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4C:災王ルート(プレビュー版)その19

 クィンズガーデンの財務大臣室にて、椅子に浅く腰かけたトリスタンは羽根ペンを片手に女王都と主要地方の最新情報整理をしつつ、算盤(アバカス)の珠を動かしては唸っている。珠の配置で数字を示すこの計算機がいま彼に突き付けているのは、クィンダムの抱える複雑な内政問題だ。日を追うごとにクィンダムに増える難民、主要地方の再建に出兵していく兵士達、地方の再建と要塞化に必要な石材に木材、そして人材。数日前まで、それら全ては王国金貨に換算して計算することができた。


 しかし魔物達によって八ヵ国の主要地方が瞬く間に壊滅状態となったいま、経済というその計算式が歪み始めているのだ。この状況が続けば程なく飢饉に陥る地方が出るだろう。そうなれば『金貨は食えないが小麦は食える』という現実が経済を破綻させる。王国金貨の価値はクィンダムへの信用で成立しているのだ。故にそれを損なってはならない。その為に求められた喫緊の課題は『魔物への報復』『地方の再建』『難民の保護』の三つだった。


 トリスタンは筆を休めると、マイスター・クロウからもらった手紙の写しを手に取って眺めた。そこに記されている内容は、『魔物への報復』をわずか数日で成し遂げた災厄認定魔女たちの戦果だ。王国の伝書鳩たちは今、モニカ女王によって封蠟されたこの内容を喧伝すべく八ヶ国に向け飛び立っている。


 ――『封じられしドラゴン、牙を剥かば』というところですか。


 課題の一つが瞬く間に解決だ。トリスタンは改めて認識する。王国金貨の信用は、その半分以上を災厄認定魔女たちが担っているのだと。先王マーカス亡きあと、彼女達の存在は早くもおとぎ話や戒めとして風化を始め、最近では戦史の活躍も尾ひれのついた噂話と貶める者が出始めていた。この手紙は、それを払拭するに十分な内容と言って良いだろう。トリスタン自身どこか彼女たちに対して半信半疑であったのだが、今や確信している。


 ――生ける災厄の力は本物だった。


 と。そして今なおクィンダムが強気で王国金貨を発行し続けられる最大の理由がこれだ。一夜で壊滅した主要地方という大惨事を挽回しうるだけの、迅速かつ完全なドラゴンによる報復。


「モニカ女王陛下は、マイスター・クロウでさえ取り乱していたあの場でここまで予見し、災厄認定魔女による報復を即断してしまわれた。本当にすごいお方です」


 結論を独り言で呟いたところで、扉でノックの音が三度鳴る。「どうぞ」と返事をすると、入ってきたのは一人の守護騎士と一人の少女だった。妙な取り合わせだと感じながら立ち上がって会釈をすれば、守護騎士も会釈を返し、背筋を正して口上を述べ始めた。


「トリスタン公、守護騎士のクレイトです。そしてこちらはフレイトナーのレディ・メーナです」


「トリスタン公、初めまして。メーナ・フレイトナーです。お見知りおきを」


 そして、少女の会釈はレディというより兵士や騎士のそれだった。

「サー・クレイト、レディ・メーナ。初めまして。財務大臣のトリスタンです」


 貴族の礼を返す。財務大臣――自分で言っておきながら仰々しい挨拶だとトリスタンが思ったとき、ふと目に留めたメーナという少女から目が離せなくなった。そればかりか、身体が固まってしまった。


 ――何だろうか。


 まるで金縛りのようだった。耳に入る声が籠ったように聞こえ、目が我知らず大きく開いていく。


 その秘密を探るように彼女の全身を目で追ってしまう。一見華奢だが、しかしよく見れば洗練された筋肉が着いている。髪は鴉羽根のように黒く、流れるようだ。引き結んだ口元は力強い。なにより、瞳だ。冷静さの中に熱を感じさせる。


 それはとても奇妙な感覚だった。初めての感覚ではなかったが、人には抱いたことのない感覚だ。それは機械学で連射式クロスボウのメカニズムを初めて知って興奮した時や、火薬式破城槌の激発力の秘密に触れて感動した時に起きた感覚。美しい摂理に触れた時に感じた高揚感。強い胸の高鳴り。一体この感情は何だろうか。それはとても簡単に表現できそうで、でも語るなら羽根ペンを何本も折らなければならないような……。


「好きだ」


「はい? ……あの、トリスタン公?」


 時間が飛んでいた。


 クレイトもメーナも珍妙な表情で自分を見つめていることに気付いたトリスタンは、自身の発した意味不明な呟きも相まって顔が焼けるほど赤面してしまう。


「あの、お加減が悪いのでしょうか? こんなときに不躾なお願いだとは思うのですが、どうしても急ぎの事情で……。結局、弓兵試験のために『雪兎狩りの大弓』はお借りして良いのでしょうか?」


