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4C:災王ルート(プレビュー版)その16

 昼にあっても尚夜より暗い――そう忌避されるのが、ブラックドラゴン・イゾルデが塒とする黒竜塔だ。彼女がこの塔に居ついて以来、クィンダムで最も大きく変わったことと言えば罪人の処刑方法だった。先王の代では王マーカス自身が死刑を宣告後に巨剣『オーガスラッシュ』で首を刎ね、女王モニカの代ではギロチンによる断首が採用されていた。


 そして今、それはもっぱら黒竜塔で行われている。重罪を犯した者が小評議会による裁判で死刑を言い渡されると、彼らは目隠しのうえ黒竜塔へ差し出されるのだ。しかし果たして、その暗い塔内でどのような処刑が執行されているのか、それは女王都民はもちろんのこと、女王モニカでさえ知らぬことだ。ただ激減した犯罪率のみが喧伝されるばかりで、それに疑義を呈するような愚か者はクィンダムにいなかった。


 同夜、黒竜塔の二階奥には死体遺棄場と見紛うようなイゾルデの食堂がある。シャンデリアに暖炉に赤絨毯、そして刺繡の美しいテーブルクロスと金の食器類。それら豪奢な内装の全てを血反吐で台無しにするほど、至る所に魔物や人間たちの遺体が山積みされている。


 そしてテーブルに着いたイゾルデは寸暇を惜しむように、その小さな口に彼らの肉を詰め込み、咀嚼していた。死霊術師にとって死肉を喰らうのは入門の初歩であり、自らが使役する人形への供養と信頼でもある。死を生業とする彼女たちにとって、自身の腹以上の墓は存在しないのだ。


「旺盛な食欲ですね、イゾルデさん。黒魔法の修練とはいえ感服しますよ」


 場に不似合いな明るい声音で現れたのは、シードラゴンのメープルだった。イゾルデはちらっと一瞥だけすると、とくに迎えの挨拶もなく食事を再開する。この地獄のような空間を好奇心旺盛な庭雀のようにメープルは散策し、血濡れたキッチンキャビネットの中に赤ワインの入ったボトルを認めると、「いいものありますね」とグラス二つと共に取り出し、イゾルデの向かいに腰を落ち着けた。


 ワインは女王からの差し入れだろうが栓は開いていない。ブラックドラゴンはやはり下戸らしい、と彼女は思いつつボトルを開栓し、目を閉じて香りを楽しむ。


 そして開口一番である。


「……姉上は今日もエイリスさんと褥を共にしているようです」


 イソルデがむせた。


 げっほ、げっほ、げっほ、と生臭い咳をする彼女の心中を想像し、メープルはなおそれを微笑ましく思い ながら「小骨でも刺さりました?」ととぼけて見せる。


「メープルさん、人様の情事に首を突っ込むのは趣味がお悪いですわよ。お姉さまが誰を愛そうが、お姉ちゃんが誰を愛そうが関係ございません。それがたとえ茨の道であったとしても両者合意のもとであるなら、余人は口を挟むべからず。妹ならむしろ応援してしかるべきじゃありませんこと?」


 ちらっと片目だけを閉じて咎めるような目線をくれるイゾルデだが、メープルは悪戯ネコのような表情を寄せて追い打ちをかける。


「まぁまぁ、建前はそうとして本音はどうなんです?」


「脳の中枢が破壊されました」


「素直で宜しいです。ボクの飲み友達はイゾルデさんだけですよ」


 ぐしっと鼻をすする傷心のイゾルデ。そしてワインを二人分のグラスに注いでから、一つをイゾルデの方にスっと押し出すメープル。イゾルデはそれを手に取ると、口元の血糊をテーブルクロスで乱暴に拭ってから一息に空けた。わぉ、とメープルは小さく感嘆する。


「……はぁ。イゾルデの抱く姉様への愛情が、暗く、歪で、屈折し、業の深いものだとは自覚がありますの。だから私では姉様を幸せにできない。お姉ちゃんが必要……。でも、姉様が死んだその後なら、きっとイゾルデが幸せにして見せますの。あの美しい銀髪が全て抜け落ち、凍えそうな瞳が白く濁り、体中の穴から汚物が流れだし、雪のような肌から蛆が湧こうと、その全てを余すことなくこの身体に修めて、ようやくイゾルデと姉様は永遠に結ばれる。……私はそれで十分に幸せですもの」


 空けたグラスをテーブルに置き、目を閉じて胸に手をあて、恍惚と想いを寄せるイゾルデの赤らめた表情のみを見れば、叶わぬ片思いに胸を焦がす乙女とそう大きな差はない。常人には理解の及ばない愛の形がそこにあるらしかった。


