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1:アイヴォリー家の謀反:その2『彼女がアイスドラゴン』

「お前なのか。……本当に……俺の娘、エイミー」


 エマはまだ困惑していたが、もう受け止めるしかなかった。

 自分はゲームの世界にいて、このまま進むと本当に王を殺して新王となり、色々な国と戦争が始まり、モンスターも侵攻してきて、自分は呆気なく殺されてしまうことを。

 老王の抱き締めてくる感触はあまりにリアルだから、きっともし自分が死ねばその時の感覚もリアルで、苦しくて痛いに違いない。仮にこれが夢でも体験はごめんだった。


 ――ゲームを進めたらダメ! そうだ! シナリオを壊しちゃえ!


 そう決意して、エマは王を刺し貫く予定だった短剣から手を離し、感動系バラエティー番組で見るような親子再開を演じることにした。


「はい父上。私こそ貴方が長年にわたって探し求めていたエイミー・ブラッドリーです。今日この日をどれほど夢見ていたことか。覚えておいででしょうか。父上が……えっと、南の国を平定する際、束の間空けていた陣が、少数精鋭の暗殺集団に襲われて、母が死に、そして私が攫われたことを」


「もちろん覚えている。毎夜あれを悔み続け、毎夜名前も顔も知らぬ暗殺集団を夢の中で殺していた。ああ、そうか。俺がその後、娘がどうなっていたのかを知りたがっていたのはもはや国中の知るところだ。だからお前は身の上話を、その続きを話してくれたのだな」


 順調に運んでいるが、ここからは完全にエマの知らない展開だった。

 しかしもう後にはひけない。


「はい。そして、私こそがキングズ・キーパーに相応しい理由はここにあります」


 そう言って、エマは忍ばせていた短剣を王に見せて、そして鞘に入れたまま王の胸に押し当てた。


「いま、父上は娘の名を語る刺客に殺されました。この通り、キングズ・キーパーも、その見習いも、マイスターも、それを見届けに集まった貴族たちも、誰一人として『これ』を阻止できませんでした。そしてもしもさらに、私が父上の作った『王殺しの法』を主張し、新たな王を名乗り、ここに集った各国の騎士見習いたちを皆殺しにし、あまつさえその首を送り返して宣戦布告するような凶行に及べば、いったいこの国はどうなっていたでしょうか?」


 エマはそう言って短剣を捨てると、蒼白になった王マーカス、茫然としているマイスター・レイヴン、そして騎士見習いたちを順番に見回した。


「王マーカスよ。父上よ、お願いです。どうか王の名において王殺しの法を葬ってください。そして形ではなく、心から王と国の身を案じるものを、この私を……。キングズ・キーパーとしてお傍に置かれますよう、心中よりお願い申し上げます」


 そうしてエマは深々と頭を垂れると、長い沈黙が玉座を支配した。そしてその後、万雷の拍手が鳴り響いた。


「プリンセスエイミー万歳!」

「キングズ・キーパーをエイミーに!」


 という賞賛の声が巻き起こった。

 エマは緊張から固唾をのんだ。

 言ってみればこれはゲームスタートの拒否なのだ。真にこの世界がゲームなら、この先にデータはないはずだ。間違いなく壊れてしまう。

 でも、そうしたら目が覚めて元の世界に戻れるはずだ。日常世界に。


 でも、元の世界って、どんなだっけか?


* 


 みゃん。


 肋骨の砕ける音をまた聞いた。

 右肩と左肩に押しつぶされて、私は抱き締めた猫と一緒にミンチ肉になるのだ。

 前より意識がハッキリしていたせいか、

 それとも二度目の体験で精神的ショックが少なかったせいか、痛みは数億倍に感じられた。

 潰れた食道に詰まった自身の血肉に溺れながら、帰ろうとした日常を、エマは全力で拒絶した。



 拍手の中でエマは、否、エイミーは噴き出すような汗に塗れた。もしもこのままゲームを不正に終了し、現実の世界に帰ればそこで人生が終わることを痛感したのだ。王が語り掛けてくる。


「ああ、分かった俺の娘エイミーよ。新たなキングズ・キーパー、エイミーよ。お前の願いを王として、そして父として聞き入れよう」


 拍手の中で、マーカスは涙ながらに行おうとしている。

 このゲームを破壊し、そしてエマを現実に連れ戻すための儀式を。

 王殺しの法を葬るための儀式を。

 エマはもはや知っている。現実での自分は十中八九先がない。

 死んでいる。

 つまりゲームの終わりはエマの終わりでもあるのだ。この世界にずっといたいとは思わないが、かと言ってすぐに死ぬのはごめんだ。


 どうする?