 トリスタンは即座に状況を飲み込んだ。


「は、はい! えっと。はい! 喜んで! ぜひお使いくださいレディ・メーナ」


 ほとんど勢いで答えてしまったトリスタン。それにメーナの表情が輝いた。


「ありがとうございますトリスタン公! 必ずクィンダムのお役に立ちます!」


 彼女の弾けるような笑顔を目の当たりにして彼が受けた衝撃は、不覚ながら先まで悩んでいたクィンダムの内政問題をすっかり忘れてしまう程だった。胸に沸き上がってきた衝動の意味を理解できない彼は、ただ迅速に行動することで発散を試みる。すぐさま執務机の上に登ると「トリスタン公! 無茶をなさらず!」というクレイトの静止も耳に入らず、彼はその身の丈を超える大弓と矢を慎重に壁から外す。


 ――弦の状態良好。滑車の嚙み合わせと注油状況よし。


 目視による簡易検査を行ったのち、机からそろりと降りるとメーナの元へ駆け寄った。近付くほど高鳴る胸の鼓動にさえ気付かない程、トリスタンには彼女しか見えていなかった。


「レディ・メーナ。どうぞお使いください。フレイトナー地方へ石材を提供した折、その返礼として当主から譲り受けた逸品です。一日も手入れは怠っていません。造りは成人男性向けですから、メーナさんに合わせた調整も宜しければ僕が……」


「ありがとうございます、トリスタン公。でも、大丈夫です」


 メーナは言い切ってから大弓と矢を受け取ると、軽く具合を確かめてから頷く。そして鳥が小枝をついばむように矢を口へ咥えた。奇妙な所作だとクレイトが思っている傍で、メーナはその四重弦に四本の指を絡ませていく。トリスタンは緊張の面持ちで見守る。この弦はあまりに重く、彼が引くにはクロスボウ用の滑車を持ち出さねばならなかったし、力自慢の弓兵でも引くのが精一杯で、狙うなどは到底不可能と思われた。


 トリスタンは弓の機構(からくり)を分析することで、この四重弦には引く順序が重要だと分かったのだが、しかしそれを制御するには並外れた器用さが求められることも分かった。結局、弓兵が扱うなら専用器具の開発が必須であり、その費用対効果を考えるならクロスボウの改良に心血を注ぐ方が効率が良いと結論付けていた。これはそれほどの難物なのだ。


――そんなものを、本当に彼女は素手で引けるのか。


 いまトリスタンは知的好奇心の塊になっていた。


「ふぅ」とメーナが矢を咥えたまま息を吸う。


 そして彼女の四本の指は巧みな楽器奏者のように四重弦を操り始めた。すると滑車が何度も変速音をカシャカシャと鳴らしつつ、そして大弓は自らが自身をしならせるように曲がり、彼女はただ引手を添えるだけのような力みにも関わらず、弦が引かれていった。


 クレイトは思わず「これは」と感嘆の声をあげ、トリスタンは絶句した。まるで熟練のハープ奏者でも見ているような運指だった。一矢引くのに十数度は指を変えていただろう。こんな弓が有りえるのか。そして顔の傍まで引手が来た時、メーナは咥えていた矢を四重弦の交差点に宛がうよう引手に取り、『雪兎狩りの大弓』の構えを完成させる。それは守護騎士クレイトから見ても凛とした佇まいだった。


「……重装騎兵の兜はあれですか?」


 メーナの矢尻が向く先。そこには部屋の隅に装飾として飾られた重厚な鎧がある。軽い自失状態にあったトリスタンは「はい」とだけ答えた。まさか撃つ気なのか、とクレイトは焦燥したが、彼女は数秒間狙いを付けると再び複雑な運指によって四重弦を操り、カシャカシャと大弓の滑車を変速させながら弦を戻していった。静かに安堵するクレイトに対して、トリスタンは隠しもせずに溜息をついた。


「……良かったです。この弓の引力と矢速は測定済みですが、撃たれていれば兜だけじゃ済みませんでした。言ってみれば、個人携行のできる攻城兵器(バリスタ)です。……さきほどレディ・メーナから弓兵試験とお聞きしたように思うのですが、僕が決めるなら間違いなく合格です。なにかお墨付きが必要というなら僕が推薦しますよ。えっと、検査官はどなたですか?」


 羽根ペンを取りに戻るトリスタンへ満足げな表情を浮かべるメーナ。そして彼女に流し目をされたクレイトは、力強く頷いて応えた。


先週末に一時100ptを超えたので、感謝の気持ちを込めて隙間時間を縫って進めました。

現金でごめんなさい。次回は引き続き未定ですが、予告としては『魔女を殺す魔女』に遂に触れます。

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