4C:災王ルート(プレビュー版)その6
クィンダム認定災厄『生人形行軍』:
黒魔法の災厄認定魔女はもともと孤独な少女だった。
夜の森で一人、ウサギやリスの死骸を持ち寄り、
死霊術で人形劇を楽しむだけの取るに足らない夜のシミ。
古いアイヴォリーの当主は、しかし愚かにも彼女へ囁いたのだ。
『兵隊さんを使って大きな人形劇を始めよう』。
彼が彼女へ授けたのは、人を生きながらの人形に変え得る禁書『死者の書』だった。
それからほどなく、アイヴォリーには念願たる不死身の軍隊が生まれた。
しかし彼らは、当主の悲願を叶える前に彼をも人形に変えてしまったのだ。
人形は人形を増やし、その人形もまた人形を増やすから。
今でもアイヴォリーの古い当主は、不死身の軍団を率いてどこかを行軍していることだろう。
もはや叶わない夢を、今でも追いかけて。
*
一頭のコボルトが絞り出した遠吠えが街に波及した。
路地裏で子供の死肉を漁っていたコボルトは、
女々しく掴んでいた少年の首を転がすと、目抜き通りへ顔を出して様子を伺った。
生き残りがいたのか、それとも外から人間の増援がきたか。
いずれにせよ、群れに知らしめるべき事態であることは間違いなかった。
しかしただ、我先へと駆けている仲間たちは、遠吠えとは反対方向に向かっている。
すなわち、城だ。
是非を問う知性はなかったが、言葉に出来ないなりの疑問はあった。
なぜ、逃げ道のない方へ? と。
しかし彼らの目は血走り、息は荒げ、尾はちじこまっている。
状況判断の余裕などなさそうだった。
首筋の毛が逆立ち、寒気がする。
逃げている。
しかし何からだ?
その答えが、街の中央で黒く『爆ぜ』ていた。
コボルトを手探りに掴み、熟れたイチジクのように捻り潰し、
投げ捨ててはまたコボルトを探って這い回る、無数の黒い手。手。手。
この獣を鷲掴みできる程に大きな黒い手が、
小さく黒い女の影から、ぞろりぞろりとオドリコソウのように群生している。
それも夥しい数の、手が。
あるいは無数の大蛇が鎌首をまたげ、襲い掛かり、
食い散らかしているように見えた。
それを目の当たりにしたとき、自身の尾がちじこまっていくのが分かった。
何せ死の概念を始めて見たのだ。
そして『死』を怯えて何の恥があろうか。
まるで気に喰わぬ玩具でも捨てるかのように、
手から放られて飛んできたのは、仲間の上半身だった。
石畳に湿った衝撃をたてて転がる喰い残し。
その胸は踏み潰されたカブト虫のように平たく、
口からは内圧で飛び出た臓腑のひだが零れている。
悲惨なことにまだそれには息があった。
ハッ……ハッ……ハっと、黒い血泡を吹いている。
弾かれたようにコボルトは駆け出した。
他の仲間たちと同じように、逃げ場のない城へ。
そして誰もが、彼女――ブラックドラゴン・イゾルデに背中を向けていたから、
彼女の笑みを見ることはできなかった。
――コ ボ ル ト が 美 味 し い で す。
突如、開いていた城門からどろりと溢れて迫り来た黒い群衆を、
コボルトたちが津波と錯覚したのは、
その勢いと生物らしからぬ出鱈目な動きのせいだろう。
瞳孔の溶けた目を開き、潰れた喉を唸らせ、
千切れた手足を振り乱し、血交じりの唾液を食いしばりながら、
彼らが殺到してきた。
彼らはつい先まで博識で器用なアイヴォリーの民たちだった。
しかしコボルトにより殺され、食い散らかされ、
無念のうちに絶命し、死に触れた後、闇の底で誰かにこう問われていたのだ。
――ねぇ、お腹が空いていませんこと?
