れない単語に首を傾げつつ、わたしは顔を真上に向けてみた。
そこには圧倒されてしまうほど幻想的な光景が広がっていた。
「うわあ、きれい」
青く発光する天井が果てしなく続いている。それはよく見ると光る岩の連なりようだった。青年は「あれが蛍石だ」と言う。まるで深海に沈む宝石箱のような静かなきらめきなのに、わたしたちはこの蛍石が零す光のおかげで、真昼のような明るさを享受していた。
蛍石に手を伸ばしてみるが、到底届かない高さだ。
「不思議な光だな。こんなに明るく照らしているのに、蛍石の光はあんなにささやかで慎ましいなんて」
「そうか。俺は見慣れているから不思議に思ったことすらなかった」
青年はわたしの横に立ち、同じように蛍石を眺める。その横顔は人間離れした美しさだった。
現状と言葉の節々から感じる違和感に、わたしはようやく目を向けることにした。
「あなたはここに住んでいるんですか? それなら教えてほしいです。ここがどこなのか」
青年は勝気な目を細めてわたしを見る。だからわたしも負けじと睨み返した。ちりちりと焼けるような緊張感は、青年が小さく笑い声を漏らしたことで早々に霧散した。
「そんなに怯えなくていい。ここは地底界で、俺は地底人のスミだ。あんたは人間だな」
「ごめんなさい、言っている意味が良く分からなくて」
地底界、地底人、この青年はスミと名乗った。わたしはハテナが増えていくこの状況に頭が今にもパンクしそうだった。
スミは混乱を極めているわたしを落ち着かせようと、即席でベンチを作ってくれた。そこに腰掛けて辺りの様子を見ると、このベンチを無限に作れてしまうほどガラクタで溢れていた。木の板やくまのぬいぐるみ、サーフボードまでジャンルは様々だ。
「少しは落ち着いたようだから、理解できなくてもとりあえず聞け。今日は舞い下りる日だったから、地上からこんなに物が落ちてきた。あんたはそこに紛れ込んでしまったのだろうと思う」
舞い下りる日。地底人は、地上から地底に物が大量に落ちてくる日をそう名付けているらしい。
「大きな風と共に落ちてくるんだ」
心当たりがある。
わたしの体を軽々と浮かせた、あの大きな風。
こくんと無意識に喉が鳴った。
「へえ。その度に地底界はガラクタでいっぱいになってしまうんですか」
「いや、落ちてくるのは隠された庭にだけだ。その場所以外には落ちないし、地底界は果てしなく広いから問題ない。それに」
スミはわたしの頭をぶっきらぼうに撫でた。力加減がでたらめで痛かったが、スミなりの慰めだと感じて拒絶はしなかった。
「舞い下りる日があれば、舞い上がる日もある。その風に乗れば、あんたは地上に帰れるから大丈夫だ。そんなに泣きそうな顔をしなくていい」