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ムカシトンボの生還

作者: 船岡 銀杏

静かな太古の夢を見る池に




 みんなのほんの身近に、とても不思議な池があることを知っているかい。


 京都の北部には二つの大きな池がある。一つは有名な「宝ヶ池」という、名からしてまるで桃源郷のような、四季によく映えるやさしくてロマンティックで幻想的な池がある。そこには国際会議場や、今や冬季の国内マラソンの舞台としてよく知られる池である。

 他方には野性的で神秘に包まれた素朴な池「深泥池」がある。この話はその深泥池についてである。


 よしお少年は、この不思議な深泥池にいつの頃から取り憑かれたのか?

一人でよく来ることがある。春といい、真夏の盛りはもちろん、真冬の厳冬の頃さえ好んで訪ねることがある。



 

 ところで、深泥池の特性だが何といっても豊かな固有生物の宝庫であることだ。それを理解したのは成人に成ってからのことだが、そこにはおよそ二十万年も前頃から生命活動が育まれてきた場所となっている。池の水が永い間滞ったままに、ゆっくりとゆっくりと時間をかけて水生植物は腐敗を進めながら、生死を繰り返し堆積してでき上がったのだ。それがいく層にも溜まり、重なって池底を形成して造られていったのだ。腐敗土からなる中州の浮島なんかは、夏には逞しく肥りせり上がり、冬には痩せこけ平らで薄ぺらくなる。

  

  四季折々に姿を変えていく風景の趣は、堪らない魅力が備わる。

 そこに住み着く生き物や植物に、

 生き抜く環境適応の深いドラマの語らいを訪れるみんなに告げるのである。

 

  

  そこで、少年と老人が繋がる深泥池みどろがいけにこんな出来事が起こった。

 


 


 よしおが初めてこの池に連れられたのは、頑固な祖父と一緒だった。その時、深泥池についてこう語るのだった。「滋賀県にある日本一広い湖、琵琶湖は古代地球の地殻変動によってできたものだが、この深泥池の歴史的誕生は遅れること遥か10万年ほど前で鴨川流れがせき止められて出来上がったもの」らしい。

 祖父の回顧する話に依れば「よく子どものころは、タコ糸に大きな釣り針をくくり付け、カエルを刺して餌にし、池に投げ入れるのだ。そのカエルがまるで生きているように糸を操って動かして・・・そして大きなタイワンドジョウを誘い釣り上げるのだ」と言った。「昔は今のように環境・環境とうるさく言わなかったが、池の秩序はきちんと守まれていたのだ。」それを聞かされたよしおの思いは、大いに広がるのだった。

 そのことをいつものように語り草にしていた祖父だが、夢にまで見たタイワンドジョウを実際に自分の手で釣り上げることは、一度も無かったことを、誰にも明かしてはいないのだ。

 幼い日の祖父の目に写った親戚の叔母の家で、日陰になったタタキの土間にある大きな樽の中には、なみなみと井戸水が蓄えてあった。その底に、丸々と太りゆうゆうと横たわるタイワンドジョウのぬめり輝く灰色の巨体が、目に焼きついて離れなかったった。静まり返った深泥池に、眠りを引き裂くように、水面を跳び跳ねるタイワンドジョウをどう捉えるのか、当時の祖父悩ませる毎日だった。

 だが本当の祖父はカエルを手で捕まえ、それを釣り針に刺す芸当なんてできることでは無かったのだ。

 

 

 

 



 よしおは小学校に通うようになった。


 学校の奥の裏山は、隣接する遊園地と雑木林に囲まれていた。

そこに古びた一つのビオトープがあったのだ。

 その頃の学校教育では、ビオトープ設置が推奨され、市や地域の環境団体を中心に企業の支えもあり、都市に住む子供たちに日本の里山の原風景を体現させることが、子どもたちの心の育成には欠かせないものとして導入されたのだ。

そのビオトープはなかなか巧緻な工夫が施されていた。

 ビオトープの上部には土が盛られ貯水プールを造り、そこからささやかな傾斜を利用して細くて浅い流れを巡らせ、下部に設けた平らな池に送られるという仕組みであった。池の底には水漏れを防ぐため厚手の農業用の灌漑ビニールシートを敷いて、その上に小石や土がたっぷりと埋められていた。その池に溜まった水をポンプで吸い上げて、戻しては流すという循環式のビオトープだった。

 

 そこは学校の裏庭の端にあり、子ども達の喧噪も届かない昼間でも静かで、木が鬱蒼と茂ったところだった。よしおは一日に一度は必ずそこを訪ねた。特によしおが気に入った季節は初夏の入梅のころで、心が安らぐ思いがしたからだ。それが梅の香りのせいだと知ったのはずっと後のことだった。そこには青梅の実が大きく鈴のようにいっぱい実り、梅雨にしっとりと濡れ、それから放たれる梅の香りが、あたり一面を包み込む。そこへ小鳥たちが囀りながら集う、そのビオトープを眺めるのが一番好きだった。








