4C:災王ルート(プレビュー版)その12
エマが目を向けた先には崩落した風車があった。年季を物語るように生した苔や、自重に耐え兼ねるように折れたブレードなどを見れば、この傷みはハーピーの襲撃とは無関係なことがわかる。
今、その崩れた煉瓦が偶然に築いた隠れ穴より顔を覗かせたのは、顔に擦り傷を作った少年である。その目は赤く、濡れ、ひどく泣き腫らしていた。そして、彼を後ろから抱きしめたまま震える一体のハーピー。彼女は外の世界を怯えるように忙しく目を動かし、またそこから守るよう少年を抱きしめている。
「ハーピーたちは、……僕たちに『逃げろ』って教えてくれたんです。……『大きな目が湧いて来る。ここにいたらダメだ』って」
少年は涙に濁った声を絞り出す。
「でも、……僕も街の皆も、彼女たちが心配で逃げなかったんです。騒ぐ彼女たちの様子が、あまりに苦しそうだったから。……それが、どうして。……こんな、ことに」
少年はその言葉を境に再びしゃくり上げるように泣き始めた。しかしもう涙は流し尽くし、枯れ切っている様子だった。エマは周囲のハーピーたちに油断なく気を配りつつも、古刀を腰の鞘へ納めて、少年に優しく問いかける。
「私はエマ。あなたの名前を教えてくれる?」
「……ミハイルです。サー・エマ」
「エマでいいわ。ねぇミハイルくん。後ろの彼女は、貴方をずっと守ってくれていたの?」
エマに目を向けられたそのハーピーは、やはり少年を守るようにその目を反らさず、睨みつけるように向けている。ただその苦し気な様子は、それがただの警戒からくるものでないことが読み取れた。
――やっぱり、魔物の様子がおかしい。
エマは内心で確信を深めていった。
「……彼女は。……キドゥナは、最後まで『目が怖い』って泣いていました。怯えるように、震えて、頭を抱えて、泣いていました。そして……数日前から急におかしくなってきて、皆……街の人達を襲って。……でも、彼女だけは……壊れなかった。キドゥナでいてくれたんです」
ミハイルは堪えきれないように嗚咽し始めた。エマは彼の言葉に動揺したが、ほどなく胸を騒がせ始めたのは僅かな希望と、そしてハーピーたちを斬り捨てたことへの罪悪感だった。もしも少年の言葉が真実ならば、魔物達は正気を失っていた可能性がある。
ならばとエマは自問する。その原因と思しき『怖い目』とは何なのだと。魔物達から正気を奪い、凶行に駆り立てるような呪いなのか。もしくは病なのか。災王との関係は何か。いずれにしても、これでは魔物達もまた犠牲者ではないだろうか。災厄認定魔女による報復は早計でなかったのか。今なお、自分へ殺意と畏怖の目を向けるハーピーたちを見ていると、彼女は自責に苛まれた。
――私は何を憎み、何を殺してしまったのだろう。
エマは頭を振って切り替える。
――いえ、後悔は後回ししないと。
「ミハイルくん、キドゥナと一緒に歩ける?」
エマは少年に問いかけたが、先にキドゥナと名付けられたハーピーより金切り声で吠えられる。敵意を見せつけるように目を剥き、牙を晒し、いまなお喉を唸らせている。明らかな拒絶だった。害意はないと伝えたかったが、鞘に収まる刀は彼女の仲間たちの血で染まっている。自衛のためとはいえ斬り殺した事実に変わりはない。エマは沈痛な面持ちで俯きかけたが、しかし落ち込んでいる時間はないのだ。
「この様子だと貴方だけになりそうね。私のところに歩いて来てミハイルくん。キドゥナは貴方の行動なら邪魔をしないし、もし他のハーピーが危害を加えそうになったら私が守るから」
「……エマさん。僕はキドゥナを置いて一人ではいけません。それに……彼女がいたら他のハーピーたちも襲って来ないから、僕は大丈夫です。こんな荒地になっても、ここはシュルトルーズなんです」
少年は無理な笑顔を浮かべようとしていたが、エマは小さく否定向きに頭を振って、残酷な未来を突き付ける。
「ごめんなさい、ミハイルくん。それは出来ない。私はたとえ貴方が望まなくても、クィンダムまで連れて帰るつもりなの」
「いやだ。……僕はいきません」
「……いいえ。こっちへ来なさい」
再び鋭くなったエマの眼光、そして少年の拒絶をも感じ取ったキドゥナにとっていま、このエマと名乗った騎士は明確な敵となった。それでも立ち去れば良しとキドゥナなりの優しさは残っているらしかったが、どうやら女騎士にはそのつもりもないようだった。彼女はミハイルを後ろ手で隠れ穴の奥へ追いやりつつ、外へと這い出て来た。エマは一縷の望みを抱いて問いかける。
「ねぇキドゥナ。私は敵じゃない。貴方もミハイルも私が無事に保護する。約束するわ。助けたいの。だから、言うことを聞いて」
風切り音に身を捻ると、エマの頬を刃のような羽根が掠めていた。キドゥナから放たれたらしく、少し遅ければ左眼を失っていたことだろう。
