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4C:災王ルート(プレビュー版)その9

 古都にして要害。街の裏手が海に面したブルクレール地方をそう称える者はクィンダムにも多かった。波と潮に鍛えられた岩礁が支える城、その表は分厚い岩の城壁が二重で囲い、侵略軍によるカタパルトの投石攻撃を幾度も退けてきた。城の背後も大海原と絶壁に守られており、ガレオン船の海賊もその砲を向けることはなかった。城や街を守る兵士たちも、ブルクレールの闘技場で勝ち残った勇者たちで組織された精鋭である。まさに難攻不落の地といえた。


 しかしながら、フレイトナー地方やアイヴォリー地方に加え、このブルクレールの地でさえ魔物により陥落した理由は何であろうか。


 怪力のゴブリンが振るう戦斧にとってフレイトナー城の石はもろく、そしてアイヴォリー城の堅牢な石垣は、並外れた跳躍力を誇るコボルトにとって城を超える格好の踏み場となった。それでも魔物の数が数十ならば撃退できたことだろう。しかし数千ではどうしもようなかった。そしてここブルクレールでは、城の背後から海蛇のごとく泳いできたリザードマンたちにとって、その荒い岩の絶壁は梯子にも等しく、するすると登り詰められた。結果、海の要害も堅牢な城壁も活かせず、兵士たちが街人を城内へ迎え入れる間にブルクレールは陥落したのだった。すなわち、いずれの地方も大軍・対魔物を想定こそしていたが、対・魔物の大群を想定していなかったためである。


「っが、……ごぼ。ごほ……が。っごほ。えっご……ごほ」


 ブルクレール城の見張塔内部、粘液に咽るような咳を吐き出す人型の繭が、その内壁にべったりと粘着している。粘つく黄緑色の膜に覆われたその異物は、一見すると縛り首で吊るされた罪人のようにも見える。ただし、赤子の頭程もある大きさの卵を、リザードマンから全身に植え付けられたせいで、その色も相まって巨大にして奇形なマスカットの房に見えた。


 今この異様なマスカットは、ブルクレール城の内外で至る所にぶら下がっている。ここを襲撃したリザードマンたちもまた、『災王』の影響を受けて恐慌状態に陥った魔物に違いなかったが、ゴブリンやコボルトが自棄の暴動に走った一方、彼らは暴動ではなく繁殖に追い込まれていたのだ。死に行く遍く生物はその本能から子を残そうとし、それは魔物も例外でなかったらしい。故に、ブルクレールの民たちはそのほとんどが、彼らの苗床として生き地獄を味わっている。


「っげほ……し……てくれ。……っごほ。っぐえ。……殺し、て、くれ」


 繭に埋もれた兵士の一人が、腹の中で膨張・脈動する異物(たまご)の痛みと悍ましさに耐え兼ねて、眼下を這いずる異形へ通じぬ言葉で慈悲を乞う。そのワニのように大きく、そしてトカゲのような肢体を持ち、また人のように立ち得る太い後ろ脚と脊髄を備えた、その濃緑色の魔物――リザードマンに。それは二股に分かれた舌で空気を舐めると、ぬるりと立ち上がり、苗床にした兵士と向かい合う。ターコイズのような目が薄膜の瞼によって瞬き、(こえ)のした辺りを見定めた。


「くれ……殺し…っげほ」


 そして、呻き声からその隙間を目敏く見つけると、リザードマンはそこへ大口を開けて黄緑色の粘液を吐きつけた。溶けたゴムか濃厚なハチミツか。鼻口へ雪崩れ込んだそれは兵士の気道を瞬く間に塞ぎ、ついに断末魔さえあげることも叶わず、ただ窒息の苦しみに痙攣し、動かなくなった。繭はただ柔くあればよい。さえずりなど無用だったのだ。

 その気紛れを境に続々と、リザードマンたちにより、マスカットたちはただの肉塊であることを強要されていった。


「っが…あ……んん……ん」


 一命を繋いでいた空気穴が黄緑色の吐瀉物で塞がれていく。咽ることも叶わない強力な粘性が生む苦しみは、酸欠の比ではない。奮戦した兵士たちも、彼らに城へ導かれた街人も、女も子供も老人も、皆がただこの瞬間に肉塊へと変わっていく。きっと、城の居館へ逃げ落ちた当主たちも今頃、やはり苗床に成り果てている事だろう。


 もう間もなく息絶えようとする少年は、汚れた繭の中で海神へすがった。


 ――神様、どうかこれで最後にしてください。こんな酷い目に遭うのは、どうか僕で最後にしてください。ブルクレールは兵士様も当主様も皆優しく勇敢で、僕たちを導いてくれました。その最期がこんなのなんて、酷すぎます。だから、僕で最期に……お願いします。

 


 クィンダム認定災厄『船食渦竜(リヴァイアサン)』:難攻不落のブルクレール地方がもっとも恐れたのは荒ぶる海である。古い当主は海神を恐れ、崇拝し、しかし愚かにもブルクレールの若き乙女たちを『水の巫女』と称して生贄に沈めたのだ。最後の乙女は彼自身の娘であったが、その命が絶たれる前に海神は姿を現し、生贄の儀式に集った愚者たちを水の刃で裁いたという。生存者によって幽閉された彼女の名はメープル。後にヴァニーユと名乗る海賊が訪れて解放されたとき、もはや彼女は災厄認定魔女(ドラゴン)へ変じていた。それでもなお優しさを失わなかった彼女が、しかし願えど祈れど、荒ぶる海神の怒りを鎮めることは叶わなかった。大渦に沈みゆくヴァニーユのガレオン船の船団を、絶望と共に見つめながら思い知る。……故に、これが災厄なのだと。


