4C:災王ルート(プレビュー版)その22
深夜にクロウの居室を訪ねて来たのは守護騎士長ハイペリオンだった。遅寝ながら早起きという不摂生が身に付いたクロウの生活習慣を知ってかは分からないが、断りも約束もなくフラリと訪れて良い時間帯ではない。彼を招き入れたクロウは文机から椅子を引き出して勧めながらも、何かの凶報を予感していた。
「こんな夜更けに申し訳ないが、話しておく機会は今しかない」
端的な切り出しに頷きながら、ああ、やはりかと思った。ここ数日に起きた八ヶ国を滅ぼし得るほどの惨事に対して、クィンダムの重職たる自分はマイスターとして向き合ってもクロウとして向き合う余裕などなかった。向き合えば当分は立ち上がれなくなると知っていたから。忙殺される仕事に我を忘れて没頭し、その疲労に救いさえ見出して、埋没していた。
――でも、この時が来てしまいました。
「……サー・ハイペリオン。私はマイスターという役職上、クィンダムの誰よりも早く女王都や地方の情報を正確に知ることができます。私が把握していない重要事項ということは、非公式な情報と考えても良いでしょうか」
言っておきながら、酷い予防線を張ったものだとクロウは自分が嫌になった。女王の盾たる守護騎士長が、わざわざ根も葉もない出鱈目な話をしに人目を忍んで来るものか。ハイペリオンはしかし、彼女の心情を察するように頷いてクロウの無礼へ同情を示したが、
「そうだと私も願っていた」
と、しかし彼は否定した。その気遣いからも、これから彼が話す内容が凶事であることは容易に察することができた。そして年齢以上に聡明に過ぎる彼女が、今にも泣き出さんばかりの面持ちで沈黙しているのを見て、ハイペリオンは真っ直ぐに伝えることにした。
「コボルトの襲撃でクロウ殿の御両親が亡くなられていた。お悔やみを申し上げる」
クロウは沈黙したまま、茫然としつつも言葉の受け止めを示すように何度も頷いた。頷きながらも、衝撃で真っ白になった思考が徐々に戻って来るにしたがって、目から溢れる涙は止めらなくなった。しかし、彼女が嗚咽の声を出すことはなかった。
目を閉じて深呼吸する。
それはアイヴォリーがコボルトに襲撃されたと知った時に覚悟し、イゾルデの報告を聞いた時点で理解していたつもりだった。クロウにとってアイヴォリーは自らを育んだ故郷であり、唯一甘えられる両親が暮らす場所であり、そして、いつかは恩返しをと心に決めていた生き甲斐だった。
孤児院で生を受けた彼女は、物心つく前に当時マイスターであったレイヴンから『クロウ』と名付けられ、その孫として引き取られていた。祖父の元で伸び伸びと育てられた彼女は、やがて祖父の書斎で『錬金術』の書に触れてから旺盛な知識欲を抱くようになり、レイヴンはそれに応えるようアイヴォリーの名門校へ入学させたのだ。
そして、孤児だったクロウには『両親』という存在も学ばせるべく、流行り病で娘を失った夫妻の元へ養子として宛がい、育てさせたのだ。愛娘を亡くして失意にあった彼らは、快活だったクロウに励まされると同時に、聡明で優しい彼女を実の娘のように愛し、そして育てくれた。
――いつか必ず御恩返しを致します。
クィンダムへ向けてアイヴォリーを出立する当日の朝、クロウは迎えの馬車に乗り込む前、見送りに街の入口まで来た両親へそう頭を下げたとき、彼らは彼女へ言ったのだ。
――私達こそ、貴方のような娘を持てて幸せだった。
――辛くなったらいつでも帰って来なさい。お前の家はここだから。
クロウはそのときの両親の笑顔を、一日も忘れたことがなかった。
「……ありがとうございます。災王によって苦しんでいるのは、私だけではないと理解しています。そして明日から始まる行軍でも少なからぬ犠牲者が出るでしょう。私は彼らの屍を踏み越えてでも、災王を解明しなくてはいけません」
クロウは淀みなくそう答えたが、その感情は今にも弾けてしまいそうだった。
「そうだな。だが死者への哀悼にも涙は必要だ。トリスタンにも同じことを言ってある」
ハイペリオンはそうとだけ言うと会釈し、クロウからの返答を待たずに彼女の居室を後にした。程なく、噛み殺したような泣き声が居室の内側に籠り始めた。
*