「やめてキドゥナ! 戦っちゃだめだ! 死んじゃうよ!」
ミハイルの悲痛な声が響くが、キドゥナはなお威嚇するよう灰色の翼を大きく広げて吠えている。
「……これが最後よ。勇敢なら共に来なさい。臆病なら私を殺しなさい」
そしてエマもついに、腰から古刀を抜き払うと無造作に片手で携えた。構えもしないその出で立ちに、もはや死の香りさえ漂うのは、先に見せた戦いとも呼べぬ処刑を目の当たりにしたからだろう。故に、キドゥナも威嚇から先の一歩を踏み出せない。死ねば失うのは自分だけではないと知っているから。
周囲のハーピーたちも三人の様子を見守っている。彼女たちが恐慌によって正気を失っているとはいえ、生物としての本能まで失われたわけではない。自らの運命を左右する何かが眼前に起きているとなれば、それは注視せざるを得ないのだ。
――殺すしかないのかしら、本当に。
エマはふらりと足を進める。今もかつても彼女は優しき少女であったが、王国に仕えて以降は運命竜として多くの死を経験し過ぎた。故に、命に対して自分でも信じられぬほど冷然とした態度を取ることが増えて来た。例えば今のように、場合によってはキドゥナを含めて他のハーピーたちの多くを殺すことがあっても、ミハイルは生きて連れ帰るつもりなのだ。もしかしたらそれは、エマ自身が『自らは人である』と言い聞かせるための危ういヨスガなのかもしれなかった。
キドゥナが吠えた。
血走った目にエマは死を覚悟し、『逆鱗』によってつかみ取るべき未来へ備える。
しかし、それは彼女に訪れなかった。
つむじ風を巻くように灰色の翼が羽ばたくとキドゥナは急旋回し、そのまま大地を蹴って飛び込んだ先は隠れ穴。一瞬、草刈り鎌のごとき爪が煌めいた。エマは瞠目する。刹那の出来事だった。血飛沫が散り、湿った音がした。程なく自身の足で串刺しにしたミハイルを引き連れて出来たキドゥナは、そのまま瓦礫に叩きつけて彼の上体を砕いてトドメを刺した。煉瓦に赤く張り付いた彼は、ただ小指を一度だけピクリと動かすのみだった。茫然と立ち尽くすエマの目には、狂気に歪んたキドゥナの笑みがギラついている。既に彼女も手遅れだったのだ。
――それじゃあもう、他のハーピーや魔物達だって。
しかし、エマには自失の猶予などなかった。
止めなくてはならなかったのだ。
この地を愛し、守り、慈しんできた、太陽の化身――その『疑問』を。
絶望ではなく、『疑問』を。
「……お願い。ファミリア。私に時間をちょうだい」
祈るように見上げた空には、最優と称された災厄認定魔女が蜃気楼のごとく滲んでいた。陽だまりのように優しい金の巻き髪を無尽蔵の魔力で揺らめかせ、若葉よりも生命力に満ちた緑の瞳で世界を見降ろす幼い人形。どのドラゴンよりも人の幸福を願いながら、しかしどのドラゴンよりも人の幸福が分からない人形。誰よりも遠いからこそ寄り添って、誰よりも感じないからこそ理解に努めて来た。だから誰よりも、幸福に近いと信じて来た。
「……ママはね、また分からなくなったの。あの子がその子を殺した理由が、全然わからないの。ねぇ、エマちゃん。ママに教えて。シュルトルーズが壊れてるのどうしてかな?」
エマはこの瞳を知っている。失敗に対する純粋な『疑問』だ。感じられないから絶望できない。しかし理解を求めるから『疑問』を抱く。何故なのかと。逆鱗なきドラゴンとさえ呼ばれたファミリアの隠された逆鱗は、その意味で『疑問』なのだ。彼女は疑問を疑問のまま容認しない。必ず解消する。壊れたものは創造する。創造のために失敗の破壊を行う。
かつて先王マーカスに諭されたこともある。『真の太陽は照らす先を選ばない。真の母なら過ちを犯した子を見捨てず、導けと』。彼さえ、ついぞ彼女を理解することはなかった。なぜならファミリアの愛は真実なのだ。しかし彼女が人を理解できないように、人もまた彼女の愛を理解できない。
つまり。
ファミリアは愛によって我が子を殺し、死してさえなお慈しむのだ。
「壊れているなら、直さなきゃ」
空の人形が慈母の如く微笑んだ。
私は絶対に見捨てない。
太陽は照らす先を選ばないから。
欠片も余さず破壊して、
面影も残さず創造して、
ママがみんなを導いてあげるから。
だから今は、おやすみ。
「愛しているわ」
人形が人差指を掲げたとき、世界から太陽が消え、シュルトルーズは夜の帳に包まれた。
魔物は犠牲者である可能性が強まりました。
でも、それがハーピーに限った話なのか
それとも全ての魔物がそうなのか
次回でキャラ紹介パートは終了します。
つい続けて書いてしまいますが、
立ち位置的に最終章なので
このまま描き切ってしまうか悩みます。
クレフランム教団、マーカスの死、
レイヴンの行方、竜殺しの魔女
触れ方に注意で手探りです。




