4C:災王ルート(プレビュー版)その24
クィンダムに配された鐘の全てが撤退を命じる。鳴り響く荘厳な音色を耳にした兵士たちはその意図が理解できなかった。この戦いは魔物襲来に対する女王都防衛戦なのだ。撤退とは女王都への退却を意味し、退却はすなわち防衛失敗を――敗北を意味する。魔物に対する籠城戦が有りえないのは先の主要地方壊滅からも明らかだ。コボルトの脚力は高壁を軽々と超え、ゴブリンの腕力は石壁を容易に砕く。そればかりか、空を往くハーピーやワイバーンにとって城壁は無きに等しく、地中を進むサンドワームにとって城門は意味をなさない。女王国軍が退こうものなら、その牙と爪はすぐに女王国民へ届くだろう。まだ戦いは始まったばかりだと言うのに、どういうことなのか。
――災厄認定魔女が出陣るのか。
女王国軍の先頭に立ちながらも全軍の総指揮を務めるハイペリオンは、名剣キングズ・キーパーで血風を巻き上げながら撤退戦を命じる。
「重装騎兵は私と共に前に出て兵士たちの撤退を援護しろ! 鎧の厚みが城門に引けを取らんと見せてやれ! 長槍兵は重装騎兵を盾に魔物をけん制しろ!」
守護騎士の怒号に応えて進み出でたのは、まるで神話のゴーレムを彷彿させる岩のような騎士達だった。彼らは地響きさえ鳴らしながら戦線まで前進すると横一文字に整列し、その身を以て動く盾と化す。そこへ真っ先に殺到してきたのはコボルトだった。いかに強靭とは言え所詮は餌食たる人である。身の程知らずを肉片に散らしてやろうと目を血走らせていた。災王による呪いめいた恐慌によって暴走する俊足の亜人らは、かつてアイヴォリーの民達を切り裂いた爪で重装騎兵へ襲い掛かる。切り裂き魔のナイフのように鋭い一撃が閃く。しかしその尖端は、重厚な鎧に弾かれて火花を散らすのみだった。
想定外の強度に瞠目する獣たち。
そしてその代償は戦槌による一撃だった。
が、クィンダムの精兵たる重装騎兵の一振りといえど、俊足のコボルトにとっては鈍重な一撃である。目を閉じていても回避できる攻撃だった。しかし彼らはそこへ自ら飛び込んでいたのだ。重く正確な一振りはコボルトたちの頭骨を粉砕し、砂塵には脳漿と血飛沫が入り混じった。もしも戦場を俯瞰すれば、コボルトの大群が造る黄金色の津波が重装騎兵たちの黒い消波壁に砕かれ、薄紅の飛沫を散らしているかのように見えただろう。
そして黄金色の津波に続く第二波はより重厚であり、深い緑色を帯びていた。
ゴブリンたちの群れだった。
彼らはコボルトのような俊足こそなかったが、その剛力は重装騎兵にさえ致命傷を与え得る。彼らは北のフレイトナーの城壁を砕き、狩猟者たちを皆殺しにしたその腕力で戦斧を振り上げ、重装騎兵たちに襲い掛かった。
しかし、その戦斧が届くことはなかった。
狙いを定めた重装騎兵たち、彼らの握る戦槌やゴブリンらの振り上げる戦斧の間合いよりも遠くから、突如として眼前にきらめいたのは長槍の切っ先だった。それらは踏み止まるには遅すぎたゴブリンらの顎や腹を深々と貫いていく。
ゴブリンたちの群れは次々と串刺しとなり、重装騎兵たちに掠り傷さえ負わせられなかった。彼らの背後にいた槍兵たちはただ、重装騎兵の脇に立てかけた長槍をゴブリンの殺到に合わせて寝かせ、片側を地に付けたに過ぎない。こんな見え透いた戦術は人相手には通用しないだろう。しかし相手は知恵無き魔物なのだ。まして暴走状態にあるとすれば『かかる』と見たハイペリオンの読みが的中ったのだ。
踏み止まれたゴブリンにも幸運はなかった。彼らは態勢を整える前に重装騎兵の正確な一撃を受けて崩れ落ちていく。撃ち抜かれたのは贅肉しかない喉仏か、あるいは頭蓋強度の低い鼻の上方だった。そうして濃緑色の津波もまた打ち砕かれた。秩序無き魔物の大群ならばひたすら脅威だったが、無知な秩序たる魔物の大軍ならば、百戦錬磨のハイペリオンには十分な策があったのだ。
――慣れぬことはするものではないな、『災王』とやら。
ハイペリオンは自軍を振り返る。
「全軍! 後方へ撤退! 弓兵部隊は援護しろ!」
怒号が飛ぶと、長槍兵と重装騎兵は陣形を維持したままじりじりと後退する。それを好機とばかりに殺到しかけた第三波――リザードマンらの前には、しかし弓兵が滝の如き矢雨を降らせてけん制した。地面を低く這いずる彼らにとって、天から降り注ぐ矢は正面から射かけられるより遥かに脅威だった。ただ威嚇ばかりの咆哮をあげる魔物と向き合いながら、女王国軍は着実に後退していく。そして四部隊に分かれた弓兵部隊たちは間断なく矢雨を降らせることで、リザードマンに襲撃の隙を与えなかった。
重装騎兵の守り、長槍兵の攻め、弓兵の援護、それらは単純ながらも、しかし陸から攻める魔物の牽制には効果的に機能していた。
ハイペリオンは戦況を見守りながらも、しかし圧倒的な制圧力で頭上を跳び過ぎていく『火竜』『弩砲』『竜穿弩』『投石器』たちの攻撃に一抹の不安を抱いていた。クィンダムの誇る兵器のどれ一つとして、女王国軍の撤退援護を行う余裕がないのだ。それら火力の全ては、まだ会敵していないワイバーンやサンドワームのような災害級の魔物へ注がれている。それらに追いつかれる前に撤退を完了させなければ、自分はいざ知らず多くの兵士達を失うことになるだろう。瀑布の如き火力が殺到する先へ目を眇めながらも、ハイペリオンは膠着状態にあるリザードマンを見極めていた。
――もしも今、ハーピーに来られたら厄介だな。




