1:アイヴォリー家の謀反:その8『世界の凍る音』
「キングズ・キーパー、エマ・フレイトナー万歳!」
「キングズ・キーパー、エマ・フレイトナー万歳!」
大音声で我に返ったエマ。
慌てて周囲を見渡すと、玉座の間にいることに気付いた。
正面には笑顔の戦王、隣にはご機嫌な様子でノアルを抱くエイリス、そして親指を立てているハイペリオン。
状況からして、叙任式まで戻ってきたようだった。
――私、確かイゾルデにナイフで刺されて……。
死んだときのことを思い出した時、腹部を刺された時の様子がフラッシュバックした。
「……うっ」
思わず呻いた。
腹を裂かれたときの感覚に吐き気を覚え、立ち眩みがしたのだ。
エイリスが
「大丈夫か妻よ。具合が悪いみたいだな」
と背中を擦って心配してくれた。
まずいとエマは思った。
そう、このままゲームが進行すると『ノアルはイゾルデによってアンデッドにされ、そして激怒したエイリスはイゾルデを殺してしまう。
そればかりか、彼女は世界さえ凍らせてしまう。
彼女はそのぐらいノアルを愛しているのだ』。
エマは考えた。
何を変えれば、あの状況を――ノアルの死を回避できるか。発端は確か……。
――アイヴォリー家のハリード!
――そう、彼がノアルをさらってイゾルデに渡したから!
イゾルデは言っていた。
『バカ王子に、こっそり捕まえてくるよう命じた』と。
それは間違いなく、アイヴォリー家の次期当主にして現王子のハリードのことだ。
エマは自分に拍手している元・騎士見習いの者達から彼を見つけ、大きな声を叫んだ。
「その者を捕えて下さい! アイヴォリー家の王子ハリードは反逆者です!」
城内はシンとなった。
急に何を言っているんだ、という様子だった。
何の説明もなく急に叫んだのは迂闊だったとエマは焦ったが、
しかし、まるで聖職者に正体を見破られた悪魔がそうするかのように、弁明一つなく彼は入口に向けて駆け出した。
「捕えて!!」
エマが叫ぶと、入り口付近にいた衛兵が彼を捕まえ、拘束した。
「離せ! 離せクソ! とんでもない濡れ衣だ! いいや侮辱だ! 俺はアイヴォリー家の次期当主でキングズ・キーパーの一人だぞ!」
「いかにもです。しかし同じキングズ・キーパー・エマ殿から反逆者としていま告訴があった」
声をあげたのはマイスター・レイヴンだった。
「これが事実無根かどうか、それは裁判で明らかになります。もちろん、貴方の言う通りならエマ殿はアイヴォリー家の名誉を汚したとして重罪に処されるでしょう。……衛兵、丁重にお連れしろ」
藻掻くハリードはその両脇を抱えられたまま、玉座の間から出て行った。
「さて、エマよ。ことの重大さは分かっているな」
王マーカスから笑顔が消えていた。
それどころか、むしろ責めるような目で見ている。
「神聖なキングズ・キーパーの叙任式を中断し、のみならずアイヴォリー家の次期当主を反逆者として告訴したのだ。その根拠を話せ」
エマは迷った。
ノアルさえ死なずに済むなら、アイヴォリー家と戦争になっても最悪の辞退は免れられる。
そしてその為に、ノアルをさらうつもりだったハリードを反逆者として訴えたのだ。
そしたら当然、このように王から根拠を問われるだろう。
もちろん根拠を示すのは簡単だ。
しかし、それを答えてゲームの進行を、『アイヴォリー家の謀叛』をも未然に阻止してしまったら……。
「どうしたエマよ? まさか根拠もなしの狂言だったと言うつもりではあるまいな?」
王の詰問に、迷っている暇はないとエマは思った。
このまま黙っていれば、自分の身が危ない。
「王陛下。今すぐ王国近隣都市を調査してください。そこにアイヴォリー家の伏兵が大勢います。そして商人たちの蔵を残らず調べて下さい。彼らの武器と馬、そして分解された攻城兵器が見つかるでしょう。そして何より、アイヴォリー家は騎馬だけではなく、ブラックドラゴン・イゾルデを従えて、アンデッド兵を使って襲ってきます」
見て来たことをエマが予言のように言い放つと、玉座の間がどよめいた。
傍らのエイリスもその言葉には一瞬目を見開いたが、彼女は冷静さを取り戻すように頭を振った。
「あとで色々聞きたいことがあるが、今はエマを信じる。妻よ、私に頼れること何かあるか?」
そう問われて、エマはすかさず
「ノアルから絶対に目を離さないで。何があっても」
と言って彼女を抱き締めた。
すると戸惑ながらも、エイリスは
「分かった。当分は、このままずっと抱いておくとしようか」と答えた。
彼女の胸元でニャアともう一つの返事がする。
良かったとエマは安堵した。
少なくとも、これであの悲劇は回避できるはずなのだ。
あとは、ゲームの進行次第。
騒然となった玉座の間で、エマは
『どうかお願い。うまくいって』
と祈りながら目を閉じた。
*
……マ。エマ。
頭が鉛のように重く、意識には霞がかかっている。
横たわる私に膝枕をして、頭を抱き寄せながら泣いている、この子はいったい誰なのだろうか。
それを尋ねようと開いた口は
「ア・ア・ア」
と、まるでゾンビのように罅割れた音しか発せない。
それにしても、ここはどこだろうと、
見回すために首を捻ると、
ギリリと骨の軋む音が鳴った。
濁った眼は曖昧にしか景色を見せないが、煌びやかだから玉座の間だと、すぐに分かった。
でも、そこに騎士や貴族はいなくて、ただたくさんの死体が転がっていた。
兵士たちの死体だ。
顔の潰れた女の子も見える。
綺麗な黒髪が血塗れで台無しだと思った。
そして死んでいるのに、大事そうに本を抱いている。
そうだ、私、エマだ。
走馬灯が自分の名前を教えてくれた。
あの後、モニカ姫の密偵が私の告訴を裏付ける証拠を見つけたから、ハリードは処刑され、晒し首になって城壁に飾られたのだ。
それを知ったアイヴォリー家の当主は半狂乱になり、イゾルデに『死者の書』を渡して『王国の全てをアンデッド兵に変えろ』と命じたそうだ。
その威力は絶大で、王国はあっという間に死者の国になった。
もちろん、ノアルもそうだ。
身体の小さいノアルは、すぐにアンデッドになった。
エイリスは必死になって私だけは救おうとしてくれたけど、どの氷魔法も私のアンデッド化を防ぐことはできなかった。
出来たのは、死なない程度に身体を凍らせて、アンデッド化を遅らせることだけだった。
そんなところに嬉々としてやってきたイゾルデは、「お姉さま」と一声を発した直後に、エイリスに全力で顔を殴られ、トマトのように潰されたのだ。
「ア・ア・ア」と、声を漏らしたエマに、
エイリスは笑顔で、しかし涙を溢しながら頷いた。
「大丈夫だエマ。大丈夫。なにも心配しなくていい。お前を一人にはしない。……さぁ、そろそろ眠ろうか。一緒に」
静かに優しく、しかし確かに、エマは世界の凍る音を聞いた。