3:シュルトルーズ家のファミリア:その11『ノース・ブレイカー』
ライトドラゴンは、マーカスの振り下ろした刃をまるで小道を遮る小枝のように避けて、
まずは王と守護騎士の後ろにいた親衛隊を一人、『静止』から解放して焼いてみる。
ライトドラゴンの小さな手が触れた瞬間、そこに緑色の炎が灯った。
「ああ!?!? あああああ!!!! あああぐううううう!!!」
一人だけが『静止』の世界から解放され、
エメラルド色に燃え盛り、
そして真っ黒な炭になって消えた。
ライトドラゴンは状況を見守る。
そして『繰り返し』は起きなかった。
――やはりそう。つくずく王様ってすごいわね。
ライトドラゴンはほくそ笑んだ。
そこから緑炎による虐殺は始まった。
一人、また一人と『静止』を解除しては焼き殺し、その悲鳴を聞き続けた。
いつしかそれが心を抉る傷から、背筋が寒くなるほどの快感になっているとも知らずに。
その数はあっという間に10、50、100と膨れ上がっていく。
いまやライトドラゴンは悪神だった。
――さあ、ドラゴンに刃向かった愚かな王と側近よ。
――間もなく訪れる絶望に膝をつきなさい。
――お前たちが気付いたとき、もうそこには何者もいないのだから。
そうして新たな騎士を一人焼き殺そうと『静止』から解放したとき、その口元が動いた。
「 課 金 剣 」
え、とライトドラゴンが見開いた目には、
即座に六つの太刀筋が身体を包囲していた。
慌てて彼女を再び『静止』させる。
馬鹿な、と思った。
たとえ刃が幾つであっても、この『静止』した世界なら避けるのは容易だ。
止まっているからだ。
しかし、この六つの刃は絶妙に自分を包囲していて、どう身体を動かしても避けられないのだ。
「く!」
ライトドラゴンは窮地に陥ったことを知る。
回避できない。
しかし恐らく、この剣撃は焼ける。
六つとも焼けるだろうが、焼いた瞬間、この得体の知れない騎士の時間も再開する。
そのとき、自分はこの騎士からまた予想外の攻撃を受けるのではないか。
無傷で勝てるのか。
それは戦ったことがない者が抱く死の恐怖だったが、ライトドラゴンはその感覚をまだ知らない。
――いや、今はもうこれしか賭けがない。
ライトドラゴンは決意し、『静止』を解除する。
瞬間、六つの刃を焼き払い、即座に女騎士にも緑火を放つ。
燃える騎士の放った次の剣閃は、ライトドラゴンの首の皮一枚を掠めて空振り、
そして騎士の断末魔は炎に消えた。
危なかった、とライトドラゴンは首を抑えつつ安堵した。
そのとき。
「 課 金 剣 」
衝動的に『静止』する。
何だこれは。
時間が戻っている。
『繰り返し』ている。
それも別の瞬間にだ。
さっきより状況が悪い。
王たちが突撃してきたタイミングではなく、この女騎士を焼き殺す直前でだ。
どういうことだこれは。
なぜ、『繰り返し』がここで起き、
そして巻き戻る瞬間さえ変わったのだ。
その劇的な変化ながらもシンプルな事実から、ライトドラゴンは真実を理解した。
この『繰り返し』が一体、誰の仕業なのかを。
眉間に皺が寄る。
――こいつか。こいつが『繰り返し』の元凶。
――……いったい何者なのだ。
――私の『鏡世界』で、こんな魔法じみたことを。
自分の周囲をまたも囲む六つの刃に焦燥しつつ、ライトドラゴンは思った。
さっきは緑炎でこの六つの刃を消して、さらにこの女騎士を仕留められることは確認した。
だが、それでこの女騎士を殺しても、また『ここ』に戻って来るのではないか。
それに、もしこの女が意図して『繰り返し』をしているなら、
あの外れた最後の一撃を、修正してこないだろうか。
ライトドラゴンは首のかすり傷をさする。
――いや、大丈夫だ。それさえもかわしてみせる。
そして、今度は女騎士を殺さずに『静止』させる。
そしてコイツが『繰り返し』の黒幕と分かった以上、コイツ以外を殺していけば良いのだ。
それが分かれば恐れることは何もない。
ライトドラゴンは冷静にそう分析すると、
再び六つの刃を焼くべく女騎士の『静止』を解除しようとして、
それが不可能であることに気付いた。
「……何だ、お前は」
軽装の女が、女騎士を守るように立ちはだかっていた。
見慣れない東方の武胴着をまとっているこの女、間違いなくさっきはいなかった。
もしも、自分に殺到する六つの刃を避けつつ、
『静止』を解除するため女騎士に触れようとしたら、
途中で必ずこの女にも触れて、『静止』を解除してしまう。
――いや。大丈夫。先にこの軽装の女を殺せばいい。
女騎士に気を取られ過ぎていた。
この忌々しい六つの刃を避けて手を伸ばし、
それに届く範囲のヤツであれば、
先に『静止』を解除して殺してやれる。
そうすればよいのだ。
ライトドラゴンは決心し、即座にその女に触れた。
「 課 金 拳 」
その拳は反応できる速度を遥かに超えていた。
衝撃ひとつ。
気付けばライトドラゴンは空高く彼女に打ち上げられていた。
だが、光魔法の加護でダメージはほとんど負っていない。
眼下の女を再び『静止』させてやると、間抜けなことに、その顔は笑みを浮かべていた。
恐らくこの一撃で仕留めたと勘違いしたのだろう。
だが、ドラゴンはそこまでもろくないのだ。
――殺してやる。
ライトドラゴンは自身の顔が見にくく歪んでいる事に気付く前に、初めて一つの感情を新たに知った。
絶望だ。
中空に静止している自分、
それに360度全方位から放たれ、
そして今まさに自分を刺し貫かんとする密度で迫っている無数の氷の刃。
それに気付いた。
何時の間に、こんな巨大な氷魔法が展開されていたのだ。
どうして私は、気付けなかったのだ。
――ああ、『ワルキューレ』で溶けていたのだ。
何度も。
だから、あのときは気付けなかったのだ。
そして『ワルキューレ』による皆殺しを止めたころには、
『繰り返し』の謎を解くために人間ばかりに、
地上ばかりに注意を向けていた。
だから、それ以後も気付けなかったのだ。
――どうする? この氷魔法を焼くか?
