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4C:災王ルート(プレビュー版)その20

「メルセデス・ブランカーセ。『禁書封印図書館(バビロン)』を(ねぐら)とした禁忌認定魔女(ドラゴン・スレイヤー)。通称は『魔女を殺す魔女』。蔑称は『白痴のメル』。あまねく魔法から神秘と権威を剝奪し、技術と科学に貶め、その再現法を膨大な書物に記して冒涜し、魔力を持たぬ者にさえ魔法行使を可能とした――技術者(メカニック)。か」


 クィンズガーデンの研究室で、クロウは、粗末だが手入れの行き届いた文机で一冊の書を開いている。いま目を通しているのは、祖父マイスター・レイヴンが記した戦史『魔女を殺す魔女――ドラゴンスレイヤー』の最後に記された主要人物の欄だ。


 彼女は人差し指でメルセデスの欄をなぞって目を細める。いったい何度、祖父に彼女のことを尋ねただろうか。『興味が尽きんな』と笑われるたび、脅威への理解を深めたいと言い張ったが、少なからぬ憧憬の念があったことは見透かされていただろう。クィンダムが禁忌認定した存在に憧れるなど、女王の相談役たるマイスターにあってはならないことだが、しかし無理もないと自分で思っている。魔力も剣技も軍も持たない技術者が、ただ知識のみを武器に災厄認定魔女と王国軍の全てを相手取って死闘を演じたのだ。その活躍は英雄譚を超えて、もはや神話的でさえある。


 ――でも、メルセデスには心がなかった。


『全てが知識の保存に優先され、その先に訪れる八ヵ国の破滅さえも通過点であり、記録すべき結果に過ぎない』。


 レイヴン曰く、メルセデスはあの戦いの前にそう言い切ったらしい。彼女は観測して記録し、保存して継承する者。『竜牙の塔』を自称するブランカーセの者達が、禁忌無き探求を永延と続け、『禁書封印図書館(バビロン)』の蔵書を増やしてきたように、その末裔たる彼女もそうするのだと。


「アイスドラゴン公やブラックドラゴン公が言ったように、災王が『病魔』にしろ『呪詛』にしろ、再現可能な何かであるなら確かにそれは『技術』です。であるなら、やっぱり禁書封印図書館(バビロン)は無関係ではない。……筋は通っています。でも」


 メルセデスは『災王』の実行者ではない。クロウはそう確信していた。技術的な面で言うなら彼女が最も成し得るのだろうが、動機の意味で最も遠いのもまた彼女なのだ。禁書封印図書館(バビロン)に籠って永延と蔵書を増やし続けるメルセデスは、言うなれば『記録する機械』だ。その本質は観測者であり実行者ではない。それは先の大戦で、先王マーカスが一命を失ってまで獲得した揺るぎなき結論なのだ。クィンダムは愚か八ヶ国の全てを焦土や凍土に変え得る禁断魔法を無数に所有しながら、しかし旧王国との和平も禁書封印図書館(バビロン)の空け渡しも拒否し続け、ついに戦いへと至った彼女。しかしその彼女が『記録と分析が全てであり、実行に関心がない』と旧王国は理解したからこそ、和平ではなく不干渉で終戦したのだ。


 ――それは根拠にならない、と言われたら返す言葉はありませんが。


 ただ、クロウは一人の学者として彼女の考えは理解できるのだ。それは純粋な刀工ほど剣士にならないのと同じ理屈だ。余人がいくら『あれ程の名剣を鍛えたなら一人ぐらい斬りたくもなるだろう』と騒ごうが関係ない。刀工は純粋であればあるほど、剣の使用者や用途など気にせず、一振りの洗練にこそ全霊を捧げるものだ。もっと鋭く、もっと美しくと。そこには果てがない。やがて刀工の工房には、全人類を殺戮せしめる程の剣が揃ってしまう。だがそれさえ通過点だ。しかしそうなれば人の王は無視できない。故に王は言うのだ。『我々と和平を結ぶか、工房を引き渡せ』と。そして剣に取り付かれた刀工は目を血走らせて答える。『私に構うな、殺すぞ』と。メルセデスとマーカスの関係を端的に表せばこうだった。


 だから。


 ――メルセデスは『災王』という『技術』を持っているかもしれない。だとしても、実行者は別にいる。なぜなら彼女は、純粋な『技術者』だから。


 それがクロウの出した結論だ。書物を閉じて息をつき、乾燥した目を労わる様にこめかみを揉む。文机に置いた懐中時計を見ればもう星の刻を過ぎていた。明日は早朝から守護騎士長ハイペリオン率いる女王国軍に同伴して、『災王』の医学的解明を目的とした魔物の生け捕り作戦が始まる。


「そろそろ休みましょう」


 椅子から立ち上がって寝支度を整えようとしたとき、窓の外に明かりを認めた。誰だろうかとクィンズガーデンの中庭を覗けば、眼下には確かに人影が佇んでいる。彼女は目を凝らす。すると、軽装のハイペリオンがランプを手に会釈をする様子が見てとれた。



 嘘か真か誰も知り得ない。しかしブランカーセの言い伝えに寄れば、『禁書封印図書館(バビロン)』と呼ばれるこの白き巨塔は、星を喰らう巨竜から抜け落ちた最小の牙を、古の神がくり抜いて建造したのだという。その頂上を見上げれば果てはなく、先は遥か遠くで雲に霞んでいる。そして周囲を一回りすれば半日がかかるかもしれない。もしも塔の表面に触れたなら、掌には生暖かい象牙質の感触が伝わるだろう。少なくとも材質が石や木でないことは明らかだ。ならばやはり、これは竜の牙で出来ているのだろうか。


