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2:ヴァニーユ家の白魔法:その9『鮮血の晩餐』

 ヴァニーユ家の城で、晩餐の間に案内されたエマたちは、当主であるドランから丁重な礼を受けてもてなされていた。

 大きな長テーブルには、海の幸をふんだんに使った目の眩むような御馳走が並んでいる。

 豊かなクリーム色のひげをさすりながら、ドランは言った。


「シーフードと言えば白ワインですが、ここ、ヴァニーユで獲れる魚は味が濃厚なので、赤ワインと共に食べるのが習わしです。御口に会えば宜しいのですが」


 いつものエマなら、掻き込むように食べたであろう御馳走だったが、一口も喉を通らなかった。

 向かいのヴァニーユ家のテーブルに座っている、あの『鮮血のローブ』をつけたマイスター・ガルボが気になるせいもあるが、それに加えて、地下牢で白魔法使いのメープルに言われた言葉のせいだった。


 ――いいえ、お二人とも生きています。

 ――そして私の『リヴァース』で転生することができるでしょう。

 ――でも、ドラゴン陛下の魔法まで転生させることはできません。

 ――このメープルが使える白魔法は、もう不完全なのです。


 それはとてもショックなことだった。

 もし、現実世界へと転生した先が、あのフードの殺人鬼に絞殺される瞬間だったなら、エマたちは何も抵抗できないことになる。

 そして同じぐらいにショックを受けたのは、彼女が最後に言った言葉だ。


 ――残念ですが、海の災厄は滅んでいないようです。

 ――やはり、召喚の切っ掛けとなったこのメープルを殺さない限り、

 ――あれは何度でも蘇るのでしょう。

 ――もう疲れました。

 ――どうか、殺してください。

 ――ドラン陛下にそうお伝えください。


「私の可愛い妻、エマよ。お前は本当に優しいな。生きて元の世界に帰る困難さを知ってなお、あの白魔法使いの運命を悲しんでいるのか」


 同じく食の進んでいない様子のエイリスに言われた。

 イゾルデもまた、消沈した様子でカニの身をほじくるだけほじくっている。


「きっと長く牢に閉じこもっている間に魔力が失われて、白魔法は不完全になってしまったのでしょう。それにしても……リヴァイアサン。一度唱えてしまうと、術者が力を失っても、死なない限りは存在し続ける。禁断魔法なのも納得ですわね。そして……早々に決定された処刑」


 そう。

 あのあと、囚われのメープルの言葉を確認するためすぐに調査船が出された。

 結果、空には美しい彩雲、そして災厄たるリヴァイアサンは出現していたらしい。

 殺生を嫌う当主ドランや、ロイヤルガードのカインも、評議会の強い『メープル処刑』の要望を受け入れざるをえなかったようだ。

 彼女の処刑は、エマとエイリスに『リヴァース』をかけてから、という手筈になっている。

 死の間際まで利用され、そして利用する自分に、エマは説明できない罪悪感を感じているのだった。


「それでは皆様。手元のワインをお持ちください。神官メープルへの哀悼、ヴァニーユの平和と繁栄、そして、王国からの救済に感謝し、乾杯したいと思います」


 そう言うと、ドランは複雑な表情で盃を掲げた。

 祝杯とは違う、死者を悼む様な表情だ。

 みなしんとして盃を持っている。

 評議会で処刑を要望した者達も、決して笑顔を見せていなかった。

 エマも、エイリスも、イゾルデも沈黙している。

 「乾杯」を合図に皆が一息に飲んだ。


「……ふう」


 エマから熱い息が漏れた。

 それはとても強い酒のようで、もちろんエマは初めてワインを飲んだのだが、

 これはもう一生お酒は飲めないと感じた。

 なにせ、手足が痺れ、何か話そうとしても呂律が回らない。

 力が抜けて、情けないことにテーブルに突っ伏してしまった。


「……あ、あ……」


 様子がおかしいと感じたのは、そこら中で呻き声を聞いた時だった。

 霞んでいる目をこじ開けると、隣のエイリスやイゾルデも突っ伏して、痙攣している。

 向かいのテーブルにいるヴァニーユ家もやはり突っ伏していた。

 モヤのかかった頭で考える。

 おかしいと。

 そして、ただ一人だけ快活に動いている影があった。

 エマは必死に目を凝らす。

 しかし、その姿はぼんやりとし、しゃべっている声の高さも曇って曖昧だ。

 でも、何とか言っている内容は聞き取れた。


 ――さあ、たっぷり血を啜るが良い。

 ――鮮血のローブよ。

 ――もっと魔力を高めよ。

 ――そうだ。いいぞ。

 ――そうか、やはり乙女の血が良いのか。


 脳裏に浮かんだのは、不気味な笑みを浮かべるガルボだ。

 その影は近付いてくると、隣のエイリスの傍で止まった。

 いまだ痙攣している彼女の髪を鷲掴みにして顔をあげると、

 エマの見ている前でその細い喉にナイフをあてがい、

 サっとひく。

 瞬間、鮮血が痙攣に合わせてビクン、ビクンと噴き出て来た。

 イゾルデは隣で目を血走らせ、

 歯を食いしばって憤怒の形相で睨みつけているが、やはり抵抗ができない。


 ――心配するな。お前も、すぐだ。


 どす、と。

 イゾルデのうなじにナイフが突き立てられる。


「あぐ」


 と呻く間もなく、刃はひねられ、鮮血が噴き出してきた。

 エマは成す術もなく、ただ凄惨な光景を目にしながら涙を溢していることしかできなかった。


 ――さあ、仕上げだ。サー・エマ。


 喉元に冷たい感触があたった。

 エマは死ぬ前に誓う。

 今度は絶対にワインを飲んではダメだ。

 いいや、食事もダメだ。

 モニカ姫の言っていた通り、自分たちで持ち込んだ食料以外を口にしては……

 ざくり。

 喉に熱が走る。

 その熱源から、急速に命が抜けていく感覚があった。

 ああ、血だ。

 血。

 死ぬ最後に顔をみてやる。

 そう思ってエマは顔をあげ、黒幕の正体をしっかり顔にやきつけた。

 晩餐を待つまでもない。

 出会った瞬間、すぐに斬り殺してやると。


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