言われるまでもなく、死した彼らは強烈な飢えと渇きに襲われていた。
それは生前での無念や未練、悔悟や怨念のような負の感情が、
より原始的な飢餓という概念に変じたものだ。
故にこの飢餓は、ただ喰らって啜るだけでは満たされない。
然るべき者の血肉を食らい尽くし、殺し、滅ぼすまでは。
だから、彼らの魂はそれを彼女に乞い、願った。
腹は減っていると。故に、その導き手たる彼女はシンプルに答えたのだ。
――ああ、それなら。
――コ ボ ル ト が 美 味 し い で す。
コボルトの群れは真っ黒な津波に飲み込まれた。
その津波には殺意があり、飢餓があり、そして爪と歯があった。
所詮は人間と挑みかかったコボルトから、最初に死んだ。
彼らはもはや人ではなく『人形』なのだ。
人が持ちうる力の抑制から解放され、彼らは自身の皮膚が裂け、
肉が千切れ、骨が砕ける程の力でコボルトに掴みかかり、
ねじ伏せ、千切り、喰らいついている。
獣たちの絶叫さえも人形たちの唸り声に飲み込まれた。
怖気づいて引き返したコボルトは、黒い手に掴まれ、
両足を鳩のごとく千切られてから黒い津波へ投げ返される。
そこはまるで、集団人喰い魚の沼に投げ込まれたエサのごとき惨状となった。
そこら中で弾ける血肉の飛沫をしばし見つめてから、
イゾルデは這いずる一頭のコボルトの方に歩いていく。
初級黒魔法『闇の手』に掛ったものの、
中途半端に下半身を捻り潰された死に損ないだ。
イゾルデが今、腰からサっと抜いたのは一振りのダガーであり、
その刃には既に血がべっとりと付いている。
これはアイヴォリー家の娘が、
コボルトに辱めを受ける前に自決として喉を突いたものだった。
彼女はそれを拾っていたのだ。
「同情しますわ。お姉さまなら、楽に殺してもらえましたのにね。っふふふふ」
イゾルデは屈んでコボルトの首辺りの毛を鷲掴みにすると、
小さな体に似合わぬ腕力で乱暴に仰向けへとひっくり返し、
そのまま腹上に跨るように腰を落とした。
鼻先が触れるほど近付けられる顔。
より濃密に香る腐敗した死の臭い。
幼い彼女の瞳は血より赤く、コボルトは悍ましさで顔を背けると、
視界が捉えた光景に心が死んだ。
ブラックドラゴンが舌なめずりをする。
「そこからじっくりと御覧なさい。……ほぅら、お仲間が人形達に食べられていますわ」
こんなことがあり得るのか。
吠え狂うコボルトを人間が押さえつけ、手足を千切り、肉を喰らい、血をすする。
一頭も逃さない、ばかりか、肉片一つ溢さないとばかりに、執拗に食らいついている。
「ああ……互いに食べたり食べられたり、私達って本当に素敵なお友達になれそうですわね?」
恍惚とした様子で、死の魔女が囁いた。
「ね?」
しかしもう、何も聞こえていなかった。
「……てめぇ耳イカレてんのか?」
ざぐ。
死にかけていた心が痛覚で呼び起こされる。
見れば下腹部にはダガーが、柄の手前まで深々と突きたっていた。
こんな小娘など跳ねのけてやると藻がいたが、まるで足腰に力が入らない。
哀れなコボルトは、自らの足腰がとうに砕かれたことを失念していたのだ。
ぐるぐると渦巻いた赤い瞳が目の前に寄せられ、
まるでコボルトの魂を取り込むかのように覗き込む。
「……聞こえてんなら返事しろや」
彼女は呪詛を吐き出しながら短剣を引き抜き、なおザクリと腹部に突き立てた。
刃が捻られてコボルトは激痛から吠えあげたが、身体の自由はなかった。
「コミュ障の私が勇気振り絞って声かけてんだろ? キョドりながら応じてハニかめよ。連絡先交換しろや。てめえ殺すぞクソが。私がショック受けてトラウマ抱えて傷ついたら責任とれんのか? 城に引き籠ったら迎えに来てくれんのか? おい? 聞いてんのかよクソがよ!」
ざくり、ざくざく。ざくざく。ざく。
コボルトは既にただの死肉となっていたが、イゾルデの呪詛と狂刃は止まる気配がなかった。




