1:アイヴォリー家の謀反:その4『ノアルとエイリス』
エマは城下町で我に返った。
城の鐘が鳴り、城内でキングズ・キーパーの叙任式が行われることを告げている。
そう、ここがこのゲームの始まりだ。
思い出したが、オープニング中に死ぬとここへ戻される。
リセマラはこの原理を応用して実行するのだ。
エマはこの世界でアイテムの引き直しが出来るか探索する。
しかしゲーム機を操作しているならいざしらず、VRのように潜り込んだ状態で、そんな世界の外を操作するような事ができるのか。
最高ランクの鯖缶はまるで役に立たなかったから、せめて低レアでも良いからマシなモノが欲しいと思った。
飛んだり跳ねたり瞑想したり、中空に手を向け「は!」などやってみる。
何とかゲーム画面で見るようなメニューが現れた。
本当に出たことには驚いたが、微かな希望を抱いてそれらをいじくるも、『キーワード辞典』の確認以外の他は何もできなかった。
リセットしても、アイテムの引き直しはできない。
強烈な現実を突き付けられ、絶望した瞬間に涙が出てきた。
オープニング中に死ねばリセマラのようにここに戻されるが、しかしアイテムの引き直しはできない。しかしこのままゲームを進めれば、無課金の自分は開始早々に『アイヴォリー家の謀叛』で死んでゲームオーバーになる。そして、ゲーム開始を阻止するようなプレイをすれば、事故死直後の現実に戻され、文字通り死が待っている。
つまり、エマを存続させるには『オープニングで死に続ける』しかないのだ。
完全にどん詰まりだった。
エマはその場にヘタレ込み、膝を抱いて泣き始めた。
その惨めな様子を見て、行き交う街人たちが笑った。
それもそうだろう。
みすぼらしい装備で男装した少女が、町の真ん中で泣いているのだ。笑われない訳がない。
「みゃあ」と、鳴き声が聞こえた。
市場の端だ。
雑巾のように汚れた猫が、飢えか病か怪我か、何かで死にかけていた。
猫は――ダメだよ。
おもむろに立ち上がると、エマは泣き顔のまま猫の傍まで行って座り、その小さな身体を抱き寄せた。
この小さな毛玉はトラウマだった。
小学生の頃、家の向かいに段ボールに捨てられていた子猫が死ぬのを見たからだ。
飢えや寒さではない。
人の暴力でだ。
中学生か高校生かは分からない。
3人ぐらいが面白がるように、目も空いていないような猫を弄んだ末に殺してしまった。悪意があったのかは知らないが、知恵や善意はなかっただろう。でないと、子猫をボールと間違えたりしない。
エマは許せなかった。
その3人がじゃない。
怖くて止めに入れなかった自分が許せなかった。
死体を見たくなくて、埋めてあげられなかった自分が許せなかったのだ。
エマは腕の中にいる猫が、もう助からないのが分かった。
あの時に見た暴力と同じだ。
酷く傷ついている。
近くの市場から魚を盗んだか、酔っ払いに八つ当たりを受けたか。それは分からない。
しかしここまで弱っていたら、もう水さえ喉を通らないだろう。
それでもエマは、自分がしてやれる精一杯として缶詰を開けて、中の魚を指ですくい、猫の口元に寄せた。
これには何の意味もない。
ただの自己満足だ。
でもそうしたかった。
猫は少しだけ鼻を鳴らしたが、それきり動かなくなった。
エマは死んだ猫を抱きしめて、すすり泣いた。
城の鐘は騎士見習いに召集をかけているが、行こうと思えなかった。
世界がどん詰まりの上に、自分はどこまでも無力で、もとの世界でもこの世界でも、猫一匹救えないのだから。
何時の間にか街の人もいなくなっていた。
皆、キングズ・キーパーの叙任式を見に行ったのだろう。
もしも、このままオープニングを進めないでいるとどうなるのだろうか。
いつまでもゲームは始まらないのか。
それとも、勝手にゲームが始まってしまうのか。
あるいは、進行を拒否したプレイをしたとして、事故直後の自分に戻されてしまうのか。
――もう、どうでもいいや。
どうなるか分からない。
でも時間の許す限り、エマはここでネコを抱いていようと決めた。
「……呆れた保存食だな、お前。私に喜劇を見せると約束した道化が、こんなところでなぜ辛気臭いツラをしているのだ」
泣き顔をあげると、そこにはアイスドラゴンがいた。
どうやらオープニングで城に行かないと、ここで殺されるらしいとエマは悟った。
「その猫はどうした?」
「……死んだんです」
「お前が殺したのか?」
エマは元の世界で助けられなかった二匹の猫を思い返した。
一匹目は見殺しにし、二匹目は見殺しにできないと必死に助けようとしたが、それもダメだった。
つくずく情けないと思った。
「……そうですね。この子を殺したのは、私です」
「何故そんな嘘をつく? お前が何かしたわけではないのだろう?」
「……はい。でも、助けられなかったのなら、殺したのと同じたと思うんです」
なかばヤケクソで言ったエマの言葉に、なぜかアイスドラゴンは真意をつかれたように俯いた。
「……そうか。なら、この猫を殺したのは私だな」
そう言うと、アイスドラゴンはエマの隣に腰を降ろした。