焼けば、その執行者の『静止』も解いてしまう。
それは極めて不気味な話だ。
これほどの氷魔法の使い手と、『ワルキューレ』なしに戦うのは心もとない。
仮に『ワルキューレ』で全てを焼いてしまえば、今度こそどんな瞬間に戻されるか分からない。
どうするか。それでもワルキューレで焼き払うべきか。
――ダメだ。恐らく今度こそ、あの女騎士にどうしようもない瞬間に飛ばされる。
――この氷魔法だけを焼いて、使用者と戦うしかない。
ライトドラゴンは決断し、全身を光魔法で発火させて氷刃を焼いた。
『静止』から解放された氷刃は豪雨の如く次々と殺到しはじめる。
しかし焼け石に水とはこのことだ。
いかに強力な氷刃でも、シュルトルーズ家では太陽の化身とも伝わるライトドラゴンなのだ。
ひとたび光の魔法を纏えば、その灼熱する身体には触れることも叶わず融けてしまう。
「愚かな選択をしたな、ライトドラゴン。よりによって私の枷を解いたか?」
声のする方に目をやると、半透明のドレスを着た少女が同じく中空にいた。
氷の竜にまたがり、額に魔力の結晶たる角を尖らせた彼女。
言うまでもなくアイスドラゴンだ。
ライトドラゴンは動揺を押し殺す。
大丈夫だ。
光の魔法を続ける限り、氷の刃が自身を貫くことはない。
そして自分の魔力量は絶大だ。
並の魔女の数千倍はある。
先に魔力切れを起こすのは、間違いなくアイスドラゴンだ。
*
「サッコ。三章に出てくるライトドラゴンの魔力量もチートレベルらしいよ」
「そりゃそうだよ。『ドラゴン』だもの。戦っちゃだめ」
「それってアイスドラゴンより強い?」
「おや? エマちんは算数苦手っぽいぞ?」
*
氷の瀑布があればまさにここだと、そう思わしめる氷刃の殺到は、
しかし悉く殺到先の『太陽』で消失していた。
これだけの物量をもってしても、一傷さえ付けられない現状を不快に思っているのか、
エイリスは目を細める。
「魔女の魔力量を1としようか。するとライトドラゴン、恐るべきことにお前は5000だな」
ライトドラゴンもまた、気を抜かないよう光魔法を纏いながら応じる。
「正確に魔力量を計測できるようね、あなた。そうよ。絶望した? 命乞いする?」
と笑って見せる。
弱気を見せてはいけない。
魔法を纏っている限り傷一つつかないだろうが、言い換えれば魔法を切らせば即死だ。
そして着実に魔力量は減っている。
量で競り負けることはまずないだろうが、気を抜けば死んでしまう。
――それに、アイスドラゴンは氷魔法よりも罠系魔法で有名だ。何か仕組んでいるはず。
周囲を警戒している様子のライトドラゴンへ、しかしエイリスは失望をもって答える。
「寝 ぼ け る な 愚 竜 。 私 は 1 0 0 万 だ 」
どんどんどんどんどん、と空を鳴動させる衝撃。
広がる無数にして巨大な魔方陣の数々。
それはまるで打ち上げ花火の連打を思わせた。
そして展開された魔方陣からは、
これまでの数百倍の密度で氷刃が放たれ始めた。
その規模と密度に、ライトドラゴンは思考が停止した。
*
氷の初級魔法『アイス・レイン』。
鋭く尖った氷刃を一定時間のあいだ敵に飛ばして、一定量のダメージを与える。
初級と言っても馬鹿にしてはいけない。
この魔法は使用者の魔力量に素直に比例する。
かつて、アイスドラゴンは自らの逆鱗に触れた主人公の国をこれで滅ぼし、
特に彼女が用いたそれは『北国殺し:ノース・ブレイカー』という災厄に認定されている。
*




