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2.2:【幕間イベント】私立学園エイリス・その4

 ぎり、っとドアノブを捻る。

 どくんどくん、と胸が高鳴る。

 身体がありもしないクラッカーを警戒してすくんでしまう。

 ドアの傍に隠れていないか。

 カインたちの笑い声が弾けないか。

 脳裏に嫌味な笑い顔が過ってしまう。

 それ以上にエイリスの言葉が、でも。


「早く入って来いエマ。ここには私だけだ」


 エイリスの声がして、我知らず閉じていた目を開けた。

 彼女は部屋の奥、閉じたカーテンを背にし、窓枠に腰かけて、少しうんざりとした様子で僕を見ていた。

 何か言わなければと頭をフル回転。


「今朝は……その。ごめん。不注意でシャワー開けちゃって」


 キョドった末に、最初に出たのは謝罪の言葉でございました。

 そしてそのことはエイリスにとっても予想外だったようで、

 彼女は目をパチクリと瞬かせた後、クスリと笑った。


「成長って奇妙だな。昔はエマと一緒にお風呂に入ったり、同じベッドで眠ったり、服の交換なんかもしたりした。そんな風に過ごしていた時期もあったというのに。私が祖父に連れられて、父方の故郷スウェーデンに帰って10年と過ごすうちに、身も心も随分と変わってしまった。お前に見られて恥ずかしい、そう思う自分に混乱もしたよ」


 言いながら、

 エイリスは窓枠にかけていた腰をトンとおろして、

 僕の方へ一歩、二歩と歩いてきた。


「それにしてもエマは学ばないな。昨年は同じ手で惨めな目にあっているというのに、ノコノコとやってきて。まさか懲りていないのか? 私が同じようにクラッカーを鳴らして、お前を大笑いして馬鹿にしてやれば、少しは賢くなれるのか?」


 ぐうの音も出ないと感じたけれど、

 僕は同意できなかった。


「賢くならないよ。僕を呼び出したのがエイリスなら、たとえたちの悪い悪戯のリスクがあったとしても、必ず会いに行く。もちろんそこでバカにされたら腹も立つし、まぁメンタル強くないから相当凹むだろうね。でもさ、エイリス一人を待たせて置くリスクの方が、僕は嫌だよ」


 エイリスはその意味を考え込むように

 『ふむ』と小さな顎に手を当てると、

 彼女なりに得心したように頷き、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

 ずるいな、と思わせる笑顔だった。


「及第点としよう。じゃ、土産に持って帰れ。これが欲しかったのだろう? 当然義理だが」


 エイリスは容赦なくそう言って、

 さっきから隠そうともせず手に持っていたチョコを僕に突き付けてきた。

 誰が見ても分かりやすい義理チョコ、市販品。

 申し訳程度のリボンがより強く実感させるそれを、

 エイリスは「ほら」という感じに差し出していた。


 ――そりゃ、そうだよね。


 僕は頭を振って失礼な気持ちを振り払う。

 素直に喜ばないと。

 エイリスなりに機転を利かせて僕にプレゼントしてくれたんだ。

 義理だからいらない、などと最低なことを言ってはいけない。

 言葉だけじゃなく、想像力を働かせなくちゃいけない。

 彼女は『僕がチョコを欲しがっている事』を覚えていて、

 そのことを考えながらこのチョコを買ってくれた。

 そのときにも『リボンがある方が少しは喜んでくれるか』などと考えながら買い物をしてくれたはずなのだ。

 そのときは寒かったかもしれないし、忙しかったかもしれない。

 義理だから、と簡単に片付けてはいけない。

 そこに存在した物語をきちんと想像すべきだと、僕は思っている。


「ありがとう、エイリス」


 僕はそれを両手で受け取ろうとすると、サっと引かれる。

 え? と思う間もなく、彼女はそれを目の前で開けてしまう。

 箱を開けると中には一口サイズのチョコが六つ。

 呆気に取られている僕の前で、彼女はそれをひとつ『あむ』っと食べてしまった。

 もぐもぐ、もぐもぐ。

 とても可愛らしい笑顔でチョコを頬張っておられます、エイリスさん。

 一つ、二つ。

 ああ、『これ』もすっかり忘れていた。

 エイリスがスウェーデンから帰ってきたとき、

 彼女がこういうS気全開なことをして楽しむ凶悪キャラに確変していたことを。

 祖父による帝王学と英才教育の賜物とご本人は自負してらっしゃいましたが、人それを暴君という。

 もはや苦笑と溜息しか出ない。

 今年のヴァレンタインは、エイリスに一杯食わされたのだ。


「やれやれ。やっぱり、エイリスはエイ――」


「本命だ受け取れ」 


 飛び込んで来たエイリス。


「……ん」


 何をされたか、僕は理解できない。

 大きな衝撃が起きたことだけは確かだ。

 それはものすごく、大きくて。

 人生初で、最大で。

 心臓がバクバクと鳴りやまない。

 なのにただ、とても良い匂いがした。

 クラクラするぐらい甘い柑橘系の匂い。彼女の髪や肌から香る匂い。

 彼女の温度を全身に感じる。

 少し開いた窓から流れる風が、彼女の髪を揺らしている。

 首の後ろに回された細い両手は少し冷たい。

 でもなにより、口へ流れ込んでくる熱いチョコ。

 『ん』というくぐもった桜色の吐息。

 溶けるように甘く、頭が痺れていくような感覚。

 目の前の彼女は……目を閉じていて……。

 そっと、二人の間に糸が引いていた。


「……っはァ。 じゃあ、後は義理だからな? ……一人で。食え」


 両手を解いたエイリスの顔は真っ赤で、少し目が潤んでいた。

 でも彼女はそのまま唇の端に着いたチョコを手の甲で乱暴に拭うと、

 茫然と立ち尽くす僕を置いてタッタッタッタと出て行ってしまった。

 砕けそうになった腰。

 ヨロヨロと壁に僕は寄りかかる。

 ヴァレンタインで初めてもらったチョコは、何味なのかも思い出せない。

 たぶんそれは、ファーストキスの味で糊塗されてしまったのだろう。



「エマちん、鼻血が、鼻血が。……ティッシュ」


「サッコ。ここの運営、他の子でもやってくる気まんまんよ。お財布の紐に気を付けて」



私立学園エイリス-エイリスルート完 つづく

まだお話は続きます。まったりお待ちください。

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