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4C:災王ルート(プレビュー版)その11

 風車と牧草に支えられた温暖なシュルトルーズ地方ではいま、その長閑な陽光がおもに温めるのは草花や家畜の背中ではなく、土地に根付いた多くの民たち――その無残な遺体だった。大地を赤く染め、横たわる彼ら彼女らに刻まれた無数の切り傷は、大ぶりの刃物による滅多切りを思わせる。


 しかし、シュルトルーズを襲ったのは切り裂き魔のナイフではなく、ハーピーたちのかぎ爪だった。それは草刈り鎌のように鋭く、そして湾曲していた。ただ触れ、ただ掴むだけで人の柔肌など簡単に裂いてしまう。しかもその脚力は猛禽を遥かに超え、人はもちろん馬さえ抱えたまま空へ連れ去るのだった。そんなものが空から集団で飛び掛かり、闘鶏よりも鋭い蹴りを放ち、あまつさえ弄びなどすれば、こうなっても不思議はない。なお無残なものは、上空まで抱え上げられた後に墜落させられており、地面との衝突によってその原型を大きく崩している。


 たとえば、ある女騎士が屈んだ先で砕け散っている小さな頭蓋や歯、赤毛の巻き毛などは、きっと年端もいかない少年か少女のものだろう。彼女はそれに哀悼を示すよう手を合わせて、祈り、瞑目を終えて立ち上がると、そして腰から細身の剣を抜いた。



 そのハーピーはとても不可解な者を見た。歩み来る人間だ。ここでは誰もが泣き叫び、逃げ、隠れ、息をひそめていた。そして見つけて引き摺り出せば命乞いし、無駄と分かれば抵抗というにはあまりに無力な反抗を見せ、しかし成す術もなく死んでいった。それが人間たちだ。まるで捨てられた子兎のように臆病で軟弱な生き物。人間とはそういうものだ。


 なのに、その女はただ歩いてくる。逃げも隠れもせず、怯えるでもなく、あるいは堂々とさえして。ハーピーは何者かと様子を伺う。風に揺れている漆黒の長い髪、黒目がちで大きな目、子犬のような懐っこささえ感じる童顔。その細身はしかし、村娘の装束ではなく暗銀色の鎧をまとっている。既に腰から抜いた剣を片手に携えているが、それも小枝のように頼りなく、そして細い。もしも武芸者がこの彼女を見たなら、ふらつく重心と着せられたような鎧姿からして、武芸を嗜んでいない、ごく普通の少女と断じることだろう。


 他のハーピーもその不可解に気付いたらしい。巨大な灰色の翼はつむじ風さえ伴って、女の上半身と鳥の下半身を備えた魔物達は、すぐさまその女騎士を取り囲んだ。


 周囲に突風が巻き起ころうが、殺意に囲われようが、しかし女騎士はそれでも足を止めない。その臆せぬというより無防備に過ぎる態度には、不可解よりも怒りがまさった。人間如きが何様だと。


 だから、最初の一頭から放たれたギロチンの如き回し蹴りによってアッサリと頭部を跳ね飛ばされ、その女騎士は当然のように即死した。


 ――そんな都合の良い過去(ゆめ)を見ながら、お前なんて死ねばいい。


 刃閃の煌めきに目がくらむ。瞬きを一つすると、そのハーピーは随分と目線が低くなっていることに気付いた。まるで兎か蟻か。野に咲く草花さえ背が高く感じる。まさか得意な回し蹴りでバランスを崩して転倒したのか。ならば態勢を立て直そうとバタつかせた脚は、しかし遥か遠くで宙を掻いていた。仲間たちが女を取り囲まんと作った円陣さえ遠い。自分もそこにいたはずなのに、何が起きてここまで飛ばされているのか。視界の隅に首なし死体を見つけても、魔物は未だ答えを見出せずにいた。自分が草花に埋もれた、その頭であることに。



 クィンダム認定災厄『*公式記述なし』:『賢者の書』によれば、世界の災厄認定魔女(ドラゴン)を一つにまとめ、率いる騎士を『運命の竜フェイタルドラゴン』という。それは異界より現れた世界の抑止力であり、自らの死を逆鱗として運命を変える。その災厄は観測し得る者がなく、故に多くの者にとって彼女は一振りの剣で闘う騎士に過ぎない。彼女は優しく、弱く、迷い、怒り、涙する平凡な少女である。しかし折れず、挫けず、無様でも前へ進む。その細剣が仕留めるのは、敵ではなく彼女自身だ。絶望を命と共に過去(ゆめ)と斬り捨て、その代わり、たとえ大海に眠る一鱗のような儚い未来(きぼう)さえ、探り当て、摘み取っていく。『私が死ねば良いのなら』。少女の自傷的な言葉は自棄ではなく、やはり希望に満ちている。彼女、エマの存在がそうであるように。



「もし、私の言葉の分かる者がいるなら、仲間に話して聞かせなさい。私は、誰も殺したくありません」


 エマは北国で鍛えられた古刀の血ぶりをすると、自分を取り囲み、今にも飛び掛からんとする魔物達へ通じぬ言葉をかけ始めた。


「死を以って死を償う世界など誰も望んでいなかったはずです。私も女王国も、そして貴方たち魔物も。戦乱の世は偉大な先王マーカスが終わらせました。女王国は世界の生ける災厄たちと手を結び、生ける災厄たちは魔物たちと手を結び、魔法と剣を捨てられる世界を築き上げたはずです。……教えて下さい。優しいシュルトルーズの人達がいったい、貴方たちに何をしたんですか?」


