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3:シュルトルーズ家のファミリア:その13『ファミリア』

「待って。全部、ウソなの」


 とライトドラゴンは言った。

 エイリスはその意味がよく分からなかったが、そこには耳を傾けるに値する希望(なにか)があると本能で感じられた。

 目を向けると、ライトドラゴンは地上に落ちており、そして拍子抜けするほど情けない泣き顔でボロボロと涙を溢していた。

 地に臥せり、這いつくばっている。

 もはや惨めとさえ、いや、気の毒とさえ言える程の有様で、へたりこんで泣いていた。


「うえうううう。ふええっぐ。うううう。ごめんなさい。ごめんなさい。ううう」


 先のドラゴンとはまるで別物だった。

 そしてもう彼女には、計略も戦意もへったくれもないことは、全員の『静止』が解除されていることからも明らかだった。

 総勢2千の皆がざわつく中で、彼女は独白する。


「……うううう。ふええっぐ。『本物』は、ぐす。全部『鏡世界(こっち)』に、いるの。うぇっぐ。外の方が、全部、『虚像(にせもの)』なの。ふううう。だから」


 マーカスも生きているし、

 エマと言う人も、

 サッコと言う人も、

 ここで、生きている。

 ボロボロボロと、ライトドラゴンは目を擦って泣きながら続けた。


「ふえうう。誰も、私の話。ひっぐ。聞かないから、ううう。『本物』をこっちに閉じ込めて。ひっぐ。怖い『虚像』を外に出して。うううう。殺し、合い、させたの。ひっぐ。それを見せて、うううう。こっちに、住んで欲しかっただけなの」


 だから、誰も、

 誰一人も、死んでない。

 殺していない。

 傷つけていない。

 そして鏡世界にいる『本物』は、

 そもそも傷をつけられない。

 そして外にいる『虚像』も、

 外の何も傷つけられない。

 皆、無傷で生きている。

 言葉の意味を理解したエイリスは、その場で崩れ落ちる。

 魔方陣は一瞬で消失し、世界から青色は失せた。


「……なんでだ? なんで……、そんな馬鹿な真似をした? ……なんで。そこまでして、何で」


 強烈な眩暈を覚えたエイリスは、そのまま寝込みそうになった。

 失神さえしそうだった。

 安堵の瞬間に訪れた徒労が、彼女のなかで発散している。

 この騒動を一言で片づけるなら


『 全 部 う そ 』


 になってしまうのだ。

 そのせいで天地がひっくり返るほど大騒ぎし、

 激怒し、絶望し、悲嘆し、

 そしていま拍子抜けした。

 一体本当の目的は何なのだ。

 この狂騒の正体は何なのだ。

 何が狙いで、このドラゴンはこんな真似を仕出かしたのか。

 何もこれはエイリスだけの感想ではない。

 ほとんど多くの者が、同じ感想を抱いていた。

 そしてその解答を、ライトドラゴンは端的に答える。


「寂しかった。一人だけの世界が。……だって」


 私 は、 皆 の マ マ な の に 。


 絶句し、茫然とするしかなかった。

 ママなのに? 

 寂しかった? 

 何だそれは? 

 そんな理由で王国やシュルトルーズ家の者達を封じ込め、

 世界を混乱させていたのか? 

 もはやそれは、人間の理解を超えていた。

 一連の話を棒立ちで聞いていた2千もの軍勢。

 彼らも未だポカンとしている。

 そしてしかし、この収拾をつけるべく現れたのはモニカ姫で、彼女は『賢者の書』を手に出てきた。

 そしてへたり込んだライトドラゴンの隣まで来ると、皆を振り返り、加筆されたページについて話す。



 ライトドラゴン:

