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2:ヴァニーユ家の白魔法:その14『水の神官シードラゴン』

 エイリスとイゾルデ、そしてドランの三人はモニカ姫の指示に従って海岸にいた。

 眩い夕日が空と海をもえるような赤色に染めているが、

 その美しさを堪能することはできない。

 空には虹色の彩雲が点在し、そしてやはり、蠢く巨大な蛇が透けて見えるのだ。

 リヴァイアサンだ。

 エイリスは掌を見つめる。

 まだ『沈黙の薬・改』の効果は続いている。

 魔法は使えない。襲ってきたらひとたまりもない。

 それはイゾルデも同様だ。

 彼女もまだ黒魔法を行使することはできない。


「ドラゴン陛下。始めても宜しいでしょうか?」


 ドランが二人に問いかけると、エイリスもイゾルデも頷いた。


「私はヴァニーユ家の当主、ドラン・ヴァニーユ!」


 ドランが声を張り上げる。


「偉大なるブルクレールの守り神、リヴァイアサンよ! 呼びかけに答えたまえ!」


 夕焼け空に蠢く、半透明の巨大蛇はその透明度を減らして、姿を明確に顕現させた。

 エイリスとイゾルデは身構える。

 いざと言うときの切り札はエイリスにあったが、なるべくなら使いたくない。

 モニカ姫の作戦が成功することを、今は願っていた。


「偉大なるリヴァイアサンよ! これより、貴方の依り代にして巫女たるメープル・ブルクレールを解放する! その最期の日まで彼女を守り給え!」


 そう、モニカ姫の作戦は実にシンプルだった。

 水の禁断魔法『リヴァイアサン』はブルクレール家の切り札であり、

 同時に『近付くものを襲う』という性格の通り、本来の目的は守護なのだ。

 海を渡る船を襲っているのは、

 ヴァニーユ家の本来の姿だった海賊への攻撃性であり、

 生贄の要求とは、メープルの解放要求なのだそうだ。

 モニカは言っていた。


 ――『賢者の書』によると、捧げられた生贄はみな乙女。

 ――そして、その衣装は神官のものと同じ。

 ――リヴァイアサンはそれをメープルとして受け入れていたの。

 ――何度も何度も騙されてね。

 ――だから、本物を返してあげれば終わるわ。

 ――全ては誤解がもとで始まったのね。


 程なく、メープルを連れたモニカ姫がやってきた。

 リヴァイアサンは神官の衣装をまとった彼女を認めると、

 その巨大にしても巨大な顔を寄せて来た。

 そして乙女の生贄に対してこれまでそうしてきたように、大きく口を開け、じっと待っている。

 メープルはどうしたら良いか分からないと言った様子で、モニカ姫を見つめる。

 彼女はただ頷くだけで何も言わない。

 しかしそれが答えだった。

 メープルは初めて微笑むと、小さく


「ありがとう」


 と呟き、その大口へ飛び込んだ。

 程なく、飲み込まれたはずの彼女が、

 逆にリヴァイアサンの巨体を飲み込んでいくかのように、

 彼女のやせ細った身体に吸い込まれていった。

 まるでそれは、海に生じた巨大な渦を見ているかのようだった。

 巻き起こる突風は巨大な魔力の奔流。

 モニカ姫とドランは顔を庇うように腕をあげ、

 エイリスとイゾルデは静かに同胞の顕現を見守る。

 程なく渦は消失し、シードラゴンは現れる。

 その姿は確かにメープルだったが、

 その肌は健康的な日焼けのような小麦色をしていた。



「サッコ。開発者秘話のシードラゴン見た?」


「見た。とくにイラスト超見た。あれでさ、男ってどうなん?」


「のんのんサッコ。男の娘って言うのよ」



「初めまして、で良いのでしょうか? 海の魔法を治める水の巫女メープル・ブルクレールと言います。このたびは、本当に。……ボクと兄が大変なご迷惑をおかけしました」


 ぺこりと頭を下げる彼女に、否、彼に、モニカ姫は


「ふふふ。可愛いらしい男の子は至宝ね」


 と妖しげな舌なめずりをし、

 その言葉の意味を理解したドランは、我が目を疑うように目を瞬かせ、

 そしてエイリスは興味津々に、イゾルデは怯えるようにその陰に隠れた。


「500年を生きたが……男の魔女は初めて見たな。それにしても……女にしか見えん」


「そこがいい。そこが」


 と、エイリスに不要な合いの手をモニカ姫が入れている。

 ふふふ、と鈴をころがすように笑うメープルに、ドランは


「美しい、だが男か」


 とますます混乱している様子だった。


「もともとこうではなかったのですが、長らく海の魔法に携わっているうちに、身も心もだんだん女性性に近付いてしまいました。魔力と感情には密接な繋がりがあります。とくに海の魔法は、癒しを主とした白魔法が多くあるため、行使者には母性的な精神を求められます。ボクはその影響を強く受けてしまったのでしょう」


 メープルはそう言いながらヴァニーユの城を振り返り、懐かし気に目を細める。


「ドラン公。この悲しいブルクレールの地を立派に治められたのですね。ボクはその末裔として感謝しています。『民も王国も全て海に捧げる』と、そんな風に狂った父を止められるのは貴方しかいなかった。貴方はボクとの約束を果たして父を殺し、そして兄を助けるのみならず、養子として育ててくれた。本当に感謝しています」


 メープルの礼に対してしかし、ドランはやるせない表情を浮かべて頭を振った。


「いいや。何一つ感謝されることはしていない。私はただ王命に従ってお前の父を殺し、民を殺し、お前を幽閉し、そしてお前の兄を……罪悪感に耐え兼ねて子としただけだ。それがどうだ。ブルクレールの守り神の逆鱗に触れ、愚かにもその怒りを鎮めようと、僅かに生き残ったブルクレールの乙女たちを事あるごとに海に差し出してきた。ひどい勘違いでな。私は愚かで臆病な……侵略者に過ぎないのだ。感謝などしないで欲しい」


 二人の様子を見ていたエイリスとイゾルデの肩を、モニカは小さく叩く。


「ここから先はヴァニーユとブルクレールが解決すべき問題です。私たちは忘れ物を取りに戻りましょう」


 モニカ姫の笑顔に促されて、エイリスは「あ!」と目を丸くした。


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