 エマの頬を涙の雫が伝う。ここシュルトルーズは最優のドラゴンであるファミリアの治めていた土地だった。大陸を見渡しても此処ほど平和で長閑な地方はなく、当主は自衛軍さえ持っていない。近隣に生息する魔物達との関係も良好であり、ファミリアもハーピーのことを『風起こしの雀さん』と可愛がっている程だった。そしてエマ自身、彼女たちと何度かシュルトルーズを訪れ、風のない日にはファミリアの願いに応じて集まり、その大きな翼でもって風車を回して民達を助けるハーピーを見て来たのだ。だから、彼女はクロウから手紙を読み聞かせられても信じられなかった。最後まで何かの間違いであることを願っていたのだ。


 エマの背後にいたハーピーは涙ぐむ彼女に隙を見出し、その背中を突き破るほどの蹴りを放った。一跳躍で数メートルを跳ぶような脚力で放たれる鉤爪の一撃は、やはりエマの薄い鎧など易々と貫き絶命させた。仰け反って吐血する女騎士の様子にほくそ笑み、魔物はそのまま足を彼女もろとも振り上げると、勢いよく地面へ叩きつけた。鈍く湿った音とともに血飛沫が跳ねる。打ち所が悪かったらしく、エマの頭蓋は卵のように割れ、脳漿に塗れた横顔に面影はなかった。痙攣する彼女の姿をハーピーたちの高笑いが冒涜した。

 

 ――悪い過去(ゆめ)なら必ず覚める。そして覚めたら消えてしまう。


 空中に飛んでいる自身の右足を見ながらハーピーは思った。何故、こんな遅い転身に必中の一撃をかわされて、あまつさえその後に斬撃など受けてしまったのか。まるで自分から、振り降ろされている剣に向けて足を差し出したような錯覚さえ覚えた。


 自分だけでなく、皆そうだ。


 風より早く岩より重いと自負していたハーピー達の蹴りは滑稽なまでに女騎士を外しており、にも拘らずその顔は全て必中の嗜虐に歪んでおり、しかしそのまま絶命している。傍から見ればハーピーたちは滑稽な独り相撲を演じている最中に、ゆるりと、しかし着実に、その首や足をエマに斬り飛ばされていったのだ。そしてその異様さは、この一連を目撃していたハーピーたちへ言い知れぬ恐怖と共に伝わった。これは何かとても奇妙で、絶望的な事が起きていると。あるいは確かに、エマの死ぬ姿をあまりにリアルな錯覚として見ていることを、錯覚として捨てられず慄いている者もいた。そんな一頭を見つけたエマは、古刀の血ぶりをしつつ静かに語り掛ける。


「そう。私は死んでいるの。殺されているの。この瞬間にも背中を破られ、首を刎ねられ、顔を潰され、殺された。何度も何度も。私があなた達に勝てる見込みは百に一つもない。千に一つさえない。でも万に一つならある。なら、私はそれを逃さない」


 エマの眼光が鋭くなる。ハーピーたちはそれで動けなくなった。シュルトルーズに未だ残るその数は大群だ。殺されたのはそのうちたったの七頭だ。なのにまるで動けない。確かに仲間がこの女騎士を八つ裂きにしたのを目の当たりにしたのに、そのたび世界はその事実を記憶の錯覚だと断じて修正し、認識とは全く無関係な結末――仲間の斬首という異界の現実へ自分を放り込んで来るのだ。その感覚は幻術のように生易しいものではない。


もはや、敵は女騎士ではないのだ。


敵は、この世界だ。


いいや、それさえ、違う。


自分の存在するこの世界、そこで自分が敵になってしまった。


自分こそ、自分の敵。


 それほどまでの感覚をいま、ハーピーたちは植え付けられていた。


「勇気あるものは逃げなさい。私は追いかけません。そして世界の全てを忘れ、雀や兎のように隠れ暮らすのです」


 女騎士は血濡れた古刀を片手に、ゆっくりと、そしてまるで隙だらけのまま迫ってくる。


「臆病なものはここに来て私を殺しなさい。そしてその結末に辿り着けず、永遠とその瞬間を繰り返すことになったとき、敵は私ではなく自分自身の運命だと気付くでしょう。それは死よりも残酷な消失です」


 ハーピーたちに言葉を解する知識はなく、そして知識があったとしてもその意味を理解することは不可能だった。しかしそれ故に本能でもって、エマの成した事とこれから成そうとする事を理解していた。選択を違えれば、死さえ救済と感じる程の結末がこの先待ち受けているのだろうと。それはある意味で、心に巣くった災王にも匹敵する恐怖を刻み込んで来た。


 そしてエマ自身、それに賭けていた。敢えて不条理な死を見せつけることで、凶行に走った魔物達に本来の理性を取り戻させることができないだろうかと。だから彼女は願っていた。逃げて、そして気付いてと。本来の貴方たちの姿を、どうか思い出してと。


「待ってください……騎士様」


 その声は、瓦礫として崩れていた風車の影からだった。

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