4C:災王ルート(プレビュー版)その13
**********
クィンダム認定災厄『王国失踪』:シュルトルーズの民を愛そうと願った心無き精霊は、戦乱に怯えて暮らす彼らを鏡の中に引き込むと、そこに楽園を築いて住まわせた。そこには飢えも寒さも戦乱もなく、生死や真実さえなかった。精霊はそれを理想郷と信じて疑わなかった。
やがて彼女の心無き愛は旧王国まで波及し、先王は愚か、時の災厄認定魔女さえも鏡の中に引き込まれる。そうして旧王国は失踪したのだ。精霊はやはり、これこそが人の幸福だと信じて疑わなかった。そして王も民も無い外界のことなど捨て、消し去り、ここを世界の全てと定めて幸福に統治しようと誓った。ある日に一つの『疑問』を先王に刻まれてしまうまで。
――お前の捨てたものは何処に行く?
彼女はその『解消』を破壊と創造によって試みた。繰り返し、繰り返し、繰り返し。有り余る太陽の熱によって、彼らから消し去ろうとした。しかしその『疑問』は少しも小さくならず、広がるばかりで、ついにそれが自身へ及んだ時、精霊は自らを破壊し、『ファミリア』として自分を再創造した。そして皆に求められるファミリア像を定め、惨めに泣き濡れて見せた。
精霊は『ファミリア』を囲む暖かな笑顔を見回して理解する。ああ、こうしておけば人は幸せなのかと。以来、彼女に『疑問』が入ることはなかった。
************
空から太陽が消えた時、訪れた闇は夜よりも暗く、そして吐く息も白々とするほど寒かった。陽光に輝きを遮られていた星々が一斉に瞬くと、白昼ながらも美しい星空が頭上に広がる。それに混乱するハーピーの大群には逃げ場さえなく、ただ金切り声のような吠え声を空のファミリアへぶつけるしかなかった。むろん、小鳥の囀りなどライトドラゴンは構いもしない。訪れる痛みは一瞬だ。その先に疑問なき世界が築かれるのなら、ときに我が子を殺す愛も必要だろう。創造のための慈愛に満ちた『破壊』。それを執行せんとする心無い精霊は、小さな人差し指に宿した『幼い太陽』を翡翠色の炎の内に滾らせて、眼下の我が子らへ微笑んでいた。愛しているわと。
その指がくるっと指揮棒のように払われた。
もしも神の目を持つ者がいたなら、上空から発された翡翠色の発光直線が大地を一文字に切り裂く様子が見れたことだろう。ただしその光は未熟ながらも太陽の核であり、肉眼で目の当たりにしたハーピーたちの網膜を翡翠色に焼き焦がし、そして不幸にも熱線上にあった者を蒸発させた。そうしてこの世界は、否、この星はいまエメラルド色の傷を負ったのだ。歴史に残る悲惨な戦乱でさえ、掠り傷とも思わなかったこの星が、いま悲鳴をあげるほどの深手を負った。その痛みが膨大な熱量となって吹き上がる前に――。
その指がまた、くるっと指揮棒のように払われた。
見た者の肉眼さえ焦がす熱線がふたたび、今度は縦一文字に星を切り裂いた。いま、星には十字の深手が刻み込まれたのだ。その熱線の交差点を覗き込んだなら、そこに星の生まれた姿を見るだろう。煌々と煮え滾るマグマは星の命そのものであり、臓腑であり、血液だ。今それが転生のための断末魔と再誕の産声をあげようと、翡翠色に煌めき、揺らめき、滾り、大地を揺るがした。もう誰も、何も、かも、見ていない。
遠くに白昼の星空を仰ぎ、その後に緑光の煌めきに二度目がくらんだなら、あとは来る絶望に祈るしかない――それが終末。『賢者の書』では星の終わりと再誕をそう記している。
そして『破壊』と『創造』は始まった。
もはや神の目でさえ観測の叶わぬ熱と光がそこより沸き上がると、
ついに、星が泣き叫んだ。
天を焼き焦がす程に爆ぜ、吹き上がった翡翠色の奔流は十字型に星を駆け抜けると、その生命たるマグマを翡翠色の気化熱に変えて放散した。最早シュルトルーズは破壊の序章と爆心地に過ぎず、駆け抜ける翡翠色の熱波は野山を瞬時に炭へ変え、川を蒸発させ、なお後から気化熱の生む爆鳴と衝撃波によって残骸さえかき消した。遥か星空より此処を、この丸い星を俯瞰したなら、十字の緑炎に爛れて死に行き、また生れようとする星の姿を捉えるだろう。
この地獄をただ一人、恍惚とした様子で見守るのは、生ける全てを我が子として愛する幼い慈母だけ。翡翠色に煮え滾るシュルトルーズの上空を浮遊しながら、新たな世界が創造されるのを、ファミリアはまた数万年と待つのだ。彼女は小さな手を広げて、生れ出んとする星に微笑み、語り掛ける。
「……私が、あなたのママよ」
――私の話を聞きなさい、ファミリア。
鈍く光る刃から鉄さびと油の匂いがした。忘我の域にあったファミリアが目を瞬かせて我に返ると、エマの黒目がちな瞳が自身を覗き込んでいた。状況が分からずに彼女は周囲を見渡す。星は死なず、生まれてもいない。地上はシュルトルーズのままだ。
そしてハーピーたちもまた健在で、ただし抜け殻のように自失し、みな崩れ落ちている。それで彼女は理解した。ああ、まただと。
「……エマちゃん。ママ、また貴方の運命に……嫌われちゃったの?」
エマを見上げるのは若葉のような緑の瞳、それはあまりに純粋で無垢で、まるで人形遊びを咎められた罪なき少女のようだった。きょとんとさえしている彼女の様子に、エマは安堵の息をつくと剣を腰の鞘へ納めた。そして、ファミリアと目線を合わせるように膝を着いて屈むと、エマは彼女の小さな体を抱きしめる。その肌からは陽だまりとミルクの匂いがした。
「そうよ。嫌われちゃったの。『まだ頑張れるから、見捨てないでママ』って。皆が言っているから。だから、もう少しだけ見ていてあげて。……お願い」
その言葉とは裏腹に、まるでエマこそが母であるかのように、ファミリアの巻き髪を優しく撫で始める。その優しく心地よい手触りが慈母に通じるとは、しかし感じることのできない太陽の精霊。彼女はそれを我が子の我儘と曲解して微笑むと、その小さな手でエマを抱きしめる。
「分かったわエマちゃん。一番いい子にしてる貴方がそういうなら、ママはもう少しだけ見ていてあげる。もう少しだけ」
ファミリアの抱いた『疑問』が消えたわけではない。何故あのハーピーは死を賭してでも守ろうとした少年を自身の手で殺めてしまったのか。今でも彼女の胸中にはそれが硝子についた傷のように残っている。それはエマも同じだった。そして恐らくその答えこそ、災王の正体に通じるものだと予感していた。
――魔物を恐怖に駆り立てる、あれはそんな生優しい豹変じゃなかった。
――突き止めないと、何としてでも。
シュルトルーズの地で抱き合う奇妙な二人、それを見守る抜け殻のようなハーピーたち。この日、彼女たちに殺された魔物はいなかった。ただその記憶のみが深く深く刻まれ、そしてその過程が滅ぼしたのは、災王が魔物へ刻んだ恐慌だった。ゆえに風車の瓦礫奥では、今もミハイルがキドゥナに守られていたが、そのことを知っているのはこの世界で運命の竜だけだった。