「お気持ちが分かるとは言いませんが、ボクの悲恋も余生で叶う見込みはありません。でもその熱量は、イゾルデさんのと比べるのも烏滸がましくて、語るほどの厚みもないのに、なぜか結構つらいんです」


 メープルはワインを一口だけ含むと、それだけで体の芯が火照る心地がした。彼女がまだ生物学的に男性であった頃に恋をしたのが、他でもないエマだったのだ。でもそこに明確な切っ掛けや、他者を納得させるような物語は存在しない。後付けするならいくらでもエマの魅力を語ることはできたが、どれもが薄っぺらいと感じてしまう。ただ、ひたむきに戦う姿を見るたびに魅せられてしまったのだ。


 しかしそれ故、常に傍らにいたエイリスには勝てないと諦めてしまった。だから諦めた自分を罰すように、メープルはこの不味く赤い酒で自身を酔わせ、ふらふらと呪うのが日課となっている。そして悪い酒には友が欠かせない。選んだ今日の相手がイゾルデなのだ。


 メープルはもう一口を飲むと、呪いのように熱い吐息を溢した。


「……自分の気持ちを告白さえできないまま、ボクは男から女に変わってしまい、そして彼女が女性として好きなのかさえあやふやなまま、こうして忍ぶ恋に落ちてしまいました。……笑ってください」


 落ち込むように俯き、そして上目遣いで自虐的な話し方をするメープルに、イゾルデはわざとらしく手の甲を口元にあてて蔑むように見下した。


「おほほほほ。ざまあございませんですわね、メープルさん」


 そうして道化を演じた後、イゾルデは肩をすくめてから空のグラスにワインを注いだ。


「こうして罵って諦められる恋なら、いくらでもイゾルデがそうして差し上げますわ。……理由のない恋ほどたちが悪い。幻滅して楽になりたいから、好きな理由を壊したいのに、それが見つからなくて苦しい。それが本音じゃございませんの?」


 メープルは答える代わりに、ワインをもう一口口に含んだ。図星なのだとイゾルデは悟ると、クィンズガーデンのダイニングでこっそりとくすねて来たブルーチーズをローブの裾から取り出し、それをメープルに投げて寄越した。


「……ヴァニーユ産ですね。海向こうの故郷が懐かしいです」


 手に取ったブロックをまじまじと見つめて、しかし食す様子のないメープルに、イゾルデは煮え切らないものを感じた。


「発酵と腐敗は似て非なるものですわ。まぁ、どちらも楽しめるイゾルデは例外として、メープルさん。酒のツマミで食える恋バナは発酵ですわ。発酵。そのブルーチーズと一緒。でもいつまでも食べずにいたらそのチーズだって腐敗してしまう。香りで済ますのも結構ですけど、一口ぐらい齧って置く方が、たとえ腐敗してしまったとしても後腐れはございませんこと?」


 メープルの澄んだ空色の瞳が、ちらりとイゾルデを捉えて「背中を押してくれてます? ひょっとして脈ありとか?」と、能天気なことを言うので、イゾルデは呆れたように嘆息した。


「まさか、目障りだからとっと玉砕なさいって言ってますの。諦める理由がないなら作ればいい。とっとと告ってサクッと振られてなさいませ。明後日には禁書封印図書館(バビロン)へ発つ二人に水を入れられるとするなら、精々で明日の晩が最後ですわ」


 そう。明後日だった。


 明後日からは大評議会で決定した方針に基づいて、災厄認定魔女(ドラゴン)たちはまたクィンダムを離れてしまう。エマとエイリスは禁書封印図書館(バビロン)へ。メープルとイゾルデは陥落した各主要地方の要塞化へ。そしてファミリアは、魔物の生け捕りに向かう守護騎士長ハイペリオンと女王国軍、そして同伴するクロウの護衛に。個人的な感情をぶつけて迷惑がられる機会も、明日を逃せば当分は来ないだろう。


「メルセデスは……姉上とエイリスさんの交渉に応じると思いますか? 禁書封印図書館の門を開き、太古の神々が眠るその中へと案内し、そして『賢者の書』でも知り得ない古今全ての禁断指定魔法や呪詛、病魔についての書を渡し、そして災王についての情報もあれば快く伝え、無事に送り返してくれると、そう思いますか? 最後まで凄惨な殺し合いを演じた、あの二人を」


 イゾルデは何も答えず、ただワインで満たされた手元のグラスを指で弾いて倒して見せる。テーブルクロスに広がっていく濃厚な赤色を、メープルはじっと見つめていた。


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