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3:シュルトルーズ家のファミリア:その8『ライトドラゴンの最大魔法』

「だから、ううう。だからああ。ふえううう。ここ、ここの世界にいたら、みんな、みんな安全なんですよおお。ふえううう。おね、お願いですう……うえっうえ」


 ここは不思議な鏡の世界、と言うほど広くもない、有り触れた石牢のような部屋。

 そこでモニカ姫は『賢者の書』を開きながらも眩暈を堪え、

 そしてイゾルデは泣き止む様子のない彼女――ライトドラゴンの頭を撫でさすっていた。

 眩い金髪。

 新緑色の瞳。

 アイスドラゴンよりも小さな体躯。

 サイズの大きなローブはまるで着せられたようだ。

 その幼い彼女の泣いている姿は、見るモノの庇護欲をいやがおうにも掻き立てる。


「まぁ、気持ちは分からないでもないですわ。戦乱につぐ戦乱の世界ですもの。逃げられる方法と優しい心と、そしてその力があれば、誰もが『やってしまう』のかもしれませんわ」


「ええ。でも、だからこそ帰らないと大変なことになる」


 モニカが今、粗末な机の上で開いている『賢者の書』には、ライトドラゴンに関する新たな記述がこのように浮かんできたばかりだった。




 ライトドラゴン。

 シュルトルーズ家の古い守り神で、光の魔法を操る精霊。

 太陽と慈母の象徴でもあり、土地に豊穣をもたらし、人々の幸福を願っている。

 逆鱗の見えないドラゴンと言われ、争いごとが大嫌い。

 最大魔法『鏡世界』により、現実世界の『存在』を鏡の中に引き込む力がある。

 ただし、彼女の本質が善であることが災いし、

 『存在の半分』である『善』の部分しか引き込めないようだ。

 つまり、現実世界に残るのは、引き込まれた者の『悪』である。



「……違和感を感じた自分を、地下牢で縛って置いて良かったわ」


「私も、今になってお姫様の判断に感謝いたしますわ。まあ、それでも外はアンデッドだらけでしょうけど」


 モニカが、『王国で何か起きている』と感じたのは遡ること十日前だった。

 剣の稽古で剣を落とすハイペリオンや、騎乗しているマーカスが愛馬でバランスを崩すなど、

 些細ながらもありえない珍事を目撃した。

 自分もそうだ。

 完璧だと自負していたテーブルマナーで何度か肉の切り方がなっていなかった。

 なんというか『居心地の悪さ』を感じたのだ。


 ――これは私じゃない。


 鏡の前で、『何度も』そう気付く瞬間があった。

 それはつまり、だから。

 この違和感は忘れてしまうものなのだ。

 そして、彼女は何度目かの気付きの時、その時間だけは憶えておくことにした。

 たとえ違和感自体を忘れても、その時間さえ覚えておけば、

 そこから『何を切っ掛けに気付いているのか』を、見つけられるかもしれないと思ったのだ。

 そしてモニカは『それ』を特定できた。

 読書の時間に気付いている。

 モニカはいつも『旅の友』として愛読している小説を開いて愕然とする。

 なんと文字が左右反転しているのだ。

 そこから慌てて、書棚から他の本を読み漁ってみたが、なんと全ての本で文字が反転していた。

 まるで、鏡に映した本のように。

 異変が起きていたのは人だけではなかった。


 ――この世界、そのものだったなんて。


「くそ」


 と、悔し気で恐ろし気な呟きが、自分の口から洩れていることに気付いてゾッとした。

 本から顔をあげてみると、鏡の自分が醜悪な顔をして笑っていたのだ。

 そこからの判断は早かった。

 まずは手近にいたドラゴン――ブラックドラゴン・イゾルデを薬で眠らせ、

 さらに『沈黙の薬』を飲ませて一時的に魔力を消してから、地下牢に監禁した。

 途中で目覚めた彼女にはあらん限りの罵倒をされたが、それでもう『いつものイゾルデ』ではないことが分かった。

 だから、傷つく余裕などなかった。


 ――時間がない。私もいつまで私でいられるか、分からない。


 真相が分かり、そして解決するまで、力のある者を封じなければと思った。

 イゾルデをそうして地下牢に封じた後、玉座の間で歓声が聞こえてきた。

 新王ハイペリオン陛下万歳と。

 ああ、一手遅かったと嘆きながらも、

 しかし失いそうになる自我を必死に繋ぎ止めて、

 モニカは泣きながら自分自身を地下牢に閉じ込めた。


 ――誰か。誰か、この国を救って。


 内側から施錠した鍵を右手は投げようとしたが、左手がそれを止めようとした。

 もう変わり始めているのだ。

 その左手にモニカは噛み付いてから、右手の鍵を牢の外に投げた。

 その直後、牢屋にいたのはもはや国を救おうと奮闘したモニカ姫ではなく、

 もしも野に放たれていれば『崩国の長』となりえていた悪魔の策士が「くそ!」と吠えていたのだ。


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