 エマは捨てたばかりの短剣に目をやった。

 このまま王を殺してゲームを始めてしまうべきか。

 それで多少の延命はできるだろうが、そのあとすぐにどん詰まりだろう。もしもこれが自分のアカウントの世界なら完全に無課金だ。最初に攻めてくるアイヴォリー家にさえ勝てたことがない。


 でも、今は、死ねない。


 エマは短剣に手を伸ばそうとしゃがんだとき、玉座の間にまで鐘の音が聞こえて来た。

 冠婚葬祭か敵襲か。考えるまでもなくそれは敵襲だった。

 ざわめく玉座の間に伝令が急報を知らせに来た。

 息もままならないままに彼は声を張り上げる。


「アイスドラゴンが、攻めてきました!」


 二の句を告げぬまま、彼は入口より吹き込んできた凄まじい暴風雪によって氷像と化した。

 貴族たちは混乱に陥り、キングズ・キーパーと騎士見習いたちは王とエマを守るように整列した。

 知らない展開ながらもゲームの世界が続いている。

 エマは固唾を飲んで、入口から現れた銀髪の少女を睨みつけた。


「……我が保存食よ。これはどういう余興だ? 聞いていた話と違うな。いまごろお前は血濡れた玉座につき、そして玉座の間は首なし死体が散乱。落ちた首は凶報と共に早馬が載せて各国へ駆け出している頃だろうに。これはどういう有様か説明してくれ」


 小柄な体つきに半透明のドレス、額の一本角は強大な魔力が凝結して出来た結晶と言われている。

 不老の代償で退化した身体のせいで幼く見えるが、その実は齢500を超えると言われている。

 彼女こそ主人公の故郷である北国を滅ぼし、そしてまた王殺しの刺客としててなずけた、アイスドラゴンの異名を持つ魔女だった。

 エマは一つの可能性に思い至る。

 これは意図通りにゲームを進めなかったプレイヤーに用意されたシークレット・バッドエンドの一つではないのかと。

 アイスドラゴンの言葉を受けて、疑惑の目がエマことエイミーに向けられた。

 王マーカスも目を剥いている。

 その様子を見てアイスドラゴンがほくそ笑んだ。


「身の上話を少ししたそうだが、肝心な話はしていなかったのか保存食よ。私とお前のなれそめだ。お前がどうやって北国から生き延びてここまでたどり着いたのか。自分の国の全てだけではなく、この国の全てを私に捧げる対価として、私の許しと力の一部を借り、この場で『王殺しの法』を成して私を楽しませる。その喜劇の主人公になる約束をしたから――という話だ。なんだ、お前たちは聞かされてなかったらしいな」


 カカカカと笑うアイスドラゴンの声が響くと、エイミーを見る周囲の目が恐怖と憤怒に歪み始めた。


「まぁ、これもこれで悪くない。さあエイミーよ。次の見世物はなんだ? 即興にしては上出来だが、もうネタがないなら早々に喜劇『王殺しの法』に戻れ。ここまで見に来てやったのだ。私を退屈させるな」


 この時点で王国の誰もが自分の敵になった。

 エマは吐きそうになる。

 アイスドラゴンに玉座を売った裏切者。

 そしてアイスドラゴンにとって自分は道化で保存食。

 ゲームの設定なら流せたのに、リアルに体験すると眩暈がするほど気分が悪かった。


 どうするか。


 アイスドラゴンに従って今から王殺しを成すか。

 それとも万一のチャンスにかけてアイスドラゴンに対抗するか。


「北国の災厄がはるばる王国にお越しとは恐れ入る」


 力強い声はキングズ・キーパーの長、神の目と呼ばれる騎士ハイペリオンだった。


「アイスドラゴン殿。貴方の話した事が全て嘘だとは言わないが、しかし全てが本当だと認めることもできない。少なくとも『王殺しの法』をエイミー陛下は成していないのだ。その計画とやらのどこまでが本当でどこまでが嘘なのか。その線引きを決めないか」