「……どうして、こんな顔をするのかしら」


 何処かで女の声がしたが、その場所も時間も分からない。塔の中は神代の魔法で時空が乱されている。それは書物として情報化された無数の魔法が互いに干渉を起こさないために、古いブランカーセの学者が施した配慮だった。もちろん弊害も多い。明日に割れる花瓶の破片を昨日に掃除したり、階段を降りながら掃き掃除していたら一階上に昇っていた、なんてことは、ここで給仕を行う者達にとって当たり前のように起きている。


 塔の構造は吹き抜けで、内壁には歩かせる気のない螺旋階段が張り付いている。それは果て無く頂上へと渦巻き、途方もない高さのせいで中心は消失点となって見えすらしない。やはり人造の建物ではないのだろう。しかし彼女――メルセデスは、そんな面倒な手段で昇り降りしない。一階で一番手近なドアを開けば、そこが目的地に通じているのだ。


 霧が立ち込め、白く、そしてひたすら広い空間、その中心にアンティークな車椅子が一つ。


 中へ沈み込むように腰かけているのは、羽根飾りのついた帽子を目深に被った何者か。一見すると喪服のようなゴシックドレスを纏った人形にも見える。しかしその人形は膝上に置いた禁書のページをめくり、眩い橙色の瞳を忙しく動かして、記された世界の禁忌を貪欲に吸収している。


 書かれているのはブランカーセが神の叡智や魔法を人の技術として翻訳するために編み出した天啓文字だ。天啓文字はブランカーセにとって最大の財産であり、その表現力は『人一人の一生』を余さずたったの一文字で表せる程だった。無論、そんな情報密度で書かれた天啓文字を常人が解読したなら、数文字で思考の許容量を超えて廃人となってしまうだろう。それを彼女はいま、分厚い一冊にみっしりと書き込まれた量の天啓文字を一息に読み終えようとしていた。


 この彼女こそ、魔女を殺す魔女としてクィンダムから禁忌認定を受けた『禁書封印図書館(バビロン)』の主、メルセデス・ブランカーセだった。衣装や身体つきから女性であることは分かるが、素肌は顔を含めて包帯に覆われているため、表情や年齢は一切分からない。彼女はページをめくる手を慎重に動かす。先の戦いでブラックドラゴンから受けた死霊術の後遺症で、加減を間違えると手首から先が腐り落ちてしまうのだ。身体は日々アンデッド化が進行しているため、やがて脳をもやられて前後不覚になってしまうことだろう。しかし、時間と空間の歪んだここにいる限り、そしてここから出るつもりもないメルセデスにとって、それはさして大きな問題ではなかった。明日死ぬと言うなら昨日を生きれば良いのだから。


「ねえ、アルル。ここにいるんでしょ?」


 メルセデスが書から目を離さずに呼びかけると、霧から滲み出るようにして傍に現れたのは、エプロンドレスを纏った一人の少女だ。黒い瞳や髪の色から判ずるなら、クィンダムでドラゴン達を束ねる運命竜と出身は同じ。恐らく異界だろう。そして給仕には不要なほど鍛え抜かれた身体は、ともすれば武闘家を彷彿とさせた。しかし自分が何者かなど、アルルと呼ばれた少女にとって重要ではなかった。今の彼女にとって過去など存在せず、今この瞬間の平穏こそが全てなのだから。


「白痴のお嬢様、ご用件は?」


 姿勢を正し、手を身体の前で行儀よく合せて尋ねる彼女に、メルセデスは応じる。


「お腹空いたから、明日までに何か作って用意しておいて。昨日には食べておくから」


「……かしこまりました」


 アルルは短く答えてお辞儀をすると、再び霧へ溶けるように姿を消す。程なく、メルセデスの腹部辺りが微かに膨れる。彼女は手を当てて想像する。このもたれるような感覚、アルルが作ろうとしているのはきっと肉のたくさん入ったシチューに違いないと。いま彼女には食べた事実だけが存在しており、それを確定させるための食事は明日に行うつもりだ。時間の歪んだ世界で因果関係が逆転するのは珍しいことではない。


「……それで、こういう顔をするのね」


 メルセデスは呟きながら禁書を閉じる。表紙に書かれた一つの天啓文字が示すのは、恐慌状態に陥った魔物達の暴走によって八ヶ国の主要地方が壊滅し、そして彼らもまたクィンダムのドラゴン達によって報復がなされて破滅し、やがて二頭のドラゴンが原因を尋ねにここまで訪れ、そして何がおきるのか、だ。そんな神にしか知り得ない『未来』をこの禁書は表紙の一文字のみで明確に示していた。


「彼女たちのいう『災王』を執行したのがクィンダムの側近だと知った時、あの運命竜は、それでこんな顔をするのね」


 どこから取り出したのかは定かでないが、メルセデスは手鏡を持って自身の顔を写す。包帯に覆われたその顔からは、しかし何も読み取れなかった。彼女は腐敗した右手を見つめる。もうこの手は何も記録することはないだろう。世界は正しく終わりを迎えるから、未来は閉じてしまうのだ。残された役目は『そこ』までを観測するだけ。


――もう世界修正者(デバッガー)に成せることはない。


「ねぇ、運命竜(エマ)。貴方はアルルを見ても『災王(かいほう)』を否定するのかしら」


 メルセデスは呟いたが、その声が何時何処で響くのかは、まだ彼女自身にも分からなかった。


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