 ライトとは光であり、太陽の象徴である。

 それは大地の実りを育てる慈母の由来であり、

 故に大地で暮らす人もまた、彼女にとっては子である。

 最優とは『最も優しい』の意味であり、彼女には我が子たる人を殺すことができない。

 せいぜいで閉じ込めて、怖がらせる程度だ。

 それはモンスターにとっても同様であるため、

 戦闘に関しては『最弱のドラゴン』と言える。

 しかし古いシュルトルーズ家の者達はそう呼ばず、

 彼女を『最優のドラゴン』と呼んで慕った。

 もっとも、その存在しないはずの『真の逆鱗』を見つけてしまい、

 触れた時、もしかしたら『最も優れた』の意味として解釈されるほどの力を、

 彼女は不本意ながら見せつけてしまうかもしれない。



 モニカは『賢者の書』を閉じてから話した。


「ライトドラゴンは子離れ出来なかったお母さん。そして今回の騒動は彼女の起こした癇癪、ということです。でもやっぱりドラゴンだから、私達の知っているお母さんのそれよりちょっと激しかったみたいですが」


 総勢2千は脱力するように肩を落とした。

 マーカスもハイペリオンも顔を見合わせ、どう始末をつけたものかと苦笑している様子だった。

 そこから歩いてきたのはエマだった。

 彼女はライトドラゴンの傍に来ると、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「ライトドラゴンさん。あなた、お名前は?」


 それはエマが、『無明の牢』でマルスから問いかけられた言葉だった。


「私には……名前がありません」


「そう。それじゃあ決めてライトドラゴンさん。自分のなりたい名前に。……私も『牢屋』でマルスくんに、いえ、王陛下からそう教わったの。何者か分からないなら、何者となるか自分で決めなさいって。貴方はどう呼ばれたい? 何になりたい?」


 自分の名前を決める。

 それはライトドラゴンにとって、とても難しいことだった。

 皮肉なことに、皆から記憶と名前を奪い、

 暗闇に閉じ込め続け来た彼女こそ、

 ある意味で『鏡世界』で最も孤独な囚人と言えるかもしれなかった。

 そしてそんな彼女にエマは言った。

 なりたい者になれ。呼ばれたい名になれと。

 ライトドラゴンは目を閉じる。

 もしも許されるなら、迷いなく欲したものの名が一つ、彼女にはあっだのた。

 何故ならそれこそ、

 ライトドラゴンの由来に通ずるものであり、

 彼女が存在している理由でもあり、

 そして、もしかしたら今回の度が過ぎた癇癪を招いた理由でもあるのだから。


「……家族(ファミリー)


 ライトドラゴンが皆に望み、そして自分も望んだ『家族』。

 彼女はそれを呟いた。


「悪くはないですが、んんん」


 と軍勢に紛れるようにして、腕を組んで思案しているのはメープルだった。

 この『鏡世界』でエイリスの魔法が破れた時に備えて、

 溶けた『氷刃』を苗床に生まれた『リヴァイアサン』が今も皆を睥睨していることには、

 まだ誰も気付ていない。

 エイリスのもたらす永久凍土を万一乗り越えることがあったとしても、

 その先には『神殺しの劇毒』が待っていたのだ。

 そして群衆を『ぬぐぐ』と掻き分けて出てきたのはイゾルデだ。

 彼女は溜息を一つついてから、メープルの痒い所に手が届くような提案をする。


「女性らしく、ファミリアにしておきません? ライトドラゴン・ファミリア。皆の家族ですわ」


 ファミリア、とライトドラゴンが呟くと、

 その口元が少し微笑みの形に和らいだ。

 皆がそれを境に「ファミリア」と呟き始め、漣のように広がる。

 王はその様子を満足げに見回すと、ライトドラゴンに語り掛ける。


「ライトドラゴン・ファミリアよ。鏡の外は、お前の忌避する争いに満ちた野蛮で残酷な世界が広がっている。今日までのように、目を背けて蓋をしてしまうのも一つの手だろう。しかし、真の太陽ならば照らす先を選ばない。そして真の母は、子が過ちを犯せば見捨てるのではなく、導くものだ。お前が全ての母であり、太陽であり、家族だと言うなら、いまからでも証明してみせろ。すぐに決めろとは言わん。『子供たちを心から愛せる』と決心したら、王国に来い。俺はお前を歓迎する」


 総勢二千は何も言わなかったが、銘々に頷いて彼女を見つめていた。

 ファミリアは俯くと、しかしその頭を左右へ、否定向きに振った。


「……ごめんなさい」


 と。


人には人の、ドラゴンにはドラゴンの愛し方があるようです。

間もなく、物語の幕は閉じます。

もう少しお付き合いください(ぺこり)

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