 さわやかな5月の半ば、よしおは眼をみはった。


 緑の水草に囲まれた初夏のビオトープの上を悠々と旋回し、ハイスピードで舞い戻りホバリングしては、空中にたたずむ浅黄色の逞しい一匹のトンボがいた。よしおは目を奪う鮮やかな水色にしばらく見とれていた。

 そのトンボはまるで「この池の主はオレだ」と、縄張りを誰にでも宣言するかのように堂々としていた。それはどの池にも一匹だけで君臨することが許されるギンヤンマの勇姿そのものだった。自分だけの子孫を残すという強い自信ある姿だった。

 その時だ。体中に塩を吹いたようなシオカラトンボの雄がビオトープに接近したかと思った瞬間、どこに潜んでいたのか?静寂を突き破るかのように素早いギンヤンマの威嚇があり、簡単に追い払われるのだった。


 以来よしおはギンヤンマに魅せられた。

その素晴らしいバランスのいい体、目の覚めるような水色、悠然と飛行して素早く相手を攻撃できるギンヤンマは、文句なし池のチャンピオンであった。ビオトープでのたった一匹の勝者であり、ヤゴ時代の凄まじい戦いを乗り越え、争い抜いてきたのだ。しかも、ヤゴは眼光も鋭く、体は勇猛で頼もしく、戦闘的な若草色の騎士の鎧を思わすような羽で囲われていた。見るからに無敵そのものだった。

 このトンボ世界の記憶はよしおに強く刻まれていた。





 夏休みに入った。


 よしおはもう一人で深泥池まで自転車を飛ばして行くことができた。それは8月の早朝、みんながまだ寝静まっている間に自転車を漕いだ。前回梅雨のころに出かけた時にはイトトンボやサナエトンボが水面を飛び交っていた。今朝はまだ薄暗い中を深泥池の近くのおばさんと犬が散歩をしていた。静かであった。

 池は太古の眠りを愉しんでいるように静かだった。水面にはミツカシワ・コウホネ・ジュンサイなどの水草が繁茂し、その上をたくさんのトンボが舞っていた。まさしくトンボ天国である。

 水辺に近寄ると大きなカエルが重く飛び込んだ。鳴き声が「ウシ」そのもので、「グモーツッ、グモウォーッ」と腹の底から鳴くウシガエルであった。陽は昇り始めた。もう水辺ではトンボの競演が始まっていた。

多様なイトトンボから、サナエトンボ・シオカラトンボ・ムカシトンボ・ハッチョウトンボ・・・おや、ちょっと待てよ!「なんだ、あのひらひらと飛ぶトンボは?」よしおは心穏やかではなかった。まるで蝶そのものではないか?幅広の真っ黒な羽、体中に黒味を帯びた蝶に似た姿、こんなトンボがいるのか。


 翌日、よしおは捕虫網を手にした。

あの蝶のような羽を持つトンボを自分の手で捉え、羽を実際に広げて見てみたい。その羽がどうなっているのか、近くで確かめたい。もう夢中になっていた。

 だが、よしおは祖父からやかましいほど「絶滅危惧種の生物や環境保全を守ることは現代に生きる人間の任務である。世界文化遺産にも指定されている深泥池の自然は、人類の宝庫であり、生物の一木一草、生き物の一匹たりとも捕ってはならぬ。」という深泥池での誓約があることを、何度も聞かされていたのだった。


よしおはそのことを百も承知していたが、虫取り網を手にせずにはおられなかった。


 このチョウトンボとくれば、普段は「ヒラリ、ヒラリ」と人を誘い込むような調子で飛ぶくせに、一度危機と悟ればその身軽なこと、子どもの網を振る感覚にはるかおよばぬスピードと身軽さで身をかわすのである。簡単に網を潜り抜け、網の柄の長さが届かぬところで、チョウトンボはそしらぬ顔をして、空中でホバリングしてくつろいでいる様子だった。たまらぬよしおは、チョウトンボごときに翻弄され、怒りがこみあげて来るのだった。次から次へ網は空を舞うのであった。




 その年の秋のことだ。

それは大きな台風の襲来だった。この台風はいつものコースとは全く異なり、伊勢湾から京都に向かい込むという逆進路を辿った。しかも並はずれの大型に成長し、京都の上空で荒れ出し深泥池近くの京都植物園でも樹齢百年近くの大木を根元からなぎ倒したり、見事に大木の幹を梢から半分近くを折り曲げて無残な姿をいたる処に残していった。


 そして、平穏な深泥池に大きな不幸が起きた。

不気味さと恐ろしさに変わり、鉛色一色に変貌した深泥池は、不気味な波が跳ね返り、萱や葦は鞭のような反動を左右に回転するごとく、休みなしに揺れ動いていた。







 トンボ達にも例外ではなかった。

 大海の波のように揺れる水面から飛び出した水草の裏に、かろうじてしがみ着いていたチョウトンボや小さなムカシトンボたちも、どんどん吹きおこる大風に巻き上げられてしまった。まるで紙屑のように翻弄されて回転しながら、とうとう隣りの大阪まで飛ばされてしまった。