同深夜、トリスタンはクィンズガーデンの中庭をひとり散策していた。重要行事の前夜に眠れないのはいつものことだが、今夜はことさら落ちつかない。こんな時こそ体力の温存が不可欠だから、いつもの自分なら居室のベッドで横になり、目を閉じながら朝までじっとしているのだが、今はそれさえできなかった。ハイペリオンから両親が死んだと聞かされたのに、何も感じなかった自分が分からなくなったのだ。物心ついて以降、両親には今日まで一度も会ったことがないとは言え、それでも死ねば落ち込むと信じていた。しかしいざそうなってみれば、現実は自分にも家族がいたのだという事実に違和感しか覚えなかったのだ。
人の子であれば親がいるのは当然なのに、天涯孤独の自分には完全に他人事だった。だから八ヶ国の主要地方が魔物の襲撃を受けた時に、数字上の衝撃こそ受けたものの、血の通った悲しみの情が自分を揺さぶることはなかった。職務を的確にこなす為ならそれは悪くなかったが、人を束ねて導く者として正しいのかは分からない。誰かの為に泣いて、笑って、心を乱され、その上で施策するのが為政者ではないかと思う。
しかし一方で、自分は人の生死さえ数字として扱えるからこそ財務大臣に重用されたのかとも思う。ならどうして、自分をこの役職へ推薦した守護騎士長は「泣いておけ」と言ったのかが分からなくなる。
中庭中央にある噴水の縁に腰かけて、かじかんだ手に白い息を吹きかけて擦る。見上げた月は凍りそうな程に寒そうな青色だ。ハイペリオンはまだクィンダムは温暖な方だと言うが、彼をして極寒という北の地では、泳ぐ魚も凍っているんじゃないかと思う。
「……フレイトナーの冬は想像できませんね」
そんな独り言をつぶやいた時、彼はその出身であるメーナのことを思い返した。そしてまたもトクンと得体の知れない胸の高鳴りを覚える。トリスタンは胸に手を当てた。彼女を始めて見た時に覚えたこの不可解な衝動。その正体が知りたくて、医学に造詣が深いクロウにも相談をしたのだが、彼女から明快な解答は得られなかった。ただ顎に手を当て難しそうに考えるような素振りを見せたので、難治性の病かもしれないと思った。
ならばせめて助言をと求めたら、『その気持ちに向き合って、自分に正直でいるのは大切なことです』と、鋭い目つきと共に抽象的なことを言われた。具体的な療養法の指示がなかったので、自然治癒する病なのかとも聞いてみたが、『それは人によりけりです』と、またも要領の得ない解答が返ってきた。決して不快な衝動ではないのだが、仕事に必要な熱量を根こそぎ奪われてしまっていることを自覚したとき、放って置くのは不味いと判断したのだ。
いっそ明日の出立前に、メーナ本人に相談してみるという手はある。しかし逆の立場なら自分も困惑してしまうだろう。例えば『貴方のことを一日中考えて仕事が手に付かなくて困っている。胸が高鳴って仕方ないし、どうすればいいか』なんてことを、急に言われたらどうだろうか。兄のように慕っているハイペリオンにさえ、こんなことを打ち明けられたら困惑するだろう。
「また、馬鹿なことを考えてますね、僕は」
苦笑しながら視線を下げた時、目元が冷たく濡れていることに気付く。噴水の水面を確認するように見た時、鏡のように映った自分の顔は想像と真反対だった。泣いている。悲しげで、苦し気で、辛そうだった。
「そっか……。やっぱり、ボクも悲しいんですね。本当は」
取り留めのない考えを自分に強要し、感情に嘘をつき続けて来た。さもないと財務大臣という職責など到底全うできないと思った。一人一人の人生と顔を想像しながら、彼らの運命を天秤にかけてクィンダムの施策を立案して執行するなど、とても自分に耐えられなかった。だから彼らを数字に変えていく内に、いつしか自分さえも数字で測る様になっていた。そんな冷たい安らぎへの逃避を教えてくれたのが、『機械学』だったのだ。
「本当に僕は泣いてしまって良いんでしょうか、ハイペリオンさん」
知りもしない両親の死は、だからこそトリスタンにとって辛かったのだ。天涯孤独だと自覚しつつも、しかし自分のルーツは確かに存在するという根拠なき自信があった。そしてその根拠なき自信こそが未知の両親であり、そして今日、それを確かめる術は永遠に失われてしまった。これで本当に自分は孤独になったのだという実感が、涙となって込み上げてきたのだ。
両親への哀悼ではなく、自身の孤独を理由に泣くことが、酷く薄情のような気がした。しかし彼は涙を止められなかった。水面に写る自分の感情と向き合いながら、その夜はひとり静かに涙を溢し続けた。