 ゆっくりと進み出て来たハイペリオンに、アイスドラゴンが目を細める。


「なるほど、決闘での決着か。知っておるぞ。神に審判を委ね、真実の剣には神が力を与える。故に決闘では真実の代弁者のみが勝利すると。そういう古臭い迷信が王国にはあったな」


「その言葉を神への冒涜と認める」


「正しく伝わったようだ」


 ハイペリオンが剣を鞘から抜き払うと、エメラルドに艶めく刃が淡く光った。

 これが騎士団の名にもなった『キングズ・キーパー』。王国の至宝中の至宝だ。

 ゲームの知識で言うなら、ハイペリオンは最高ランクのレアリティを持つ最強キャラの一人だ。ゲームが通常通りに始まると、王マーカスの死と新王エイミーの凶行に失望した彼は早々に王国を去ってしまう。そして彼を連れ戻して使用キャラとするためには膨大な時間とお金、緻密な攻略が必要になっている。彼を所有した状態のアカウントは数万円で取り引きされるほどだ。

 エマは思った。

 もし彼がアイスドラゴンと戦ってくれるなら、可能性は万に一つではない。

 五分五分だ。


「アイスドラゴンよ。私が勝てば真実の線引きはお前の喉元を超える。王国の民を殺し、造り話でエイミー陛下の名誉を汚し、そして神を冒涜した罪で城壁にその首が晒される」


「幼い王の騎士よ。私が勝てば全て終わるぞ。死んでも負けるなよ」


 騎士見習いや貴族たちが壁際まで下がり、二人が決闘するためのスペースを開ける。

 ハイペリオンは剣を正眼に構えると、アイスドラゴンは自身の手に凍えるような息を吹きかけ氷の剣を生成した。そしてそれを一振りして具合を確かめると、騎士を真似るように正眼に構えた。


「ちゃんばらゴッコは久しぶりだ。どれ、胸を貸してやろう」


「ゴッコかどうか。キングズ・キーパーの冴えを見せてやる」


 ハイペリオンの言葉と同時、その姿は消えていた。

 次に現れたときにはアイスドラゴンの胸を深々と刃が貫き、血反吐を吐いて目を見開く彼女を無言で見つめていた。

 早業というレベルを超えていた。

 次元の違う強さだった。

 あのアイスドラゴンが成す術もなく死んだのだ。


「騎士とは悲しいな」


 アイスドラゴンが笑った。

 そこでエマを含めたすべての者が、床に足が凍り付いたハイペリオンに気付く。

 そのままアイスドラゴンが身体を離すと、エメラルドの刃はぬるりと胸から抜け、みるみるその傷口が塞がった。


「備えあれば憂いなし。事前にかけておいた蘇生魔法だ。ちなみにまだ死ねるぞ?」


 エマは失念していた。

 アイスドラゴンは魔女であり、その強みは罠系魔法のような仕込みと発動だ。

 剣の決闘に応じた時点でおかしいと気付くべきだった。ここに現れて、皆に演説めいた話をする間に、既に発動時間が必要な魔法を彼女は仕込んでいたのだ。

 そして、その準備が追えたらあとは放つだけだ。

 玉座の間で、空気の凍る音がバキバキとなると、ハイペリオンの背後上方に巨大な氷の剣が現れた。

 もちろんその切っ先は彼に向けられている。


「卑怯だぞ……」


「卑怯? 魔女相手に剣で真偽を付けようとするお前は正々堂々と言えるのか? 呆れたな」


 憤怒に顔が歪むハイペリオンに、アイスドラゴンは眉根を寄せると指をパチンと鳴らす。

 すぐさま巨大な氷刃がハイペリオンを背中から串刺しにした。

 玉座の間には悲鳴があがり、騎士見習いと他の騎士たちは再び王とエマを囲むように陣を敷いた。


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