* 

 ブルクレール城の塔が、天辺から地階までバターのように切り裂かれる。超高水圧で放たれた海水による巨大な水の大鉈が、塔を丸ごと袈裟切りにしたのだ。それは軌跡上にあった人々を生き地獄から安楽の死に導く慈悲であり、そし自棄の繁殖を選んだリザードマンたちを滅ぼす裁きの鉄槌でもあった。地鳴りを伴って滑らかに崩れ落ちようとする塔に混乱する、刃を免れた魔物達、しかしそれは一撃で終わらなかった。まるで流星群が墜落してきたかのようにそれは次々と放たれ、ブルクレールの解体を始めた。もはや祈る生存者のいないこの地を、海神が守る道理はなかったのだ。


 狂騒状態のリザードマンたちは螺旋階段へ殺到し、互いに逃走経路を塞ぎ合って窒息する。ある者は潰され、ある者は押し出され、あるいはそれさえ待てず中央の吹き抜けを飛び降りて墜落し、絶望から吠えた者は海刃に胴を薙ぎ払われ臓腑をぶちまけた。無作為に乱れ打たれる海の刃により、ブルクレール城は砂で固めた城のように形を崩していった。


 海神の鉄槌はむろん、見張塔に留まらない。館も礼拝堂も、当主やその親族が暮らす居館も等しく切り裂き、苦しむ人間に慈悲を、逃げる魔物に裁きを下していった。ブルクレールを遥か遠くより眺めたなら、海から飛び立ち空を抜け、そして空から城へ降り注ぐ奇怪な三日月の群れが見えたことだろう。ブルクレールは数分と持たずに瓦解した。


 わずかな沈黙を守った塔の瓦礫に動きがある。

 がらりと石欠片を崩し、這い出る影があった。


 それは奇跡か神の悪戯か、瀕死ながらも一頭のリザードマンが緑の体液に自身を塗れさせ、這い出てきたのだ。魔物は九死に一生を得た命を守り抜くため、そのまま海へまろび出ようとしていた。今なお自身の頭上を飛び交う海の刃。その死線を潜った今、他の仲間や家族、未来の子孫を慮る余裕など残されていなかった。本能はひたすらに逃走を呼びかけ、魔物の身体はそれに従うしかなかった。


 しかし、彼はこれが災厄の序章であると思い知る。


 大きく開いたターコイズ色の目が、水平線の向こうから迫る群青の壁を認めた。最初は空かと思ったが、違った。強いて言えば壁にしか見えなかった。壁が海から迫ってくる。海に壁がある理由など知りもしないが、しかし壁以外に考えられない。何故なら、こんな津波は存在し得ないからだ。


 蠢く空を見上げた。

 そこに、蛇がいた。


 虹色の彩雲をまとい、山を喰らうほどの途方もなく巨大な半透明の蛇。それが空から、否、空そのものとして、海の刃が降り注ぐ城を見下ろしている。群青の壁はその後ろから、じわりと迫ってくる。風鳴りと振動が街を揺らす。迫る群青の壁が産毛のように淀んでいる。耳鳴りがする。群青の壁にめり込んでいる小さなゴミは、巻き上げられた船だ。あんなものが海なら、波なら、もう帰る場所などない。地響きが大きくなってくる。迫ってくる。リザードマンは果てのないそれを見上げ、見上げ、やがて見上げることも叶わなくなり、その轟音と振動から途方もない質量を察し、やがて空さえ飲み込む海の災厄の雫として消えた。かつて船食大渦(リヴァイアサン)と呼ばれたこの壁は、しかし波ではなく、渦である。何故なら波には中心がないのだから。



 嘘だと言われたら信じてしまうだろう。天を突くばかりの大波はブルクレール城を洗い流した先、街をも飲み込まんとしたその先で、綺麗さっぱりと失せてしまった。まるで弾けたシャボン玉のように。無論、それを引き起こしたであろう空の大蛇も、彩雲もろとも霧散していた。だからもしも岩礁を残して消失した城跡を見なければ、あるいはその跡で跳ね返っている魚のキラキラした照り返しがなければ、事実としてこれは夢幻と何も差がないのだ。


 すべてが終わったいま、瓦礫の中央には身体を屈めて、その指で何かを摘まみ上げる女性がいる。もはや生き残りのいないこのブルクレールで無傷の彼女は何者か。露出の多い神官装束をまとったその肌は小麦色に染まり、指先を見つめる瞳は青空より澄んでいた。括った髪は海よりも活き活きとした青色で、馬の尾のように垂れた毛先が潮風に遊ばれている。


「さっそく確かめるとしましょうか。魔物達がどうして狂ってしまったのか。災王とは何者なのか」


 そうして彼女――海魔法の災厄認定魔女(ドラゴン)のメープルは、拾い上げたそれを――リザードマンのウロコを握って目を閉じ、原初の海魔法を行使する。海とは生命全ての母であり、世界の初めから終わりまで命の記憶全てをその内に内包する。彼女はそこへ意識を同調させ、探求し、一部を夢のように垣間見ることができた。水の巫女メープルは海に乞う。何故に魔物は狂ったのか。そしてその元凶が災王ならば、その者は何者かと。彼女はそして、海の奥底にその姿を認めた。


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