そして彼女の腕からはみ出ている猫の腕に、アイスドラゴンが触れ始めた。
「この猫はな、ノアルという。不遜にもこのアイスドラゴンに餌を求めてすり寄ってきた愚かものだ。万物が恐れる氷の魔女に対して許し難い無礼者だった。だからな、贅沢病で殺すと決めていたのだ。栄養価の高いエサをやり、堕落を誘うような温かい寝床を用意し、毛が抜ける程撫でまわして。そして愚かにもこの猫は、今日はついてくるな、と言ったのに。ついてきよった。そして私の目を盗んで街へ散歩に行っている内に、どういう訳かこうなった。だから、この猫は私が殺したのだ」
「……猫を……ノアルを殺したのは、貴方じゃありません」
何気なく言ったその言葉に、アイスドラゴンが少し震えたように感じられた。
「自分で言い出した理屈だろう。そのぐらい……守れ」
アイスドラゴンは立ち上がると、エマを暗い瞳で見下ろした。
「お前、いや、エイミー。いや、エマか。エマは猫が好きか?」
エマは少し考えたが、毛玉の温もりを思い出したとき頭をふっていた。
「……いいえ。猫は、ダメです。アイスドラゴン」
「私の名はエイリスだ。……そうか。ダメか。なら、私はエマがダメかも知れないな」
エマの泣きはらした目を見つめているうちに、アイスドラゴン、エイリスは溜息をつき、目元の涙を拭うと、微かに笑った。
*
キーワード:エイリス。
氷の魔女アイスドラゴンの真名。
真に心を許した存在にのみその名を伝えるとされる。
*
「そして、エマ・フレイトナー。お前は色々と例外尽くした。女でありながらレディーではなく騎士と名乗り、従者も連れず、そもそも名家の生まれではない。推薦人は故郷の家族のみで、王の騎士『キングズ・キーパー』に叙任された場合でも、お前には軍も馬も城もない。それどころか、鎧さえまとっていない。それでマーカス王直属の護衛騎士を務められると考えているのか?」
エマは我に返った。
あのオープニングでの場面、叙任式でマイスター・レイヴンに詰問されるシーンまでゲームは進んでいるらしい。周囲の騎士見習いから侮辱するような笑いが、また漣のように起きている。
「そこのエマ・フレイトナーの従者ならば私がなってやろう」
玉座の間へ突如現れた少女。
汚らしい猫を胸に抱いた場違いな彼女に、皆が顔をしかめたが、
しかし身体にまとう凍えそうな魔力からその正体を認めて、場は騒然となった。
騎士見習いとキングズ・キーパーの騎士たちは一斉に王を守るように構え、そして貴族や聴衆は悲鳴をあげて壁際に張り付くように退避した。
「私の魔法は万の軍に勝り、駆ければどんな駿馬も追いつけん。城が欲しければ城破槌でも破れん氷の城を築いてやる。エマの推薦人にはこの、アイスドラゴンも加えよ。愚かなマイスターと老いた戦王よ。これが氷の魔女を王国の指揮下に置く唯一の機会と知れ。くれぐれも判断を誤るなよ?」
面食らった様子の王だが、即座に意を汲んで手をあげると、騎士たちは警戒態勢を解いた。
しかし彼女はそれに目もくれずエマの隣に並ぶと、少し背伸びをして耳にささやいてきた。
「黙って行ってはならぬぞ。私のTSUMAよ。寂しいではないか」
エマは聞き違いかと思ったし、何だと聞き違えたのかもよく分からなかったが、今は気にしないことにした。
それよりこの展開はどうなっているのだ。
自分はこのアイスドラゴンの命令で王殺しの法を成す流れが始まるのではなかったか。
エマはふと前回のオープニング中に見つけた『キーワード辞典』を思い出し、キャラクター名を参照した。
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キーワード:エイリス。
氷の魔女アイスドラゴンの真名。
飼い猫ノアルの命をエマが救ったことが切っ掛けで親しくなった。
彼女を(人間としては初めての)家族と考えている。
そして血縁関係のない状態で人同士を家族とする手段には結婚があることを知っており、故にエマを(勝手に)妻とした。
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ちょっと意味が分からなかった。
茫然としたがこのあと、キングズ・キーパーに加えられたことと、サー・ハイペリオンに親指を立てられたことだけは覚えている。
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「エマちん、アイスドラゴンかなり好きだよね。けどそれ開発者がデバッグや違反者駆除用に作った公式チートキャラが元ネタだから、たぶん仲間にならないよ」
「ううう。また私のささやかな夢が」
「全然ささやかじゃないって。前にゲーム記者に能力値がリークされてたけど、魔力量が最大値255でさえなくKKだって分かってバズったんだよ」
「なにそのKKって?」
「Kはキロで1000の意味だから1000×1000で100万」
「え?」
「そう。だからこんなの仲間になったらゲーム環境が壊れるし、脳死でゲーム進められるでしょ。まぁだからデバッグ用なんだけど」