 風が収まりかけると、淀川のそばにある小学校の屋上にあるプールに舞い落ちたのだ。

 

 それは奇跡に近いできごとだった。

他のトンボたちに比べ身軽で均衡が取れた体型のムカシトンボが、幸運にも生き残り、その数匹が死の飛行を試みた結果、成功したのだ。

 残念なことに、チョウトンボは持ち前の体の構造から、途中の乱気流や厳しい風速に耐え切れず、幅広な羽が災いとなり、まともに風を受けて壁やコンクリートもしくは樹木に体を打ち付けて死んでしまったことだろう。          

 それに比べ体が小ぶりで、身軽なムカシトンボだけが大苦難をくぐりぬけ、無事にプールまでたどり着けたと言うことだ。






 さてここで、ムカシトンボという名前の由来だが、このトンボの発生の歴史は古く「陸のシーラカンス」とも称されるトンボで、体の大きさではイトトンボやサナエトンボの間くらいで、出現は古く氷河期時代から生息していたらしい。

 

 それが一つのつむじ曲がりの台風によって、京都に住むトンボが飛ばされて大阪の小学校の屋上プールに辿り着いたという話である。

 その小学校では生き物係が、夏が終わる頃に藁を束ねて浮島とし、プールの真ん中にいくつか浮かべて置かれていた。そこへ産卵し、育ったヤゴが成長するのに適した環境を備える訳だった。

 

 翌年の初夏が来た。学校もプール開きの時期となった。一年間溜めて放置されたプールの水抜きの時だ、清掃担当となる4年生達がそれぞれに、思いおもいの網やザルなどで、プールに住み着いたトンボのヤゴを救出する作戦だ。

 捕まえたヤゴは市の浄水場に集められ、トンボの貯水池に、各校から送られて来たトンボ達と一緒に育てたのだ。当然その中に、生き残ったムカシトンボのヤゴもいしょに混入された。

 当然だろうが、残念なことに、その池の中には自分と同種の仲間を見出すことはできなかった。ムカシトンボの体はもう既に大人となった。

 焦り始めた。この秋までに結婚相手を探し、産卵して子孫を残さないといけないからだ。







 その年の夏が過ぎる頃、また強い風と激しい雨が降る季節となった。

そうだ、また台風が襲って来たのだ。

 

 ムカシトンボはまた台風に飲み込まれることになった。

そこでまた、奇跡が起きることになった。

 今年の台風の進路は例年の沖縄付近から発生し、偏西風に従って西から東へ向かう通例のコースだった。ムカシトンボはこの台風に巻き込まれてしまった。

 強風に弄ばれながら大阪から京都に向かうことになった。途中なんだか不思議な気がした。どこか異様に懐かしさを思わす京都の空にさしかかった時のことだった。

 あれッ、この香りは? 

そうだ! きっとこれは生まれた故郷の香りだ!ここがぼくらの生まれたはずの「深泥池」なんだ。

 そこへ風は見事に導き、帰還を遂げさせていったのだ。


 信じられるだろうか、こんなことが? 何も知らない小さな子孫が、大冒険飛行を成し遂げたのだ。小柄なムカシトンボが世代に亘って不思議な大飛行を完結したのだ。ムカシトンボは台風の中で激しく弄ばれながら、幸いにも深泥池の上空まで運ばれて来た。

 そこには、不思議な勘が働いた。トンボにはとてもやさしく、なつかしい匂いを感じた。「ここだ!きっと、ここなんだ!」ムカシトンボは台風の大きなうねりを潜り抜け、下へ、下へ下降して行った。そこで決意し、次の突風に身を委ねてダイブした。幸運にも強風でなぎ倒されそうに揺れているヨシの茎にしがみつくことができた。その池が、母が生まれ育った「深泥池」、そこへ無事に戻れたのだ。


 




 翌朝には台風は去り何事も無かったように、いつもの静かな深泥池があった。

深泥池のトンボたちは台風の間にはどこに潜んでいたのか、やがていつものように寄合って、たくさんのトンボが飛び交い始めた。

それを見守るように、深泥池はいつもの静寂を取り戻していた。

太古の眠りにふさわしい姿だった。

近所のおばさんが、犬を連れて散歩していた。






  みんな、静かに深泥池を訪れてみよう。


 そして、そっと初夏のトンボが飛び交う姿に見とれてみよう。

すると、時間を忘れて吸い込まれるように

寡黙な池の語りが、君に夢の続きを誘ってくれるだろう。


                                                  



               完







(*登場する「ムカシトンボ」は誤りで、正しくは、「ムカシヤンマ」の事であった。

 訂正させていただきます。)



命が輪廻する

毎日の我々の身の周りに

太古の日々をを揺るがしながら

静かに営みを続ける

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