3:シュルトルーズ家のファミリア:その2『マルスとダリア』
その二人は孤独だった。
どこまでも暗い闇の中で二人切り。
自分の名前も出自も、居場所も理由も分からない。
いつからここにいて、そしてこれからどうなるのか。
何もかもが不明の状況下で、ただ闇の中で過ごしていた。
「困りましたわね。わたくし、自己紹介から始めたいのに、自分の名前も憶えておりませんのよ。おほほほ」
一人が口を開くと、もう一人はそれに応じて口を開く。
「ええ。ボクだって同じです。名前を含めて丸きり何も覚えていません。残念ですけど、せめて一人切りでなかったことに感謝しています」
二人はそんな風に会話をしながらも、しかし自分と居場所の手掛かりを知るために、この暗闇の中を手探りで過ごしていた。
出口はないか。
光はないか。
他にも人はいないか。
諦めずに、この暗闇の正体を知る努力を続けているのだった。
しかし、掌には固く冷たい壁の感触があるだけで、ここに扉のようなものはないらしかった。
これではどうやって入ったのかさえ不明だ。
だから二人は闇の中で首を傾げている。
もっとも、記憶がない以上、生まれた時からここにいた可能性さえ否定できない。
だとしたら、自分たちは何者なのだろうか?
「わたくしたちに分かっていることは暗闇に二人きり。お部屋は別々だけれどお隣同士。本当に困りましたわ。おほほほほ」
ポジティブな話し方をしているが、実際は打つ手なしの現状に二人とも落ち込んでいる。
考えたくないが、このまま助けが来ずに餓死するかもしれないし、
その前に気が触れてしまう可能性もある。
それどころか、今より状況が悪くなる可能性だってある。
――いや。
ネガティブな思考に走ってはだめだと一人は頭を振る。
こんな時こそ気を強く持って、冷静に過ごさなくてはいけない。
出ないと、千載一遇のチャンスが訪れた時に、それを見過ごしてしまうかもしれないから。
やがて、一人がある提案をすることにした。
「あの、お互い名前も覚えていないなら、いっそ今から名前を作って、それで自己紹介をしませんか?」
そう言われて、もう一人もそれは名案だと思った。
記憶を失ったいま、仮に本当の名前を教えられたところで、そうだと実感できないかもしれない。
それなら、お気に入りの名前を自分で名付けてしまって、それを呼び合う方が楽しいかもしれない。
精神を正常に保つためにも重要なことだった。
「おほほほ、素敵ね。賛成ですわよ。わたくし、それではダリアとお呼びくださいませ」
ダリアと名乗られて提案者は嬉しくなった。
だからこれには自分も応じなければと、
「はい、ダリアさん。初めまして。それでは、僕のことはマルスと呼んでください」
と、そう名乗った。
そうして二人はダリア、マルスと呼び合うことにした。
「それにしても、何とかここから出る方法はないかしら? きっと、わたくしにもマルスくんにも素敵な家族がいて、二人が帰って来ないことを心配しているはずですわよ」
ダリアはそう言った。
もちろんそれは憶測に過ぎないが、なるべく希望を持てるような明るい話を続けたいと思ったのだ。
何せ周囲は闇で何も見えない。
正気を保って気を強く持ち続けるためには、明るい話が欠かせない。
「そうですね。そしてもし、家族が僕たちの事を心配して探してくれているなら、大きな声を出せば気付いてもらえるかもしれません。……ね。やってみます?」
マルスも、同じように希望を持てるように話を合わせた。
そして、相槌がただの気休めだけに終わらないよう、
状況を変えるような提案も加える努力をしようと決める。
ダリアもまた、マルスのそうした機転を読み取りつつも、よく考えるようにした。
「……そうですわね。でも、もしもわたくし達を閉じ込めた悪い人達がいて、その人たちに、その大声を聞かれたりしたらどうしましょう?」
実際、それは無視できない考え方だった。
たとえば、自分たちは毒か何かを盛られて始末され、どこかに捨てられたが奇跡的に生きていた――そんな二人である可能性もあるのだ。
もしもそうなら、記憶こそ喪失したものの二人は九死に一生を得た訳である。
迂闊な声をあげるのは、ダリアの言う通り危険かもしれなかった。
「……確かにそうですね。それに外に誰もいなかったら、いたずらに体力を使うだけですし、まずは大人しく待っていましょうか。お話でもしながら」
マルスはそうやって同意しつつ、ダリアの冷静さを頼もしく思った。
「そうですわね。おほほほ。ところでマルスさんは、コーヒーと紅茶、どちらがお好きかしら?」
そんな感じに、マルスとダリアは会話を続けて孤独を慰め合いつつ、
何かここから抜け出す手掛かりがないかを引き続き考えるのだった




